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中学3年のときの初の同窓会が行われたのは、卒業から3年後のことだった。高校生が公衆の面前で酒を飲むわけにはいかないため、会場はクラスメイトの家である。そう言えば中学校を卒業するときにもこの家に集まって、飲酒ありでドンジャカやった覚えがある。そこは自動車修理工場を営んでいた。
高校を卒業する時に開かれたその同窓会での話題の1つは「もう免許取ったか?」ということだった。もちろん車の免許である。高校を出て就職するものが多く、そのほとんどが既に免許を取っていた。そうでないものも「今、○段階」と言っていた。教習所で久しぶりに再会したことや、どの教習所?、いつ?、というのが話題の中心である。4月から何をするのか?、どこに就職したかよりもそれが重要なのである。自分は全く蚊帳の外であった。
酔いが醒めて、残っている連中でドライブに出かけることになった。何しろ車の心配は無用である。ガレージには数台の代車が眠っているのだ。その頃は車に疎かったが、クレスタが1台あり、誰もがそれを運転したがった。ぐるぐると市内を周り、とりあえず喫茶店で落ち着くことにした。遠目にみえる、「UCC」のネオンを目指し、3台の初心者車が連なっていた。たどり着いて一同たまげた。そこは喫茶店ではなく、UCCの営業所で、既にシャッターが下りていた。喫茶店にしてはでかいし派手な看板と思ったのは着いてからのことであるが、それ以降も大きく「UCC」とネオンの看板を出した喫茶店には出会えていない。
とりあえず別の店にたどり着くと、うち1台の車の調子がおかしく、正常に帰ることはできないだろう、ということになった。それでも大丈夫。修理工場だから。早速レッカー車を取りに戻り、引いて帰ることになった。よくも狭い田舎の道を初心者が引いて帰れたなあ。
(秀)
今日のコラムのタイトルは長い。しかも、また意味が良く分からない。ところで、水曜日の深夜(通常は23:00)にフジテレビで放送されている、「笑う犬の生活」をご存知だろうか?。内村光良、ネプチューンなど(「など」の人、ゴメン。名前を書いても知らない人が多いと予想されるため割愛)が出ている20分のコント番組である。内容はショートコント数本で構成され、基本的にそれらはレギューラーコントなっており、設定そのまま、ストーリーが1話完結型で展開される。以前書いた「小須田部長」もこの人気レギュラーコントの1つである。
今回の話題はタイトルは忘れたが、ウッチャンとネプチューンの堀内がやる、不良コントである。設定は路上で、1台の自動販売機と1本の電柱の前に不良がしゃがみこんで会話をするというものである。会話の内容やコント自体の面白さはどうでも良い。私と妻には電柱が何よりも面白いのである。しゃがみこんでの会話のため電柱はあまり映らないが、そこには「佐賀の伝統の味 中溝豆腐店」と広告が出ている。この広告が面白いのだ。
何故?。その実在する中溝豆腐店を知っているからである。知っているどころではない、妻の親戚なのである。タネ明かしはこうだ。その豆腐屋の息子がフジテレビで映像効果のスタッフとして働いているのである。電柱の広告は洒落である。かつて豆腐屋のオヤジさんが「最近ようやくスタッフロールに名前が出るようになった」と喜んでいた。妻とは従兄弟だ。私は会ったことがない。ついでを言うと妻の実家はその豆腐屋の隣の蒲鉾屋である。爺さんが兄弟だったらしい。ようやくタイトルの意味が通じたかな?。
(秀)
from.恩ちゃん
from.ようこさん
花火の季節となり、週末となると浴衣姿を目にするようになった。ただ、ちょっと待て。ガングロな子は浴衣を着てはいけない。おまけにその白いキラキラしたパールのような口紅は浴衣には不似合いである。脱色した髪を束ねても、そんな後れ毛にゾクゾクはしない。ピアスをした耳元では携帯電話の改造したアンテナがピカピカと点滅している。彼女たちに限らないが、あの点滅するアンテナを見る度に「私、電磁波タレ流してま〜す」と言っているようだし、相当に有害な電磁波が脳を直撃しているようで怖くなる。だいたいストラップにはジャラジャラとたくさんの飾りがぶら下がっている。
ところで、最近若い子の間で流行っている、目元に塗る、あのキラキラとした化粧はなんと呼ぶのだろうか?。上瞼だけでなく、目の下までキラキラさせている。資生堂あたりがあのようなものを作るとは思えない。マツキヨあたりで売っているのだろうか?。初めて見たのはテレビでMAXがやっていた。それからしばらくすると、女子高生が目元をキラキラさせているのを見た。あれが度を過ぎると、コント赤信号の渡辺リーダーのネタになってしまう(「アニキー」、「待たせたな!」。古くて、スマン)と内心可笑しくなった。さすがにあの化粧を会社にしてくる人がいないことは確かである。
それから、しばらくして、今度はあのキラキラを顔ではなく体に塗った女性を電車の中で見た。年は20才をちょっと過ぎた感じだった。首から鎖骨にかけてキラキラさせているのである。また、よからぬ妄想が頭をよぎった。あんなキラキラを体に付けて、いざコトに至ったら、相手の男性は鼻の頭を始め、顔中がキラキラしてしまうだろう(実際にはその前にシャワーで落とすのだろうが)。その彼女の隣のオヤジの顔を見て、一瞬「ギョ!」としたが、オヤジの顔が光っているのは汗でテカっているだけだと気がついてホッとした。
(秀)
from.なぎさん
地方によっては「型屋」と呼ばれてたりした。紙芝居屋と時期はほぼ同じく、30年ぐらい前(都心部ではおそらく昭和30年代)の話である。1週間に1度とかの割合で、公園をオヤジが巡回して来る、男の子の遊びであった。素焼きで焼いた型に粘土を詰めて、作品を作るのである。オヤジはその型や粘土などの材料を売るのが商売である。型は勲章や飛行機、城に船、鷲の紋章など、それに何故かドクロの顔(黄金バット?)もあった。今となっては何が楽しいのかよく分からないが、オヤジがそれを商売として食っていけていたわけであるから、当時は相当のファンが存在したことになる。
型から作った粘土にはオヤジが売っている、金粉や銀粉、蛍光の粉などを塗って、作品としての仕上げを行う。それをオヤジのところに持っていけば、作品が評価され、それに見合ったポイントカードがもらえる仕組みである。ポイントを貰う上で重要なことはオヤジの機嫌を取ることであり、そのためにはたくさんの金粉を買って使わなくてはならない。何か体に悪そうな感じの粉であった。成分未定。ずるい奴はその辺の田んぼを掘り返して出て来た粘土を使おうとしたりするが、オヤジの眼光は鋭く不正を見破ってしまう。
そのポイントを貯めるとオヤジの出店の店先に並んでいる、それはそれは豪華な作品(オヤジ作)をもらえるのである。しかし、ようやくポイントも貯まって、「いよいよ、来週あたり、あの鷲の作品がもらえる」と思った頃に突然オヤジが来なくなる。とりあえず最初の週は疑うことなく、オヤジはいないもののいつも通りに、同じ様な何人かで残った粘土や素材で作品作りに没頭したりする。やはり、次の週もオヤジは来ない。粘土屋が滅んでいったのは儲からないからという理由の他に、こうして子供達から逃げ回ったあげくに行くべき公園をなくしてしまったからかもしれない。こうして子供は人生のちょっと嫌な部分を学ぶのであった。粘土屋へ払っていた小遣いは授業料かな。
(秀)
私のもんじゃデビューの地は浅草である。雷門の前の道を合羽橋方面(隅田川とは逆の方向)に5分ほど歩くと、かつて昭和初期頃までは日本一の歓楽街であったと言われる、六区にたどり着くが、その手前に「すしや通り」という細い、アーケードの通りがある。その名の通り、寿司屋が数軒並んだ通りであるが、そこに1軒、小さなもんじゃ焼き屋がある。
ここのもんじゃは月島のそれとは違う。そこの店のもんじゃには、あまり具が入っていないのだ。メインは小さいクズクズになった、そばである。「元々、もんじゃは子供のおやつで土手を作れるほどの具なんか入ってなかった」と言うと、おばさんは途端にかき混ぜた生地をザーッと鉄板全体に流してしまう。確かに説得力があり、そもそものオリジナルのスタイルはこんな形だったような気がする。鉄板の生地に向かって、「の」の字にソースを垂らすことはなく、焼く前にソースの類は混ぜ合わせ、味付けは終えておくのがここの作法である。
この店は一部セルフサービスである。オーダーは机に置かれた伝票に自分で書かなければならない。そして、もし、もんじゃ初心者であれば、その伝票に「初」と書いて丸で囲むルールになっている。するとおばさん(おじさんの場合もあり)がさっきのような口上とともに、もんじゃの焼き方を教えてくれる。結構いろいろと作法にうるさいが、それが楽しかったりする。特にソースの分量、入れ方にはうるさい。
この店は非常に小さな店で、テーブルはわずか4卓しかない。通い始めた頃はそうでもなかったが、いつの日かHanakoあたりに載ったらしく、おばさんが得意そうに雑誌の切り抜きを見せてくれた。それを境に店の前に縁台を置いて人を待たせるほどになってしまった。
もんじゃの煎餅というのがある。生地を流した最初のうちにできる、薄い焼けこげのことである。上級者になるとこれが大きくでき、切れない状態でクルクルと内側に巻き込み、「筒焼き」というものになる。隣のテーブルを見るとまさにその筒焼きが大きく作られていた。早速挑戦したが、そううまくいくものではない。「あのお客さんは、これまで払った授業料が違うから」とおじさんが言った。常連さんということらしい。
(秀)
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