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「春が来た。少年は眠いどころではなかった」。確か、こんな書きだしだったと思う。気になっていながらも、いつもは忘れていたものが、何かの弾みで、急にまた気になりだして来る。そんなことがないだろうか?。私の場合はよくある。中学校の国語の時間に習った「あこがれ」をもう一度読みかえしてみたくなった。そもそも当時から好きな短編小説だった。
その作品が載っていたのは東京書籍発行の中学三年国語、「新しい国語」(確か、「上」)だった。私が中学三年だったのは、昭和56年のことだが、その後家庭教師のバイトをしていたときにも見かけたので、昭和62年まで載っていたのは確認している。中学生の少年が主人公で、話の中で一つ年上の隣に住む女性と、父親に対する二つのあこがれが描かれている。この年頃の男性は年上の女性を好む傾向にある。
ふと、これを読みたかったことを思いだした。読みたくなったと言っても、その教科書が今も手元にあるはずない。インターネットで検索してみる。あいにく東京書籍のホームページでは教科書の中身までは紹介していない。それに、今はもう載っていないかもしれないし。作戦を切り替え、検索エンジンで「あこがれ 中学 国語 東京書籍」で検索してみたがヒットしない。今度は「あこがれ 中学 国語 東書」で検索。すると、教員向けの指導用テキストを販売している会社(東京書籍とは別)のサイトに、「『あこがれ』(阿部昭 東書・中3)の授業」という文字を発見。もちろん、作者名など覚えていなかったが、作者が分かり、「あこがれ 阿部昭」で検索を続けた。
運良くこの短編が収録されている短編集のタイトル(「阿部昭 18の短編」)まで分かった。以前も同様にCDに関する情報を探していたときに最も有力な情報はそのアーティストのファンが運営している個人のサイトだったが、今回も個人の読書記録を載せた日記系のサイトがこの短編小説集の名前を教えてくれた。陰ながら感謝。そしてインターネットの奥深さに改めて驚く。
既に絶版ながら、この本をインターネットで古本屋から購入することが出来た。この間、最初の本探しから約30分。本当に便利な時代だ。そして今日、その本が届いた。「春が来た。ところが、少年はねむいどころではなかった」、というのが正しい冒頭だった。これより、懐かしさを胸に頁をめくろうと思う。
(秀)
フジテレビの27時間テレビの企画として「東京物語」がリメイクされ放送された。興味があり、ビデオには録ったが、まだ見ていない。見たい気持ちはあるものの、ちょっと気持ちを押し留めるものがある。その前にもう一度オリジナルを見ておこうと思った。
オリジナルとはもちろん、巨匠小津安二郎監督が昭和28年に撮った、映画「東京物語」のことである。現代リメイク版を見る前にビデオでもう一度オリジナルを見ることにした。今見返してみると新たな発見もあり、改めてこの作品の奥深さにふれる事ができた。
尾道に住む老夫婦が東京に住む息子や娘を訪ねて上京する。世間的には立派に出世した子供達(長男は開業医、長女は美容院を経営)を持つ老夫婦は幸せである。しかし、実際に東京で彼らに会ってみると、それぞれが自分の生活に追われ、父母のことを半ば邪魔者扱いにする。そんな中、父母に最も親切だったのは実の子供ではなく、戦死した次男の嫁であった紀子(原 節子)だった。そして、東京から帰った直後、母が急死する。
小津監督が描きたかったのは「家族(愛)」であったろう。しかし、皮肉なことに小津監督は生涯独身だった。サザエさんの長谷川町子さんもそう言えば生涯独身だった。だからこそ描くことのできる家族像というものがあるのだろう。共通点は大家族である。こじんまりとした4、5人の核家族ではなく、大家族である。
主演の笠 智衆はこのとき49歳だったと知って驚いた。と言うことは、つごう40年近く、老人役をやっていたことになる。恐るべし。役の上では70歳の設定。姿もそうだが、立ち居振舞いからしても70歳として全然違和感がない。年老いてますます笠 智衆に似ていく我が父親を思い出し、ちょっと目頭が熱くなる。見る者にもそれぞれの家族愛がある。
<次話につづく>
(秀)
映画「東京物語」には冗長的な部分がない。くどいような説明のシーンはなく、今見てもじれったく感じることなく、各シーンがテンポ良く切り替わる。そして、細かな演出も見られる。上京してきた父(笠 智衆)が息子(山村 聰)に昔近所に住んでいた人が東京にいるので、訪ねてみたいと言うシーンがある。そのとき父は住所を「ダイトウク」と読む。普通に「タイトウク」と読ませれば良いものをわざわざそう読ませる。一方、息子はそれを訂正しようとはしない。訂正させるくらいなら、わざわざ間違って言わせる必要などない、ということだろう。
私は今回、それが台東区でなくてはならない必然性を発見した。中野や杉並では容易く読めてしまう。読めないところに東京との距離感を表現したかったのではなかろうか。また、老夫婦が滞在したところが、山の手ではなく、下町であったがために、父が一人でこの友人を訪ねさせる設定から、下町の台東区である必要があったと思う。同じ下町でも荒川区は易しすぎ、葛飾は逆に難しすぎて、毎年年賀状を書くからにはなんと読むか事前に調べているであろう。台東区は文字がやさしい分、誤読の可能性が高くなる。
一方、上京中の老夫婦の滞在先が下町であることについてである。この映画にはナレーション、登場人物の心の声など一切ない。予備知識がないと、最初、原 節子が次男の嫁であることなども分からないほどだ。よって、滞在先の住所がどこであるかを具体的に明示するシーンは登場しない。唯一の手掛かりは四本の煙突。長女しげ、の家が登場するシーンの前に数回この四本の煙突が登場する。最初この映画を見たときに私はこの意味を理解していなかった。と言うか、そんな煙突シーンなど記憶すらしていなかった。これは昔、千住(東京都足立区)にあった火力発電所の煙突だ。この四本の煙突は見る位置によって、一本から四本に見えたりするので、「おばけ煙突」と呼ばれていて親しまれていたそうだが、昭和39年に廃止されている。
当時このおばけ煙突がどれほど全国的に有名なものだったのか、残念ながら知る由もない。ほんの数秒しか映らない、この煙突シーンが「千住ですよ」という場所を明示するメッセージとしてうまく機能したのだろうか?。そういう意味で、この映画は翻訳され、海外でも高い評価を受けているようだが、そのタイトル通り、東京ローカルな映画だということになる。「こういうところもちゃんと見てくれよ」、という監督からのメッセージなのだろうか?。煙突からはもくもくと煙が出ている。長女のしげが老夫婦を煙たがっているという暗示だとしたら、ちょっといやらしい気もするが。
<次話につづく>
(秀)
「神が与えた声」とか、「百年に一人の歌声」などともてはやされている彼女であるが、そろそろ旬を過ぎてしまっている。そもそも「百年に一人の歌声」とは誰が決めたキャッチフレーズなんだろうか?。それじゃあお前は彼女の前の「百年に一人の歌声」が誰だったか言えるのか?。
彼女の実力は私も認めるところである。しかしながら、実力があるものが常にその地位を維持できないのが芸能界である。もちろん、逆に実力がなくても存在できるのも芸能界ではあるが。あの歌声ももう飽きただろう。特異な声であるが故の悲劇と言えよう。それにあの妙な振り付けと衣装にも。
そして何よりもあの歌声は真似ができない。カラオケで歌おうにも難しいし、うまく歌えたところで盛り上がらない。おまけに私個人としては聞きたくない。まず一曲目は名刺代わりに歌声を。それはインパクトがあり成功した。しかし、二曲目以降も同じように歌声で聞かせるのは難しい。飽きてしまうからだ。
伝統芸能として生きるべきか?。アルバムが出たそうだが、「ワダツミの木」だけでもうお腹一杯。ごちそう様。そんな連続してあの歌声を聞いて癒される気にはなれない。そのうち、「こんな歌手いたよね」と言われるのは時間の問題。とりあえず、現時点では21世紀最大の一発屋として私は記憶することにした。まさに、「百年に一人」。
(秀)
おもちゃメーカーバンダイが同業のツクダオリジナルを買収したというニュースが飛び込んできた。買収金額4億5,000万円。意外に小さい会社だなあと思った。あのベルのマークの会社として親しんできたが、近年はヒット作もほとんどなく、苦戦していたようだ。これまでツクダオリジナルの株式を保有していたのは、玩具卸のツクダという会社だった。まったく馴染みがない。製販分離の親子関係の会社だったようだ。
ツクダオリジナルと言えば、まず第一に「オセロ」であろう。'73年のデビューでまさに一世を風靡した。兄弟がいる家では一家に一台の確率であったような。非常に単純なゲームであるため、簡単に模倣品が出てしまった。それでも「オセロ」は登録商標であったため、模倣品は「リバース」や「リバーシー」などと名前を変え、白黒がいけないんならと、赤白といった変なものまで登場した。
続いてのヒット作は「スライム」。得体の知れない、アメーバー状のジェル。冷たくてどろりんとしたあの質感が懐かしい。しかし、このおもちゃは触るだけで他に遊びようがない。そのうち手垢で汚れ、ジェルの中につぶつぶの様なものができ始める。私は台所の排水溝から捨ててしまった。これまた、偽物が大量に溢れた。オリジナルが非常に高価であったのが原因だろう。模倣品のネーミングは「ペタペタ」、「アメーバ」など。
そして、私の記憶にとどまっている最新のヒット作は「ルービックキューブ」。これまた周りで大流行。一時は物不足にまでなった。そして、その物不足の間を突いて、これまた模倣品が登場。模倣品は粗悪で、滑らかに回らなかったり、ブロックが外れたりするのもあった。
以上のように、私が知る限りのツクダオリジナルの歴史はそのオリジナリティ故に、常に模倣される歴史だったと言えよう。「オリジナル」とは皮肉な社名だったね。
(秀)
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