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第606話 〜2001/10/4〜

■読書について、ふたたび

 前話の「読書の秋」について、常連読者から感想メールが届いた。その人は図書館派で、読みたいものはそこで借りて読むらしい。買っていたら、それこそ本棚が溢れてしまうのが、主な理由らしい。確かに説得力がある。ついでに金も掛からないとなると魅力的だ。しかし、私はこれに向いていない。借り物という中途半端な居心地の悪い状態がダメなのである。ついでに本屋での立ち読みも落ち着かなくていけない。

 たまに図書館や人から本を借りるようなこともあるが、ある短い間にそれを読み終えなければならないという束縛に耐えられない。また、日常的に一つの本を集中して読むことは少ない。シチュエーション別に同時並行でいくつかを読んでいたりする。通勤用、休日用、それにトイレ用(これはなかなか読み進まないので小説などは避けている)。結局借りた本は、最後まで読み終えることなく返す羽目になることが多い。

 借りた本も本当に読みたければ、その後に買ったりしている。買わなくてもいい本は、所詮その程度だと思って割り切る。ただ、買ってしまって期限がないために、読んでいない本が溜まってしまっているのは事実。出版業界冬の時代の今日、せめてもの下支えと思い、本を買っているのもあるが、最近はお金がなくて古本屋で買うことが多い。これでは出版業界の下支えどころか、逆行している。しょうがないので、「リサイクル」、「省資源」と言ってみることにした。

(秀)


第607話 〜2001/10/5〜

■犯人心理と先読み

 テレビで刑事ドラマを見ながら(と、言いつつ、刑事ドラマはあまり見ないけど)、一瞬私は犯人の心境になってみる。追い詰められて行く犯人(犯人が分からない時点でも)の心理がうまく描かれているか?。ドラマの善し悪しはこういう楽しみ方ができるかどうかも、私には一つの評価要素だったりする。サスペンスドラマは犯人が最後まで分からないことになっているが、それでも自分は犯人の心境に近づこうとする。結果、犯人が女性だったり、年格好が自分とあまりにも違う場合は、どっと疲れる。

 何もドラマだけではない。実際の事件でも逃げている犯人の気持ちを想像してみる。最近はビンラディンの心理をシミュレートしてみる。あまりにも過激すぎて、詳しくはここで書けるような中身ではないが、命を賭して仕掛けたからにはこんな感じで終わらせるものではなかろう、と思っている。

 テロ&報復行動に関する情報が日々マスコミから伝えられているが、実際の信憑性という観点ではかなり眉唾なものが多い。しかし、そのようなものが大きな題字となってタブロイド紙を飾っている。そのセンセーショナルな見出しが噂となったり、ネットを媒体として広まっていく。いや、既にネットや誰かの憶測で発生したものをマスコミが膨らましているだけかもしれない。

 軍事行動の計画など、まず洩れるものではないだろう。いろいろと関係者や評論家をソースとしているようだが、肝心な部分は誰かの想像でしかない。中にはわざと嘘の情報を流しているのもあるだろう。現実がその予想やシミュレーションの通りに行くことは少ない。もちろん、ドラマも先が読めてしまうと面白くない。

(秀)


第608話 〜2001/10/9〜

■戦闘開始

 「戦闘(戦争)開始、みなみな開始ー」(突撃ラッパのメロディで)。何とも空恐ろしいが、小さい頃こんな歌で始まる遊びで遊んでいたようだ。雪合戦のときなどはそうだ。しかし、雪などあまり降らないところで育った。にも関わらず、この歌詞とメロディは覚えている。果たしてどんな遊びだったのか?。分からない怖さもある。

 日曜の深夜のテレビ番組で「日本時間の明日(8日)未明、テロに対する報復攻撃を米国が行うと、アフガニスタンの北部同盟が伝えました(細かな言い回しは失念)」と報じた。いつもなら、「こんな計画が洩れるはずはない」と思っているものの、このときは不思議と「いよいよか」と疑うことをしなかった。その通り、翌朝は「戦争始まったよ」という声で起こされた。もはや驚くことはない。

 迷惑なのはパキスタンだろう、隣でドンパチ始まって。この迷惑ぶりや反米デモの様子を見る限り、米国は過去にイスラム圏の人々に相当迷惑を掛けた(こんな生やさしい表現ではすまないだろが)事実がありそうだ。単にテロとその報復という構図ではなく、思想・宗教を引きずった背景はもっと複雑なはず。その辺が日本人にはなかなか理解しづらい。頭で理解できても、おそらく実感はできないだろう。

 賛否両論が渦巻く中、米国内では94%もの人々が今回の空爆を支持している。本来なら平和裏に解決したいと望むはず。それができるものなら。しかし、テロリスト相手ではそうはいかない。法治国家であれば「やられたら、やり返す」ということは認められていないが、それはいずれ司直などによって、その相手に制裁が与えられることを前提にして、はじめて成り立つ。しかし今回のテロの例はどうだろうか?。報復しなければ、やられたまんまである。「報復反対」を唱える人も他人事だからそう言っていられるわけで、親兄弟、ましては自分の子供が犠牲になっても、「平和的解決」などと言っていられるのか?。決して私は好戦家ではないし、むしろその逆であるが。

 「話し合いで解決」や「孤立させ、政治的な解決」といった綺麗ごとではなく、「報復に巻き込まれるのが怖いから、反対!」と、言うのなら非常に分かりやすい。

(秀)

from.ごみちゃん

第609話 〜2001/10/10〜

■祝日の意義

 10月10日(水)、雨。そうだ、今日は「雨のウェンズディ」なんだ。10月10日は晴れの特異日だったはずなのに、体育の日の座を追われて3年、そのパワーも尽きてしまったのか?。しかし、晴れの特異日というのは思い込み(思い込まされ)で、統計的には必ず晴れる(少なくとも雨は降らない)というものではないことが証明されていた。

 ご存知、体育の日は昭和39年の東京オリンピックの開会式にちなんでいる。その2年後の昭和41年に「建国記念の日」と「敬老の日」にあわせて法制化されている。ところが「ハッピーマンデー」とやらで、10月の第2月曜日に変更になった。同様に「成人の日」も1月15日の固定から外された。

 次は「海の日」と「敬老の日」が平成15年からハッピーマンデーに追加されることが決まっている。老人が増えていく割には(逆に増えていくせいか)、敬老の日の重要性が薄れてきているような気がする。今回の祝日法改正では「老人は毎日祝日のようなものですから(、日にちが変わろうが影響がない)」と乱暴な事を言う某女性大臣(T大臣ではない)もいた。

 ちょっと待て。祝日にはその日に意味があって制定されたはず。それが毎年変わってしまっては本来の意味が損なわれてしまうではないか。そのくせ、建国記念の日や文化の日といった、旧憲法下での祝日は大事にしている。ところで、9月15日が敬老の日である理由って何だっけ?。

(秀)


第610話 〜2001/10/11〜

■カラオケの功績

 80年代のアイドルブームを思い起こすと、「粗製乱造」という言葉がぴったり当てはまる。嗜好の多様化にそんな形で応じようとしたため、泡沫アイドルとでも言うべき輩も輩出され、アイドル業界は自滅して行った。

 かつての彼らの曲を今聞き返してみると笑える。曲のアレンジが稚拙であり、音が薄い。技術的な要素ももちろんあるだろうが、こんな感じである。歌詞は時代を映すものであるため、比較してもしょうがないのだろうけど、今では使わない陳腐な、あるいは恥ずかしくなるような言葉が並んでいたりする。

 そして何より、歌手の歌があまりにも下手なケースが多い。「よくもまあ、これで」と思ってしまう。それに比べると今の歌手の方が歌はうまい。レコーディングの際に多少は機械で修正出来るようになったせいもあろうが、そこにはやはりカラオケの存在は大きいと思う。歌手になろうと思うからには、まず歌ってみるだろう。がんばって練習に励むことだろう。その結果として、底上げがなされたと思う。もちろん、聞く側の耳も肥えて来ているので、彼女(彼)達のハードルも高くなっていく。

(秀)


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