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ベイブレードブームは多少熱が冷めたものの、いまだ堅調で、新バージョンも近々リリースされるらしい。その煽りか、遊戯王のカードコレクションのブームはちょっと衰退気味か?。ミニ四駆やヨーヨーなど、かつてのブームの主役達が我が家の子供部屋の押入にはそれこそ地層の様になって眠っている。子供だから飽きるもの早いのだろうが、今親となってみると「邪魔だから捨てたい」と思う反面、「せっかくだから取っておこうか」、という気持ちも強い。
これまでいろいろなおもちゃを手にしてそれを捨ててきた後悔が今頃になって出てきたので始末に悪い。お宝ブームの影響も有り、「そのうち高く売れるのでは?」と下衆な意識が働いてしまう。束になって箱に詰め込まれている遊戯王カードを見ると、かつてのライダースナックのカードを思い出す。
そもそもライダースナックにカードがおまけに付くようになったのは、カルビーの親切心からで、栗本慎一郎のアイデアによるものらしい。しかもこのカードにはラッキーカードというものが仕込まれている。概して子供は当てものが好きだ。それにカードのコレクションという要素が付加された見事なコンビネーションである。単なる当たりくじや単なるカードだけでは不十分だったろう。
カード狙いでスナックを大量に買ってそれを食べずに廃棄するなど、子供らしからぬ行動をよび、このライダースナックは社会批判の的にもなった。その彼らは単にカードが欲しいだけではなく、ラッキーカード狙いであったのも少なくなかろう。そのラッキーカードをカルビーに送れば、カードアルバムが貰えた。当選による限定プレミアの走りと言えよう。
あいにく、私はこのラッキーカードもアルバムも手にすることがなかった。そこまではブームにはまり込まなかったようだ。やがてライダーの放送が終わると、続いてV3スナックが登場し、スナックも20円から15円へと値下げされた。スナックの販売は継続されたが、そのうちアルバムは郵便切手と引き替えで購入できるような形になった。顧客からのリクエストに応じたものだろう。しかし、その頃を境にスナックやカードのブームも衰退してしまった。子供達の射幸心が萎えてしまったためだと思う。
(秀)
普段、学校におもちゃを持って行ってはいけないことになっていたが、小学校も高学年になるとこっそり隠し持って行ったことがあるのは私だけではなかろう。コマにメンコ、ヨーヨー、けん玉、水風船。それに水鉄砲。皆で水鉄砲での戦争ごっこをやるはずが、その話が先生に洩れたらしく、その日の登校直後、水鉄砲は没収の憂き目にあった。次々とダンボール箱に集められる水鉄砲の中で私のが最もでかかった。鉄砲ではなく、機関銃タイプだったのだから。
まあ、禁止されているとは言え、このくらいの軽微の違反ぐらいは世間様に迷惑を掛ける訳でもなく、先生も結構寛大であった。そんな中、唯一先生公認でおもちゃを持ってきても良い日があった。それは雨の日だ。外で遊べないからと、トランプや本、小さなゲーム類の持込みがこの日に限っては許可された。梅雨ともなると、それこそ連日のことになる。
当時はまだ、ゲームウォッチも出る前で、携帯できる電子系のゲームなどまだなかった。そのため、ゲームもアナログである。その1つのタイプは将棋やオセロ、ダイヤモンドゲームなど、いわゆるボードゲームをコンパクトに携帯可能にしたもの。そしてもう1つのタイプがポケットメイトを典型とした、小型ゲームである。
ポケットメイトとはトミーが発売した、手の平サイズの小型ゲームである。価格は500円前後だったと思う。おもちゃ屋などでは一角を構え、シリーズの商品が並べられていた。スマートボールやボールを転がす立体迷路、野球、占いマシーンなど、その数は数十種類にのぼったと記憶している。一頃これが流行り、雨の日、学校に持っていくには最適なおもちゃとして重宝された。私はアレンジボールを持っていた。
価格が安価だったのが良かったと思う。もし今、かつてのように「雨の日はおもちゃを学校に持って行っても良い」となると、ゲームボーイや遊戯王カード、それにベイブレードが持ち込まれること間違いなし。女の子は電子手帳玩具か?。その影響で、「買って、買って」とせがまれる親が学校に怒鳴り込むことになるだろう。
(秀)
いよいよ、サッカーワールドカップ開幕。そもそも、それほどサッカーファンでない私でさえも、そわそわ感が大好きで、急いで会社から帰ると、開会式から見ている。今は第一試合、フランス対セネガルの後半20分が過ぎたところ。セネガル1点のリード。
これは別にワールドカップに限ったことではない。オリンピックでも国体でも。あの開会式の余興にいったい何の意味があるのだろうか?。オリンピックではロケット男が飛んだり、お相撲さんが土俵入りしたり。分からん。案の定今回もそうだった。民族的な踊りが繰り広げられた。こんなものは体育祭の創作ダンスくらいで勘弁しておいて欲しい。偉い人の誕生日を祝う、北朝鮮のマスゲームの方がまだ意味が分かるような。
ついでに公式○○というのも分からん。「公式ノートパソコン」。別に選手達はパソコンを使ってサッカーはしない。
さて、間もなく初戦が終わる。このまま前回の覇者フランスは負けてしまうのか?。後半の途中あたりでこの試合に出場していないジダン選手をカメラは何度も映している。ジダンが出場していたらゲーム展開も変わっていたかも。きっとジダンは悔しがっていることだろう。もしこのままフランスが負けるとなると、明日のスポーツ新聞の見出しは「ジダンがジダンだ(地団駄)」で決まりか?。もっと頭使え!。
(秀)
雑誌の付録に付いてきたり、駄菓子屋でも売っていたような気がする。「日光写真」というから、機能にはまったく関係ないものの、箱にはカメラに見立てた印刷が施されていた。その絵も時代とともに新しいカメラのデザインへと変化してきているところがリアルだ。箱の中から、印画紙とネガを取り出す。ネガは1枚に20面分ぐらいが印刷されたシート状で、それをハサミで切らなければならない場合もある(雑誌の付録の場合はそうだったような)。ネガを種紙とも言っていたらしい。
ネガは文字通り、白黒写真となるべき画像が白黒反転して印刷されていて、古くはパラフィン紙、後にセロファン系の素材に変わっていったと記憶している。図柄はアニメ系が多く、あまり細かな線などはない。また、濃淡も単調で中間調の表現は困難。よって、実写系の図柄はコントラストの関係上避けられる。
図案は時代とともに変化する。かつては鞍馬天狗や赤胴鈴之助、それに忍者系といった時代劇ものがあった。その後は雑誌に連載されている漫画のキャラクター。きっとその単調な色調から、「のらくろ」なんていうのは絶好のキャラクターだったと思う。そして親切に、キャラクターの文字も入っていたりした。
私は階段下の蛍光灯にこの日光写真機をかざして数を数えた。印画紙に焼付けられた画像を見るときはいつもドキドキした。こんな感じで、小学校低学年の頃までは身近にあって遊んでいたが、その後ぱったりと見かけなくなってしまった。昭和50年頃が境かと思う。銀塩写真でもそれまでの白黒からカラーが普及し、逆に白黒写真がほとんどなくなってしまった(実際には今でもあるが、今では趣味人が使うぐらい)頃ではないか?。また、家庭用テレビもカラーになり、これまた世の中から白黒が一掃された頃ではないか?。世の中がモノクロからカラーになるにつれ、日光写真が消えてしまったのではなかろうか?。
(秀)
今日は昼間からそわそわしている。会社でも、「○○さんが今日のチケット持っているんだって」という会話が聞こえてきた。席に座っていても、心ここにあらずか。きっと彼は今日、仕事にならなかったはず。午後半休を取って浦和まで出掛けて行ったことだろう。それでも大半の社員(私も含む)は平静を装って仕事をしている。
国によってはその国の代表が戦う日には(実質的に)休日になったり、ワールドカップの度に会社を辞めたり、離婚してまで応援に駆けつけるサポーター達がいるような国に比べると、日本人はやはり勤勉な国民だ。停電により、サッカー中継が中断して暴動が起きた国もあると聞く。それにお抱えの呪術師を持っている国もある。
6時からのキックオフとなると、さすがにテレビを見ていられる時間ではない。ラジオの中継を聞きながら何とか急いで家に帰り着いたときは丁度ハーフタイム途中。後半は点も動き、実に見ごたえのあるゲームだった。ベルギーを相手に2−2のドロー、勝ち点1は見事な結果だと思う。何しろワールドカップ初の勝ち点獲得なのだから。しかしながらゲームが終了した途端にがっかりした人も多かったはず。うちの家人もその一人。
それは後半、稲本のゴールで逆転したため、あわよくば「勝てるかも」、という期待を持ったからに違いない。これがベルギーに先制され、やっと追いついたとなると、「引き分けでも良かった」と思うはずである。サポーターあるいは視聴者は実にわがままだ。しかし、そんな気分を味あわせてくれただけでもうれしいよ。稲本、偉い。良くやった!。パチパチパチ。ありがとう。あの2ゴール目のオブストラクションは残念だったね。
(秀)
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