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<前話からの続き>
私が快適なビデオ生活のために導入した新兵器とは「ハードディスクレコーダー」である。ビデオテープではなく、ハードディスクに画像や音声を記録する。私が買い求めたものはハードディスクの他に、従来どおりビデオテープも録再できるものであるが、消費税込みで6万円ちょっとと、同程度の仕様の機種としてはおそらく一番安い機種だろう。D端子はおろか、S端子もない。あるのはピンプラグの口のみ。番組予約はリモコンに液晶画面がないため、いちいちテレビを点けなくてはならない。また、付属のリモコンでテレビのコントロールも出来ない。だから安い。でもとりあえずはこれで良い。
ハードディスクには最長40時間分の録画ができる。テープがいらない。テープがいらない、ということはテープを探さなくて良い、ということである。録画したものをリスト表示させると、その日時とチャンネルが表形式で表示される。このことはドラマを順番通りに見られることを保証しているようなもんだ。テープのインデックスシールを書くこともないし、この分はテープの置き場所にも困らない。まず、導入の効果はここにある。おまけに、ハードディスクに録画した映像はとてもきれいで、放送中の画面と見間違うほど。ビデオテープに録画したものとは雲泥の差である。ついでに巻き戻しの時間も不要。
この他にも、ハードディスク+ビデオの効果で、ハードディスク側で録画中や予約待機中でもビデオテープは普通に見ることができる。しかも、ハードディスクは録画中でなければ、予約待機中でも録画したものを再生することができる。それにハードディスクだと「追っかけ再生」できる。ハードディスクで録画をしながら、その番組を頭から見ることができる。番組の途中に帰ってきたときなどに、最初っから見ることが出来るわけだ。但しこれはその番組を録画中に限ってのことで、追っかけで見ている途中にその番組の録画が終わり、予約していた次の番組の録画が始まってしまうと、この録画が終わらない限り、前の番組を見ることができない(予約録画中はいろいろと制約がある)。
ハードディスクではなくDVD−RまたはDVD−RWに書き込むものや、ハードディスク+DVD−R(W)ドライブの機種も既に販売されているが、それらは非常に高価であるし、DVD−R(W)の規格が業界で統一されておらず、数年後に見ることができないDVD−R(W)を大量に抱え込む心配もある。おまけにこれらはメディアがまだまだ高い。ましてやビデオがDVD−R(W)に置き換わっただけでは、それから目的のものを探さねばならないとしたら、当初の私の目的は何ら解決していない。
しかし、いざ使い出すと、ちょっと困ったこともある。ハードディスクに録ったものはそのデッキでしか見ることが出来ない。家の中とは言え、デッキを持って部屋をうろうろするものではない。よって、そのデッキが据付られている部屋で見ることになる。「たまにはリビングで見たいなー」、なんてことを考えると不便である。それを解決するには、ホームサーバーを導入し、各デッキをネットワークで結ぶ。個々のデッキではディスクに書き込まず、このホームサーバーのディスクに書き込む。再生するときにはホームサーバーにアクセスし、そこのデータを再生する。私が考えつくくらいなのだから、きっとどこかのメーカーでは既に開発を始めていることだろう。こんなシステムが日の目を見るその日まで、このデッキが無事で活躍してくれることを祈る。
(秀)
今のご時世、学校帰りの小学生のうちの一人が他のみんなの鞄を持たされているとしたら、「いじめ」と反応する確率は非常に高いと思われる。おまけにその鞄を持たされた子はヘトヘトになりながら遅れて歩いてくる。しかし、学校帰りの鞄持ちなんか、昔はよくやったものだ。
人数は4、5人くらいが手頃であろう。全員でじゃんけんをし、一番負けた人が全員の鞄を持って運ぶ。その距離はあらかじめ始める前に決められる。「電信柱3本」とか。電信柱だと、到達点が見えるので、じゃんけんに負けてもそれほど苦にはならない。
私がこんな鞄持ちの遊びを上級生に教えてもらったとき、それは「イヌネコ」という名前(電子柱の場合は単なる「鞄持ち」という名称)で、じゃんけんに負けた者は犬または猫と出会うまで鞄を運び続けるというルールだった。まだ街角に首輪のない猫がうろうろしたり、犬も外で飼われているのが結構いた。「次はあそこに犬がいたはず」と思っていると、急に猫が横切ったり、逆にいつもいるはずの犬がこの日に限っていないなどと、電信柱に比べると不確定要素が大きく、面白かった。土曜日の帰りの鞄持ちは給食当番の割ぽう着や体操服を持ち帰るため、それはもう、大変な盛り上がりを見せた。
やがて家が近づいた者から一人抜け、二人抜けしていく。表通りではケーブルを地下に埋設し、電子柱が消えていく。電信柱ルールではなく、イヌネコを復活させようとも、野良猫は減ったし、犬も家の中で飼うほうが多いようだ。ましてや、はたから見ると「いじめ」に見える、この鞄持ちはそろそろこの世から消えてしまうかもしれない。
(秀)
最近の私のマイブームは「テレキャスター」である。エレキギターのことだ。今手許に2台のテレキャスターと1台の同ボディ&パーツの一部がある。まあ、いずれも安いものばかり。完品として買ったものはなく、パーツごとに買い集めたり、ジャンクや一部難ありのものをレストアした結果だ。テレキャスターというのはフェンダーという米国のギターメーカーが50年ちょっと前から発売し、ほぼそのスタイルを変えることなく今日に至っている。電気系統の構造も比較的シンプルで、自分でレストアするにはなかなか面白い素材だ。
これまでにつぎ込んだ費用を考えると、中古であればちゃんとしたものを一本買えたかもしれない。しかし、自分で手を入れたものには愛着がある。ギターが持つ音の良し悪しよりも、私の場合はいじり倒すことに興味がある。ある人が言っていた。「趣味と呼ぶには、まずそれに百万円注ぎ込んでから」。このルールによると、私はこれまでに趣味を持ったことがないことになる。私なんぞ、かわいいもんだ。しかし、パーツとなるとどうしてこんなに高いのだろうか?。パーツを集めただけでも、店頭に並んでいるギターの倍ぐらいの値段になってしまう。不思議だ。
不思議な話をもう一つ。エレキギターは大きく分けて、フェンダー系とギブソン系というメーカーによって2つのタイプに大別される。まあ、両横綱というわけだ。面白いことに、他のメーカーも独自のオリジナルモデルを出しながらも、横綱メーカーのレプリカモデルを作っている。パーツは独自の設計のものもあるだろうが、デザインは全く同じもの。これを車に置き換えると、トヨタが独自エンジンでありながら、外観はメルセデスベンツやBMWと全く同じ車を作っているようなものだ。日産もホンダも、という話である。
テレキャスターのレストアにあわせて、20年来所有のストラトキャスターのネックも交換した。ゆくゆくは電気系統だけでなく、フレットの打ち直しなんかにも挑戦したいなあ。心新たに教則本も買って、再度ブラッシュアップと思ったが、それにあわせてギターのメンテナンスの本も買った。レストアのための技術ノウハウが載っている。というわけで、ピックを握っている時間よりもドライバーや半田ゴテを握っている時間の方が長い今日この頃。よってギターは相変わらず下手なまま。けど楽しい。
(秀)
←テレキャスター
会社の帰り、最寄駅から自宅まではバスを利用している。210円。歩けば約20分のこの距離、その日は歩いて帰ることにした。たまには運動不足の解消にと、ただそれだけの理由。しかし、先日駅前で見つけた、「ロッテリアシェーキ半額100円」の看板もちょっと背中を押している。
今どき100円というのは、缶ジュースよりも安い。暑い中を歩くのだから、まあ冷たい物でも飲みながら、と。しかもバスに乗るよりは安上がり。先日はカウンターに多くの人が並んでいたので通り過ぎたが、今日は少ない。すぐに自分のオーダーの番がまわって来た。手には110円握りしめ、シェーキ105円(税込み)で抑えるつもりだったが、目の前に置いてあるメニューを見てしまうと衝動を抑えることが出来なくなった。
これがマクドナルドならこんなことはない。ちゃんと105円で店を出る自信がある。何故なら、そこにあるメニューはいつも見慣れたものでしかないからだ。ところがロッテリアは違う。そのロッテリアは駅のバス乗り場から見えるものの、立ち寄ることはまずない。よって、目新しいメニューに興味が湧いてしまう。「ふりたこ」。ロッテリアでたこ焼き?、これは買ってみるしかない。それにフライドポテトにスパイスを掛けるタイプの「フリフリポテト」系に最近凝っている(ファーストキッチンのカレーうどん味が好き)。ロッテリアでは、バターしょうゆ味というのがある。これも買わねば。バナナとパイナップルのパイ、「バナナップルパイ」。ついでにチキンも食べたくなった。しめて、1,500円もの買い物になってしまった。
大きな袋からがさごそとシェーキを取り出し、ストローを口に歩く。5分でカップは空になった。続いてチキン。スパイスの効いたピリ辛系の小ぶりなチキンが2本。これまた歩きながら5分で平らげる。運動不足解消というのはカロリーの消費が目的でもある。しかし、それどころか、この10分間でこのまま数時間は歩きつづけないと消費できないほどのカロリーを歩きながら摂取してしまった。おまけに1週間分以上のバス代をつぎ込んでしまっっている。自宅までの残りの10分間は黙々と歩いた。「ふりたこ」はその日の夕食のおかずの一品として食卓に並んだ。
(秀)
地方政治と言いながらも、長野県政がまさに全国の注目の渦中にある。「田中康夫知事不信任」。その数日前から新聞報道等で不信任案提出、可決の見通し、というのは伝えられていたので、その事実に対してはそれほど驚いてはいない。公正・公平を旨とする報道でも、県議側の弱いものいじめとして、知事側を後押ししているように見えるのは私だけではなかろう。
不信任決議まで挙げ、ダム建設を守りたい県議側は「県民の生命を守るため」と治水目的を掲げる。しかし、その半数が土木関係者という議会構成を見ると、利権に対する執着のようにも見える。知事の話によると、今回中止とした2つのダム建設費が六百数十億円。そのうちの約4分の3が国庫による負担。要は長野県民以外の金(多少は長野県民の国税が還流しているけど)である。こうなると他県ごとと無関心ではいられない。一方、工事費はその約8割を県外のゼネコンが持っていくらしい。この比率の差(25%出して、地元に落ちるのは20%)から県民の金が県外に流失していると、知事は説明するが、流失した80%の一部が地元の下請けへと還流するのは間違いないだろう。
ダムの良し悪しについて私は論じるつもりはない。むしろ今回私が注目したいのは、不信任決議の採決結果である。不信任案に対し、賛成44、反対5。ちなみに、不信任成立には出席議員の4分の3以上の賛成が必要である。県議定員60人に対し、賛否を明らかにしたのは以上の49名。差し引き11人の内訳は社民党系の社会県民連合の7人と県政会の3人が採決の際に退席、残りの1人は病欠。
病欠の一人を除き、59人が採決に参加したとし、賛成がそのまま44人だったとしたら、出席議員の4分の3に達せず、不信任案は否決となった。県政会というのは不信任案を提案した中心会派である。それなのに不信任案に賛成することが出来ず欠席したのだろう。だったら、その前に会派を離脱せよ。社会県民連合の7人に至ってはまとめて意思表示をしない無責任ぶりである。議会が解散となった場合はこれらの議員も再び立候補するのだろう。いったい有権者に対してどう説明するつもりなのだろう。不信任を唱え、テレビなどで袋叩きにあっている県議よりも、こんな肝心の場で賛否の意思表示をしない欠席議員の方が吊るし上げをくらうべきだ。税金泥棒!。こんな議員たちこそ辞職すべきだ。
(秀)
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