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ビートたけしのオールナイトニッポンに「不幸の尺八コーナー」というのがあった。ことの起こりは、番組終了後に反省会と称して、たけし達がが飲みに行った店に流し風のオヤジが現れ、曲を任せると、ハーモニカで「やしの実」を吹いた。聞いてる方は悪酔いして、具合悪くなったりと、それが頭に来たので、尺八で「やしの実」をマスターして仕返しをしてやろうということであった。
次の週の放送はたけしが吹く尺八の音で始まった。しかし、うまく吹けない。結局諦めてしまうが、買った尺八がもったいないので、はがきをくれる常連リスナー(当時はまだ「はがき職人」という言葉はなかった)にこの尺八を送りつけ、翌週までに「やしの実」を吹いて録音したテープと尺八、それに証拠写真を添えて局に送り返すというコーナーが誕生した。不幸の手紙のように尺八が巡回して回るので、「不幸の尺八コーナー」と名付けられた。
ところが翌週、最初に尺八を送りつけられた、常連リスナーが送り返してこない。そこで、督促の意味を込めたラジオドラマが制作され、オンエアー。彼が2週すっぽかして、このラジオドラマもレギュラーコーナーとなってしまった。また、彼が送って来た証拠写真に写っていたのが別人だったことをきっかけに、このリスナーのゴーストライター説、3人いる説など話題が広がっていった。
結局、ちゃんと1週間で送り返してきたのはただ一人。誰も満足に吹くことができず、5人目のリスナーがとうとう尺八を送り返さずに、「お礼状」を送って私物化し、このコーナーは終わってしまった。たけしのオールナイトニッポン、放送開始初期の出来事である。当時私は中3。
(秀)
上京したての者にとって、最初に習得しなければならない能力は「電車に乗ること」だろう。恥ずかしながら、上京するまで首都圏にこれほど多くの路線があるとは知らなかった。高校の時の地図帳を開いて、首都圏の拡大図を見ても、そこに地下鉄の路線は書かれていない。正直なところ、私鉄路線はもちろん、JRの京浜東北線さえ知らなかった。初めて聞いた時、東北地方の路線だと思った。
初めて上京した際、会社の寮が東急の沿線であった。上京した日は雨で、まず駅そばのコンビニで傘を買った。ファミリーマートも初めて見た。その後一旦寮にたどり着いて、またこのコンビニに戻り、当座の生活に必要なものを買う。洗面器、洗濯バサミ、コップ、etc...。とにかく身軽に出て来たので、こんな物も買わなければならない。そして、雑誌のコーナーで「ぴあMap文庫 '89年版」を発見した。
その名の通り、文庫本サイズのその本は、まずページを開くと見開きで首都圏の全路線図が載っている。これはありがたい。すぐに自分が今いる駅を探した。ページをめくる。そこには渋谷の地図が載っていた。その次は新宿だったか?。早速、この本も買った。ご存知ない人に説明すると、「ぴあ」とは首都圏のコンサートや映画などを紹介した、隔週発行のイベント情報雑誌である。この会社は雑誌とタイアップでチケットの発売などもやっている。「ぴあMap文庫」はその別冊である。
後から気が付いたが、文庫版だけでなく、普通の雑誌サイズも出ていた。でかい方が見易いだろうが、コンパクトな方が私にはうれしかった。コンパクトだからと、出掛けるときに持ち歩いたわけではないが、出掛ける前日にはそのページを入念に見た。出掛けた先で迷子になった場合は、本屋に飛び込み、この本で助けられたこともある。上京人のバイブル。毎年春先に改訂されるので、翌年も買ったが、あまり使うことなく、その年で無事卒業できた。
(秀)
某シンガポール紙が伝えたところによると、シンガポールのチャンギ国際空港で今月15日、自分は「ギタリスト」と話していたインド人が「テロリスト」と聞き間違えられ、連れのインド人とともに身柄を拘束される騒動が起きた。
空港ラウンジで、1人のインド人が米国人と会話していたとき、自分のことを「ベース・ギタリスト」と言ったのを、米国人が「ボスニアン・テロリスト(ボスニアのテロリスト)」と聞き間違え、空港の警備員に通報。その後、シンガポール航空の香港行きの便に乗り込もうとしていた、このインド人と連れの二人はすぐに身柄を拘束された。結局、勘違いだったことが判明し、二人は無事釈放され、香港への旅路に就いたそうだ。
「ギタリストとテロリストではあまりも苦しい(違い過ぎる)だろう」とか、「自分からわざわざテロリストと名乗る奴はいないだろう」と離れたとりあえず平和なところにいるからこそ、笑い話として接していられるが、現場での緊迫感は相当なものだったろう。
ギタリストではなく、「チェロリスト」だったら、「テロリスト」と間違えられるかも、と思ったりしたが、あいにく(?)チェロ奏者は「チェリスト(Cellist)」だった。これは私の勘違い。コラムニストは大丈夫だと思う。もちろん自分から、そう名乗ることはないけど。
(秀)
そもそも私の記憶に根付いている最も古いテレコはナショナルの「スナッピー」であった。フィンガー5がCMするカラフルなテレコである。ラジカセの話と言っておきながら、わざわざテレコと言い分けるのは、ラジオが確かなかったからだ。昭和48,9年のことだったと思う。もちろん、買ってもらえなかった。実際にラジカセを買ってもらったのは、小学4年生の時なので、スナッピーから2年後ということになる。もちろん、モノラルであった。
かつて中高生にとって、ラジカセはステータスであった。家にはステレオ(システムコンポ)があっても、それが親や家族のものとなると、やはり自前のラジカセが欲しくなる。この頃、突如としてモノラルからステレオ化が進んだ。そして、もっと注目すべきは大型化である。スピーカーは直径20センチクラスになる。ダブルカセットになる。ノイズリダクション機能も付いて、もちろん、音も良くなった。しかし、値段も高くなってしまい、お年玉でもそう易々と手が届くものではなくなってしまう。だからステータスなのかもしれないが。
こんな感じで各社が高性能なラジカセをリリースした。懐かしいので、メーカーと商品(ブランド)名を並べてみよう。ただ、どれも似たような顔つきをしていた。
・東芝:ボンビート
・SONY:ジルバップ
・SHARP:サーチャー
・パイオニア:ランナウェイ
・松下:(不明)
高校の入学祝い(昭和57年)にボンビートを買ってもらった。本当はランナウェイが欲しかったが、どうしてもボンビートにしかない機能のために、これにした。それは「オートリバース」機能である。その後に一般化したこの機能もこの機種が最初であった。どうしてもこの機能が必要なわけはオールナイトニッポンである。オーディオタイマーとの組み合わせで、自分は夢の中にいながらも2時間まるまるの録音が可能となった。この文明の利器で夜更かしから解放された。
(秀)
いよいよ600話の達成である。思ったよりも早かった。特に100話ずつ積み重ねて行くに従って、早くなっていくような気がする。500話はつい先日のことだったような。ついでにWebサイトも開設から2周年が経った(9/22)。まずはご同慶である。100話刻みで我がコラムの基調や基本方針などについて書いてきたが、今回は私がインターネットでホームページを持つにあたって当初思い描いていた構想を披露したいと思う。
その名は「秀チャネル」構想。もう思い立ってから、6年以上も経つ。Webサイトのトップページをテレビの番組表に見立て、それぞれのコマにリンクが貼ってある。その当時は「ポータルサイト」なんて言葉は(聞いたこと)なかったが、今思えばまさにそれだった。各コマは番組に見立てた、それぞれのサイトである。その各コマをそれぞれの得意分野を持つ人に担当してもらい、私が編成局長で、プロデューサーというものだった。
その曜日やその時間帯でないと見られないわけではないが、トップページをテレビの番組表にしたのには親しみやすさだった。コンテンツの分量に比例して、番組表の時間軸は長くなる。番組(コンテンツ)はテレビの様に、料理や育児などがあっても良いし、スポーツや自動車などもあっても良い。もちろん、ニュースやお笑いも。但し、独りよがりにならないで、ある程度公共性を持ったコンテンツでなければならない。また、単なるリンク集でもいけない。そこには一貫したポリシーと一体感がなくてはならない。
この構想を話してみると、結構多くの人が興味を示してくれるし、その人はコンテンツ化すれば魅力的なノウハウを持ってもいる。しかし、その人が自分でホームページを作る技術や暇を持っていなかったりする。そして私がそれを支援するようなことも無理であった。その現状は今もあまり変わっていない。
当時と比べると、インターネットでできることは格段に進歩した。また、インターネットユーザの数も増えている。「コンテンツのデパート」というコンセプトの「秀チャネル」がいつか実現することはあるのだろうか?。hide-column.comのページがhide-ch.netのトップページに切り替わる日は来るのだろうか?。1000話達成までには何とかしたいなあ。
(秀)
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