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第86話 〜1999/8/19〜

■最後の晩餐

 「そろそろ限界である」。そう思ってついにこの日を迎えた。茂雄(仮名)は妻聖子(仮名)に殺意を抱いている。茂雄は聖子の何でもよそと比較し、そちらをうらやましがる、そんな性格を許すことができなかった。マンションを買った時もそうだ。引っ越してまだ間もないのに「隣の部屋の方が間取りが良かった。日当たりも良い。風水が...」とため息混じりに、またある種ヒステリックにまくしたてる。隣が車を買った時も、彼女のせいで、欲しくもない左ハンドルの車に乗る羽目になった。

 そしてついに聖子が隣の旦那と俺を比較する様になった。隣の旦那は歯科医だ。おまけに背も高く、若い。もちろん金も持っている。最初は「あ〜あ。私も隣のご主人みたいな人と結婚すれば良かった」と言う程度であった。それぐらいならまだ許せた。ところが、最近の聖子の何気ない不自然さから、茂雄は聖子の歯科医との浮気を確信し、探偵を使ってついにその証拠を抑えた。

 「あなたが食事の用意をしてくれるのって、いつ以来かしら?」。聖子は何も知らずに喜んでいる。茂雄は彼女のもがき苦しむ姿を想像し、遅効性の毒薬をインターネットで入手した。そして、毒をスープに仕掛けた。「わあ、おいしそう」。テーブルに並んだ料理に聖子も満足そうである。「ワイン出して来るから先に食べていて。冷えるとおいしくないから」と言って踵を返すと茂雄は感情を抑えるのがやっとであった。ワインを持ってテーブルに戻ると、聖子はスープを飲んでいた。けど、まだ何も起きていない。「あなたも早く座って」。乾杯を済ませてようやく自分もスープを飲み出した途端、茂雄は急に胸が苦しくなった。「ずるいわ。私のにはニンジン多かったし、あなたのスープのほうがおいしそうだったから取り替えちゃったわ」。遅効性とはいえ、量を惜しまなかったため、聖子の言葉を最後まで聞くことなく、茂雄の作戦は失敗した。二人にとっての最後の晩餐であることだけが予定通りであった。

(秀)

※本コラムの原作は以前インターネットで行われていた、「勝ち抜き小説合戦」に投稿されていた作品です。タイトルとストーリーの表現部分などはオリジナルです。


第87話 〜1999/8/20〜

■こんにちは赤ちゃん

 読者の小須田君(仮名)のところに赤ちゃんが生まれた。女の子である。しっかり前から名前を決めていたらしく、わざわざクイズにして何と読むかとメールで知らせて来た。「読めない!」。答を聞いて、「ちょっと無理な読み方じゃないか」とコメントしておいた。

 所詮他人の子供のことなので、これぐらいにしておくが、逆に自分の子が一番可愛く思えるのも事実である。しかしそれは客観的にその子が可愛いわけでない。よく、「こども好き」と公言する人がいるが、あんなもん、私に言わせれば嘘である。他人の子供なんか可愛いはずがない。確かに私も以前は「こども好き」のつもりで、甥や姪の面倒をみていたりした。しかし泣き出したり、面倒くさくなったら親に返してオシマイなのである。子供にとっても、たまに来て小遣いをくれる、良いおじちゃんといった具合に、お互いに良い時だけの付き合いで悪いところをまだ見ていないのだ。そういうわけで、いざ、親になると自分の子供が精一杯で、他人の子までも「こども好き」とは言えなくなる。たまに小遣いをあげる事はできても、他人の子の衣食住全てを賄う気にはなれない。自分の子が別格となって当然であろう。他人の子が可愛いと思えるようになるのは、相手が女の子だったとして、その子が中学生や高校生になった頃だろう。(意味が違うけどね)

 だから年賀状で子供の写真を送られて来ても、他人の子を可愛いとは思えない。かつて自分も同じことをやっていた口であるが、いざ自分がその様なハガキをもらうようになると、その人にとっては可愛いと思えない、所詮他人の子の写真を送っていたかと思うと急に恥ずかしくなり、それを境に止めた。ついでを言うと、「結婚しました」と幸せそうな二人の写真が、しかも全然タイムリーでなく、年賀状で送られて来たりすると、送った側はハッピーかもしれないが、受け取った方では所詮他人事だったりするから、これからの人は注意するように。

(秀)

from.萬ちゃん
from.Yukinoさん

第88話 〜1999/8/23〜

■サルゲッチュ

 日本の標準語では現在進行形と現在完了形の差異を表現することが難しい場合がある。「雪が降っている」。これでは今まさに雪が降っているのか、朝起きたら雪が積もっていたのか分からない。もちろん、後者は「雪が降っていた」などと別の表現を使用することもあるが、会話などで出る言葉としては、やはり、「雪が降っている」というのが一般的だろう。ところが、方言となるとこのあたりの表現は明確で、使い分けられている。私の地元の場合、現在進行形を「雪の降いよっ」と、現在完了形を「雪の降っとっ」と言って使い分ける。ともに「の」は文法的には主格の助詞であり、普通に言えば「が」に置き換えられる。ただ、これだけの言葉があるにもかかわらず、いかんせん九州のため、雪が降ることは少なく、あまりこれらの言葉を使用する機会はない。

 私の地元では、ぶらぶらと歩くことを「さるく」と言う。もし、お見合いの席か何かで「このあたりを歩きませんか?」というのは「この辺、さるきません(か)?」となる。これを東京で使ってみよう。すると相手には「この辺に猿は来ませんか?」と聞こえているだろう。よって、「この辺に猿は来ません」と答えるはずだ。ちょっと前なら「麻布あたりなら来ますよ」となったかもしれない。

 そう言えば、先頃麻布近辺に出没し、ついに捕獲された猿に関して、巷であれは「ソニーの陰謀」という噂が流れたらしい。

(秀)


第89話 〜1999/8/24〜

■サラリーマン再生産

 読者諸氏も小さい頃から「サラリーマンになりたい」と願って、今に至っているわけではないだろう。第一、子供にはサラリーマン、特にホワイトカラーが会社でどんな仕事をしているか知る由もないため、なかなかそのような希望を抱く事はない。これはきっと、圧倒的多数でありながらも、NHK教育の「はたらくおじさん」でホワイトカラーサラリーマンの仕事ぶりが紹介されなかったことが原因だと思う。一方で、ドラマに出てくるサラリーマンというのは上司にペコペコ、酒の勢いで愚痴をこぼし、家に帰っては家族に疎まれている。こんな状況では父親への尊敬など程遠い。

 憲法第22条でいくら「職業選択の自由」が保障されていようと、そんなものが欺瞞でしかない事に我々は既に気付いている。誰もが希望職種につけ、希望する会社に入社できる様にとまでは言わないが、実際には門閥による差別は歴然と残っている。歌舞伎役者ははやり梨園に生まれない事には無理である。しかも男性でないといけない。それが伝統いう壁で守られ、尊重されているのは、この憲法の精神に反しないのか。もちろん、世の中にどれほどの人が歌舞伎役者になりたがっているかは別で、こんなことは大勢に影響ないだろうが。

 それでは子供の頃は何になりたかったのだろうか?。男の子は警察官やパイロット、電車の運転手。それにスポーツ選手(その当時はほとんどが野球)というのが多かった。女の子ではお店屋さんが多く、その他では看護婦。そして、お嫁さんという答えもあった。こんなことを言っているのはいつ頃までであろうか?。自分の記憶をたどると、小三の時点で「エジソンのような人になりたい」と学校の文集に書いたことを覚えている。もしその通りになっていたら、今頃は2003年に向けて鉄腕アトムを作っている最中だったかもしれない。多くの友達が「野球選手になりたい」と書く中、中途半端な現実感がある夢だったが、現実はそうなっていない。

 塾帰りの子供達を会社帰りに見かけたりする。「よくもまあ、こんな時間まで元気だな」と思いながら、この子は将来何になりたいのかが気になったりする。ピアノやスイミングに通わせて、音楽家やオリンピック選手にしようという親は少ないだろう。しかし、学習塾となると具体的な真剣味が出て来る。受験に受かる事であり、良い会社に入る(入れる)ためである。しかし、そのあげくが一介のサラリーマンというのは、ちょっと悲しい。

(秀)

from.直くん


第90話 〜1999/8/25〜

■藤田

 8月24日。宵のうちから激しい雷となった。先に会社を後にした同僚から「山手線が止まった」との連絡が入った。ブラインドを上げ、外を見た瞬間、「ピカッ!」と閃光があり、「ゴロゴロ」という音も聞こえた。かと言ってしばらく会社で時間を潰したところでおさまる気配も無いため、会社を出る事にした。進行方向の遥か先、品川の方で盛んに光っている。そして、泉岳寺の駅にたどり着いた途端にこれまでにないほどの大きな音とともに地響きがした。「さっきのはでかかったぞ」と思いながら、けどこれってどう表現すればいいのかという疑問が生じた。「雷の単位ってあったっけ」。

 自然界に数多ある気象現象には単位が存在すると相場が決まっている。雨量も風速も気圧も、地震にだってある。日本ではあまり馴染みがないが、本場アメリカでは竜巻の強さにもちゃんと単位があるのだ。表記は「F」と書く。研究者のイニシャルから来ている。その名は「藤田」。しかも「テツヤ(字は不明)」だったと思う(一部でバカうけ)。意外なことに日本人である。強さに応じて、1〜5までの数字が与えられる。「1藤田」、「2藤田」というわけだ。地震の単位(震度)に似ており、家が壊れる程度ならいくつ、牛が飛ぶとき(アメリカらしい)はいくつ、車も飛ぶ時はいくつと決められている。各単位毎の竜巻の持つエネルギーも示されている。

 さて、雷の話に戻るが、問題の単位は存在するのだろうか?。仮に単位が存在するとしても当事者間で共通のものさしがない状態では会話にならないのは確かである。詳しくは今度調べてみるとして、今日のところは「高木ブー」という単位にしておこう。駅にたどり着いた時の落雷は「3高木ブー」程度か。表記上は「3B」。これなら雷も恐くないね。

(秀)

※雷の単位が電気と同じ単位の「ボルト」だったらつまらないなあ。

from.それいけぴょんた
from.Tetsuyaさん

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