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第616話 〜2001/10/19〜

■やきいもの季節

 「さおやー、さおだけー。さおやー、さおだけー」。こんな物干し竿売りの声を耳にすることがある。この抑揚というか、節回しというか、はたまたメロディとでも言うべきか、不思議と私が昔遠き田舎で聞いていたものと同じである。まさか、同じ人が竿竹を背負った軽自動車で日本全国を縦断しているわけでも無かろうが。

 ところで、あの軽自動車の竿屋で物干し竿を買う人がそうそういるのだろうか?。少なくとも消耗品ではないはず。平気で10年や20年は保つだろう。10年保つとして、確率的に考えれば、「今日、物干し竿を買わねば」という家は3650軒に1軒ということになる。人口にすると、1万人ぐらいか?。そんな町をぐるりと1日回って、ようやく1本か2本の物干し竿を売れる勘定になる。これでは数千円の売上にしかならないだろう。

 しかし、いざ物干し竿を買おうとすると大変である。普通の自家用車では積んで帰れない。かく言う我が家の物干しはどうしたかと、かつて家人に尋ねたことがある。結婚して最初に住んだ家の近くの商店街に日用雑貨屋があって、家人と義母が前後に抱えて歩いて持ち帰ったということだった。それから2回転居したが、引越トラックに積んで持ち回り、既に10余年使用している。けど、こんな感じで、近くに金物屋や日用雑貨屋がある人は少ないはず。読者諸氏は如何だろうか?。やはり移動販売へのニーズはあるのか?。

 そろそろ寒くなってきたので、竿竹売りの声を聞かなくなった。何かの本で読んだが、多くの竿竹売りは季節労働者で、冬場はやきいも屋をやっているらしい。もうじき町にやきいも売りの車が繰り出す頃だ。しかし、火をぼうぼうと焚いて走っているあの車を見ると、怖くなる。あの下にはガソリンが詰まっているわけだ。少なくともガソリンスタンドでの給油はできないはず。営業前に給油して、そして窯に火を入れているのだろうか?。消火器など積んであるのか?。危険物取扱資格がなくて、良いのだろうか?。疑問は尽きない。

 やきいも屋として冬場に1年分の大部分を稼いでいるので竿竹売りがさほど儲からなくても良いのだろうか?。しかし、見た感じ、やきいも屋もあまり儲かってはいないような気がする。だって、火の車だもん。失礼。お後が宜しいようで。

(秀)

from.ごみちゃん

第617話 〜2001/10/22〜

■「忙しい」について

 一口に「忙しい」と言ってもスタイルは様々だ。例えば、夕方のスーパーでのレジ打ち。たくさんの客が行列をなしている。確かに忙しいだろう。しかし、時間が過ぎるにつれ、その行列は解消されるだろうし、閉店の時刻を以て、すべてから解放される。プライベートな時間まで、この忙しさで拘束されることはまず無かろう。

 仕事量が増え、それが通常の終業時刻を過ぎても終わらない状態がサラリーマンにはよくある。しかし、その内容を観察してみると、細々とした作業内容だったりする。ただ、それぞれは個々として集中力を阻害される状態で存在している。一つ一つは一時間足らずで片づくはずだからといって、一日8時間で8個の作業を片づけることはできない。電話などの割り込みが入ったりして、そのうちの5個しかできなかったりする。創作的な作業は終わりがありそうで、実はない。席に座っていて時間が経てば自動的に終わることなど、絶対あり得ない。そのために、残業。この時間のズレはプライベートな時間の減少へと至る。もちろん、プライベートにも忙しさはあるだろう。

 忙しい人は大変だろう。ところがこれはスケジュールが埋まっていることと必ずしも同じではない。毎日毎日、会議や人と会うことでスケジュールは一杯。しかし、そのための準備を部下に任せているような人なら、質的な忙しさというのは、まだ軽微と言わざるを得ない。「忙しい」と言うには、混沌とした焦燥感が欠かせない。一つ一つは小さくても、それらが混沌とした(漠然とした)状態であれば、それだけでもう忙しい気がしてしまう。秘書やマネージャーにスケジュールやそれにまつわる段取りのすべての管理を任せている人はその分楽だろう。でなければ、分単位での切り替えなど、そうそうできるものではない。

 高校のときの担任が「『忙しい』という字は『心』が『亡い』という字だ。『忘れる』も同じ」と学活の時間に話した。何か金八先生の様な話であるが、あいにく日本史の教諭だった。忙しい人は大変だろう。人は忙しくなると、横柄になったり、人との対応が粗雑になったりすることが多い。これは良くない。「忙しい」と自慢げに嘆く人などもいる。心が亡いとは良くできた字だと感心してしまう。

(秀)


第618話 〜2001/10/23〜

■大学で学んだこと

 現在学生の方には申し訳ないが、正直なところ、大学で学んだことがそのまま就職して活かせることはほとんどない。特に文科系は。技術的な分野でも大学の貧困な施設よりも企業の方が恵まれた環境で、こちらの方が進んでいたりする。では、企業は学生にどんな能力を期待しているかと言うと、発想力や問題解決能力といった、素養である。また、他人との折衝力であったりする。十分に大学での学業を終えた人はそれに見合ったこれらの能力を身に付けていると判断し、企業は採用する。公務員もおそらくそうだろう。

 それでも企業があまたいる候補者の中から条件に適合した人かどうかを短期間に見極めるのは難しい。そこで客観的な指標として、学歴、多少なりとも良い大学の出身者がそこに至る過程で競争を勝ち抜いて来た証左として有利となる。しかし、会社に入ってしまえばあまりそんなことは関係ない。例えば中途採用となると、学歴よりも前の会社で何をやって来たか?、どんな仕事を任せられるか?、が最も重要であろう。もし学歴が就職後も影響するようなところは、今後今以上の競争力を持って市場に影響を与えるような成長をするとは考えにくい。

 私が大学生の時、農学部(私は農学部ではなかった)ではバイオテクノロジーが華やかで、企業からの求人も良く(これに限らず、全体的に売手市場のムードではあったが)、それを反映して受験倍率も非常に高かった。ところでこのブームの行き先はどうなったのか?。素人考えで申し訳ないが、(その一部は)遺伝子組替作物などやっているのではないか?。そうだとすると、世間的にはかなりの負のイメージがある。彼らもまさかこんな状態になると思って学んでいたはずはなかろうに。

 同じ時期に理工系では「超伝(電)導」がブームであった。夢のような技術はその後どうなったのだろうか?。所詮、机上のもので実用化には無理なものだったのだろうか?。このような例に限らず、たかだか4年程度に得た学問で、その後の40年近くの勤労生活を支えていられるほど現実は甘くない。

(秀)


第619話 〜2001/10/24〜

■進水式

 私の小学校低学年のときの遊び相手は、風呂屋の裏に住む同学年のT君、それに食料品店の息子で、一つ年下のK君というのが主なメンツだった。このK君は当時、家業の調子も良く、いろいろなおもちゃを買ってもらっていた。タイガーマスクの人形はもちろん、悪役レスラーの人形も五体くらい持っていたし、リングも持っていた。ロボコンの超合金はもちろん、ガンツ先生にロボワル、ロボプーの超合金まで持っていた。

 そんな彼がある日、モーターボートのプラモデルを買った。モーターボートレースに出て来るあの形のものであった。子供なりには50センチくらいの大きさだったような気がするが、今となって冷静に振り返っても30センチはあったろう。もちろん、モーターで動く仕掛けになっている。プラモと言えば、車の御時世にモーターボートというのが何とも粋である。

 さすがにちょっと作るのが難しく、K君の隣に住む三歳年上のM君が手伝ってくれることになった。お陰で順調に仕上がり、いよいよ進水式。あいにく皆の家には池などない。しょうがないのですぐ側の川にした。川幅約10メートル。ラジコン操作ではないため、呼び戻すために糸を付けての着水である。心地好いモーターの音とともに、小さな波を立てながら、ボートは岸を離れ進んだ。

 そんなことを何度か繰り返す内に、ボートが川面に浮かんだゴミに引っ掛かってしまった。糸を引けど、動かない。こうなると、石を投げ波を起こしてかわすしかない。石を投げるがなかなかうまくいかない。そこでM君が少々大きな石を投げた。ところがその石はモーターボートにみごと命中。ブクブクと泡を出しながら沈んでしまった。あの泡ブクは中に水が入って、空気が押し出されたサインに違いない。頼みの糸も引いた途端に切れてしまった。

(秀)


第620話 〜2001/10/25〜

■コスモスポーツ

 さて、クイズ。「東京ディズニーランド、新東京国際空港、東京モーターショー」、この3つに共通することは?。答えは「東京を名乗っておきながら、その場所が千葉県である」ことだ。その中でも、東京モーターショーは現在幕張メッセで開催されているが、かつては都内で行われていたので許そう。十数年前までは晴海の国際見本市会場で行われていた。その前の会場は日比谷公園だったし。第35回東京モーターショーが明日から始まる。一般公開はさらに翌日。

 かつてマツダがロータリーエンジンを載せたコスモスポーツという車を開発し、販売した。エンジンのみならず、デザインにおいても二人乗りの平べったいデザインで、当時としては斬新、それ故に、「帰って来たウルトラマン」でMAT(Monster Attack Team:地球防衛軍、ウルトラ警備隊に続く、舞台となる組織名)での車「MATビハイクル」として使用された。また、実社会でも高速機動隊のパトカーとして使用されたりした。

 さて、このコスモスポーツの試作車を東京モーターショーに出展するときの話。第11回だから昭和39年になる。当時の会場は晴海。このとき当時の松田恒次社長自らがハンドルを握り、広島から車を乗りつけ、また広島まで帰ったそうだ(もう一人、開発担当者あたりが同乗していたらしいが)。トヨタや日産の社長がこんなことをすることはまずないだろう。普通だったら周りが止めるだろうし。社員の士気高揚&世間への話題作りとしては実に見事なパフォーマンスだと思う。かつての映画「社長シリーズ」の森繁久彌の様な社長が加東大介や小林桂樹などの様な周りの制止を振り切って、コスモスポーツで上京する、そんな絵が私の頭には浮かんで来る。

(秀)


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