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片付けの奥義はモノを捨てることに帰結する。こっちにあるモノをあっちに動かしただけでは増えたモノは納まらない。奥様向けの番組で盛んに放送されている「収納術」の達人が如何に上手くしまい込んでくれたにしても、単に押し込んだだけにしか見えず、取り出し難くなってしまっては元も子もない。たとえ上手く押し込むことができても、いずれキャパシティを超えてしまうのは時間の問題。その度毎に広い家に引っ越し続けるわけにもいかない。ましてやはなから広い家に住むほどの甲斐性もない。結果、如何に捨てるかが、片付けのポイントである。
まず、本や雑誌が増える。読み終えて気に入った本は、いずれまた読み返そうと取っておくが、そんなことはまずあり得ない。雑誌も必要なページだけ破り取って保管してみるも、それが必要となることもあまりなかった。あるパソコン雑誌では雑誌をスキャナで読み取ってデジタルデータとして保管することを薦めていたが、所詮スキャナを売りたいスポンサーのための提灯記事でしかなかった様だ。この手の作業はデータを取り込んでいることで妙な満足感が出てきて良くない。呼び出すことのないデータをせっせと詰め込んで、結局は時間の無駄なだけだったりする。
結果としては、「捨てる」と「残す」しかないはずが、分別に迷うモノも出てくるし、その中間に、また幾つかのランクができてしまう。「いざ」というときのために取っておきたくなるが、はたして、「いざ」というのがどんなときかが今いち曖昧であるし、第一そんな、「いざ」というときなどやってきた覚えがない。
興が乗ってくると、モノを捨てることはモノを買うことに相当する快感となる。いや、モノを買うこと以上に楽しくなることもある。何故これほどの快感が得られるかを考えてみた。1つは、過去の忌々しい記憶との決別であろう。そしてもう1つは、あれこれと迷わずに一気に捨ててしまうために、脳が快感を与えているような気がする。そのややハイになった状態で一気に捨ててしまうのが良いかもしれない。捨ててしまっても、まあ何とかなることは結構多かったりする。
(秀)
関東地方もついに梅雨に入った。これから1ヶ月ちょっと、ジメジメした時期を過ごすかと思うと、ちょっと憂鬱になる。特に、朝の通勤時が大変だ。それに、朝の天気予報も注意して見ていなくてはならなくなる。
そこで、降水確率なる言葉が登場する。この言葉が天気予報に登場したのは20年くらい前だろうか?。そもそもアナログな事象と思える気象をデジタルな数値に置き換えて知らせてくれるのは分かりやすい気がする。しかし、この降水確率となると、必ずしも分かりやすいものとは限らない。100%や0%は非常に分かりやすい。それに80%という場合も「(雨が)降るんだな」と傘を持って出かけるだろう。これがもし50%ならどうするだろうか?。何とも悩ましい。梅雨の期間中はとりあえず50%でも傘を持って出るだろう。
もっと微妙な数字は「30%」。普通だったら、「(雨は)降らないんだな」と思うに違いない。ところが、冬の場合、太平洋側での降水確率の平均は約10%らしい。ということは、冬場の30%というのは平均よりもかなり雨の降る確率が高くなっているわけだ。一方、梅雨の期間の平均降水確率は約60%らしい。この時期の30%はとりあえず降らないことを願って、傘を置いて出かけるかもしれない。
途中で雨が上がってくれるのはうれしいが、その後も傘を持って歩くのは面倒だ。どこかに忘れてしまう可能性も一気に上がる。おまけに、途中で傘を無くしてしまったようなときに限って、また雨が振ってきたりするんだよなー。
(秀)
最近、小5になる長女の宿題を見てあげている。今日の宿題は社会科のプリント。5年生の社会科の教科書を開くと、この学年では日本全国のざっとした地理と国内の産業について学ぶようだ。そう言えば、私もこの頃に「四大工業地帯」や、それに引き続いて「四大公害病」などを学んだような気がする。時期は違うが歴史では「四大文明」なんていうもの教わったなぁー。社会科という教科は「四大○○」というのがどうもお好きらしい。
さて、プリントの方だが、日本の漁業に関する問題である。帯グラフが2つ登場し、漁の様式別の出荷量(単位:円)と就業者数(単位:人)を示している。但し、3つに区切られたグラフのそれぞれの部分がどの様式ものかは伏せられている。問題を読むとそれらは「沿岸漁業」、「沖合漁業」、「遠洋漁業」をそれぞれ指しているようだ。どうも小学生には難しい問題に思える。社会科は記憶に重きを置いた教科であるが、教科書や資料集にこれに関する記述はない。グラフやその後の問題文から答を判断するような問題の作りである。記憶偏重の問題よりは良い傾向と言えるが、如何せん問題が小学生向きではないと思えたのだ。
ところで、教科書を捲っていくと、いろいろと疑問が出てくる。あいにく、農業や漁業の問題を覚えても、サラリーマンになってしまう(圧倒的にそっちの数の方が多い)と、そんな知識はほとんど役に立つことはない。社会科のこのような分野では、たとえ覚えていて、自分の子供に教えてあげようにも、20数年前の記憶がその時点では既に正しくないものになってしまっていることの方が多いはず。
教科書は視点が自分たちの身の回りのものから探っていくような構成で、まずは食卓から農業と漁業について紹介されている。次に、身の回りの製品の話題から工業。そしてさらにはそこから公害や環境問題について紹介されている。しかし、現在の日本の産業構造上、最も規模の大きい、第三次産業については触れられていないのだ。これでは肝心な部分が欠けてしまった国内産業を、子供達は一生懸命学んでいることになる。
こんな、実状に照らして決して正しいと言えず、将来に渡って有効な知識と言えないようなことを教えるカリキュラムで次世代の労働力が生産されていることに対して、文部科学省の役人は何ら疑問を持っていないのだろうか?。こんなことを一生懸命勉強して現在の地位を得た人々に言っても無駄かな?。今、そのとき得たものが役に立っているか、聞いてみたいものだ。
(秀)
メールクライアントソフトにはメールポストからメールをダウンロードする際のパスワードというものがある。ほとんどの人はソフトに記憶させていて、都度入力するようなことは少ないのではなかろうか?。几帳面な人はセキュリティの関連から都度入力しているかもしれないが、ソフトを起動する際にパスワードは必要ない。メールポストから未ダウンロードのメールは読めないにしても、受信ボックスやフォルダの中身は他人にも丸見えなのである。セキュリティとしては全く意味をなしていない。
ある会員制のサイトにメールアドレスを登録したら、不定期ながらダイレクトメールが届くようになった。最初の数回は読んでみるものの、やがて不要となった。メールの巻末には配信停止のためのURLが記載されているので、早速アクセスするも、そのページにアクセスするにはIDとパスワードが必要であった。やめたい会員サイトのIDとパスワードなど覚えてられるわけなどない。今でもメールは届いているが、そのメールは即ゴミ箱へ直行している。
インターネットの世界には実に多くのパスワードが必要となる。ネットへのログオンにもそうだし、前述のメールの受信もそう。私の場合はメルマガの発行やホームページの更新にも必要である。この他には、会員制のページにアクセスする際にもパスワードは必要となる。問題はパスワードだけでない。先方が勝手に決めた意味のない文字列の状態では、IDの記憶も大変な事である。
中にはパスワードを忘れたときのために、自分で質問を設定し、その答とペアで本人の認証を支援するサイトもある。これは非常に便利である。「母親の名前?」というのは良い例である。「彼女(彼氏)の名前?」というのは、たとえ答を迷わずに思い出せても、何となく気まづくなることがあるかもしれないので、避けた方が良いかも。
(秀)
最近、電車の中で携帯電話でメールをやっている人が増えた。読んでる人あり、打っている人あり。電話で話されるよりは良いが、周りをそんな人々に取り囲まれると、せわしく、うっとうしくって、ヤダ!。電車に乗る前後にメールが来てないか確認している人もいるが、あいにく、何も届いていなかったようだ。もちろん、電車待ちしているホームにも携帯メール人間は列をなしている。
吊り革に掴まっている私の前で、ともに20歳代の男性サラリーマンが二人、並んで座っている。手にはもちろん、携帯電話。一方は盛んに両手を使ってメールを打っている。一方の親指でテンキーを叩き、もう一方の親指で、変換、確定のためのキーを押している。入力のスピードから判断してなかなかの強者らしい。入力が終わって、送信したようだ。
すると、その隣の男も盛んに指を動かし始めた。それぞれメールを送り終わると、その二人が顔を会わせた(ような気がした)。私がこの電車に乗る時には既にこの二人がこの位置に並んで座っていたので、お互いが知り合いなのかどうかは分からないが、さっき送ったメールがお互い宛だったら、と思うとゾッとした。
それ以来、携帯でメールをしている人を発見すると、周りを見渡し、同じように携帯でメールをしている人を探してしまう。そんなはずはないと分かっていながらも、そのお互いがメールを送り合っているのではないかという妄想が浮かんでしまう。あっ!、私の携帯にメールが届いた。その姿を確認すると、向こうにいる見ず知らずの女性が私に微笑み掛けてきた。慌てて、返信を打とうとするが....。携帯のバイブレーションで目が覚めた。
(秀)
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