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第936話 〜2003/2/4〜

■うるう曜日(3)

<前話からのつづき>

 例の閣議の翌日だから、金曜日ということになる。官邸をはじめ、マスコミなどに同じような内容のメールが次々に舞い込んだ。「バカげたことを言うんじゃない!。何が『うるう曜日』だ。コンピュータはどうなるんだ??!」。そのメールの最大公約数はこんな感じだった。中には冷静にコンピュータのカレンダーの曜日が『うるう曜日』以降、合わなくなってしまう事や、それを修復するための修正プログラムなどでどれほどの費用や社会的な影響が出るかを説明して来るメールもあった。「コンピュータ『うるう曜日』問題」の勃発である。

 メールの内容がようやく理解できた官房長官は予算委員会に出席中の総理にメモを差し入れ、総理は事態が呑み込めないものの、休憩の合い間に委員会室を抜け出した。「官房長官。いったい何の騒ぎだ?!」。「総理大変です。例の『うるう曜日』の件で、コンピュータに多大な影響が出ることが分かりました」。「何????」。その後は総理大臣秘書官が説明を続けた。「それで、対応策はあるのか?」。「影響の深刻さとしては2000年問題のときほどには及ばないと思いますが、あのときは事前に数年前から準備ができていました。今回はその期間が短すぎます。最近のコンピュータであれば、修正プログラムでカレンダー部分の書き換えは可能ですが、初心者には難しすぎてほとんど無理だと思います」。

 「コンピュータ『うるう曜日』問題」はマスコミの格好の餌食となった。影響はコンピュータだけではなく、ビデオデッキにも及ぶ。予約録画のカレンダーがズレてしまう。これは部品を交換しないことには対応できない。この不況期に新しい需要が期待できるわけでなく、対応のコストだけが出て行くため、コンピュータと家電の業界はこぞってこの『うるう曜日』に反対を唱えた。国民のほとんども、「わざわざ余計な事をして!」と怒っている。内閣支持率は急激に落ち込み、20%を割った。

 一方、アメリカで『うるう曜日』の実施のことを知る人は意外に少なかった。それを良いことに、大統領は振り上げたこぶしをそっと下ろして、実施を取り消す決定をした。結局我が国も『うるう曜日』の中止を取り決め、告知した。しかし、責任問題は残る。国会は会期中ながら、予算案が衆院を通過した時点で、野党は内閣不信任決議案を本会議に上程した。世論の後押しもあり、今度ばかりは野党に風が吹いている。「思慮が浅く、これからのIT社会に対応できない人々」と決議案の中で謳われ、レッテルを貼られた彼らは本会議の採決で決着を図るか、その前に総辞職するべきかを決めるために閣議に臨んでいる。木曜日の午前中の官邸。議論が長引いているのか、午後からの衆院本会議まで、残されてた時間はわずか。一足先に、そこにはかつての内閣府官房長の姿はなかった。

●この話はもちろんフィクション

(秀)


第937話 〜2003/2/5〜

■だめんず

 「だめんずうぉーかー」という漫画が「週刊 SPA!」に連載されている。このタイトルが「メンズウォーカー」の語呂から来ているのは安易に想像できるが、意味においては全く逆である。「だめんず」とはダメ男たちと言うことだ。ところがこの漫画の主人公は女性である。ダメ男につまづいた女性たちの体験談が漫画になっている。現にこの漫画の作者自身もそんな女性の一人だったようだ。

 登場するダメ男というのは、仕事をしない、暴力を振るう、嫉妬深いなどの特徴を持っている。中には犯罪スレスレ、いや、明らかに犯罪と言うべき状況もある。そんな男達と別れた過去の話として展開されるが、同じ人が繰り返しダメ男につまづくケースがこれまた非常に多い。そもそもここに登場するようなケースではそのダメ男が悪い。「よくもまあ、こんな男と付き合ったなあ?!」とあきれるが、それが一度ではなく、二度三度と続いているところを見ると、同情の気持ちなどなくなり、「ああ、この人はダメ男好きなんだ!」と思うようになった。

 あまりそんな事例は自分の身の回りにはないが、テレビなどのマスコミではここ数日、盛んに伝えている。梅宮アンナの離婚の話だ。わずか1年4ヶ月でのスピード離婚。それまで付き合っていた羽賀研二が借金まみれであったこと(羽賀の浮気話もあったような)で別れ、その直後に青年実業家との交際が明らかになった。羽賀研二に比べると、今度は良い相手と思えたに違いない。しかし結果として結婚した相手は定職につかず、子育ても手伝わず、「だめんず」だった。そして、離婚。バブル崩壊前後にはこんな青年実業家が掃いて捨てるほどいたに違いない。

 ダメ男好きの女性たちが男を見る目がないのか、ダメ男好きなのかは分からないが、結果としてダメ男に続けてつまづく傾向にあるようだ。梅宮アンナがいつか再婚や恋愛報道をされた際に改めてこの説を検証してみたいと思う。

(秀)


第938話 〜2003/2/6〜

■トリビアの泉

 笑いとは微妙なものである。ときとして、くだらないものが面白かったり、馬鹿馬鹿しさがまた笑えたりする。そして何が面白いかは各自のセンスに大きく依存している。テレビの深夜番組というのはゴールデンタイムのように万人に受けるものではなく、それこそ睡眠との時間の兼ね合いで貴重な時間を費やしてまでもその番組を見るのかという葛藤がある。しかしそこには、くだらなさや馬鹿馬鹿しさ故に、ツボにはまってしまう番組がぽつぽつと存在していたりする。

 フジテレビの月曜深夜に「月深」という時間帯がある。30分番組×3本で構成されている。その最後の30分部分(25:40〜26:10)に放送されている「トリビアの泉」という番組について話をしたい。トリビアとは「無用な知識」という意味で、このつまらない知識を紹介し、品評する番組である。「人間は『無用な知識=トリビア』の数が増えることで快感を感じることができる唯一の動物である(SF作家/アイザック・アシモフ)」という言葉がこの番組の基調になっている。

 司会(トリビアプレゼンター)は高橋克実(「ショムニ」の人事部長)と八嶋智人(三谷作品によく出る、小さい人。現在「美女か野獣」に出演)の二人。この人選の微妙さが既に私には面白い。下手な若手芸人でないところがうれしい。5人のパネラーに対して、司会の二人が視聴者からの投稿のネタを披露する。中身は番組のタイトル通り、無用な知識だ。その加減が微妙でなくてはならない。あまりにも無用過ぎたり、ごく限られた人しか知らないネタではいけない。

 ネタに対してパネラーは感心した度合いに応じて手元のスイッチを盛んに叩く。一人当たり20回までカウントされ、それぞれのネタは100点満点で評価される。この点数の単位は「へぇ」と呼ばれる。100へぇ満点で賞金は10万円。それ以外の場合は1へぇ当り100円となる。番組では投稿者からの内容を紹介しながら、その確認VTRを流すとともに、取材過程で明らかになった「補足トリビア」も合わせて紹介される。この「補足トリビア」も結構重要で、それでパネラーが笑いながらスイッチを叩きまくるときもある。

 そして毎回放送の中で最高へぇを獲得した人には賞品として「金の脳」のオブジェが贈られる。脳みその形をしたそのオブジェは中を開くと、これまた似た形のメロンパンが納められている。正体はメロンパン入れなのだ。私はこの馬鹿馬鹿しさが実に好きだ。この他にも高橋が最も個人的に気に入ったトリビアには特別賞として、「銀の脳」が贈られる。金よりは小振りで、これを5つ集めると金の脳と交換も可能だ。

 無用な知識を書き記すこのコラムも、この番組には驚いた。そのトリビアのいくつかを紹介してみよう。「『できるかな』のノッポさんはしゃべったことがある」、「小便少女もいる」、「(ゲゲゲの鬼太郎の)目玉のオヤジは目を閉じて寝る」、「石立鉄男の声だけを集めたCDがある」、「タモリとみのもんたは同じ誕生日である」、「パパイヤ鈴木は昔ディズニーランドで踊っていた」、などなど。まさに、「だから何なんだ?」の世界であるが、この加減が良い。かなりの深夜ゆえ、改めてビデオの有り難味に感謝。ところで、これまでの放送内容を紹介しているサイトがあるというのも笑える。検索エンジンで探してみれば。

(秀)


第939話 〜2003/2/7〜

■京葉線通勤快速途中停車

 受験シーズン真っ盛り。勉強の追い込みの傍ら、健康管理に気を遣わなければならないこんな時期の受験というのはいつ思っても過酷なものだ。このために上京した受験生なんか、試験当日に会場にたどり着くだけでその日のエネルギーの40%ぐらいは使い果たしてしまうのではなかろうか?。それほど、アウェーにはハンディキャップがある。

 二日ほど前の新聞に試験会場に向かう女子中学生が逆方向の、しかも通勤快速電車に乗り間違えたが、JRが温情でその電車を途中の駅に停車させたという記事が載っていた。ちなみにこの京葉線通勤快速電車は30数分にわたって停車しない。乗り間違えたことに気がついて泣き出しそうになった少女を見て、周りの乗客がその少女を満員の車両の中、車掌のいる最後尾の車両まで連れて行き、車掌と交渉したらしい。結果、その車両を停車予定ではない駅に停車させ、車掌室の扉から少女を降ろした。

 この記事はいくつかの複数の新聞で取り上げられていたようだ。記事として書くからにはそれなりに書く側の意志があるに違いない。この記事に登場してくる様々な人々を自分に置き換えてみた。もし、自分がこの電車の車掌だったら。規則通り、少女をなだめこそしろ、規則から逸脱して電車を止めることができたか、疑問である。サラリーマン根性が身に沁みてしまっているようだ。一方、乗客の場合だったらどうか。「電車は止められないもの」という固定観念から、車掌と交渉してみるという気も起きなかったろう。ましてや、満員電車の中を移動してまでは。

 今回の記事はJRを称える内容のものだが、私は一番の立役者は周りの乗客たちだったと思う。車両の中にで混在した中を移動して、「何だよ!」と嫌がられたりしたことだろう。これは私の想像であるが、目の前で自分の娘と同じ年格好の少女が泣き出しそうになったら、居たたまれないだろう。もしそうだとしたら、私もその瞬間、この少女のために何とかしてやりたいと思うかもしれない。ちょっと勇気を貰った。朝、寝ボケ眼で、疲れきってつり革に掴まっているお父さん達にもそれぞれの家族があり、他人でありながら、その他人のために一生懸命になってくれる人々の存在を感じ、うれしくなった。固定観念の打破と説得力。

(秀)


第940話 〜2003/2/10〜

■アトム間近

 21世紀始まって最初の近未来らしいビックイベントは「アトムの誕生」だった。21世紀という言葉の響きに憧れに感じていた頃から私にとってはそうだった。そしていよいよその誕生のときを今年迎える。2003年4月7日、彼は誕生することになっている(いた)。手塚治虫氏がこの漫画を書いていたときには、「その頃には?」という期待があったのだろうか?。しかし、現実にはアトムの誕生にはもうしばらくの時間が必要なようだ。それでもどこかで、あんな風に空は飛べくても、十万馬力はなくても、あのいでたちで二足歩行でき、簡単な会話ができる程度のロボットを誰かがこっそりと作っていて、4月7日に華々しく発表するんではないかという期待を捨てきれないでいる。

 このアトムの誕生にあわせて、アニメも復活するらしい。アトム世代には喜ばしい話であろう。アトム世代というのは40歳代後半から50歳くらいか?。よって私はアトム世代ではない。アニメの再放送もやっていたかと思うが、あいにくそれを見ていた記憶はない。かろうじて、「ジェッターマルス」というアトムの焼き直しのアニメが放送されていた頃に少年時代を送った。これは西暦2015年という設定だった。

 さて、アトムの再アニメ化についてであるが、世間的には話題性もあり、最初はそこそこの注目を浴びるだろう。ところが、その復活を一番喜んでいるであろう、アトム世代のおじさん達が毎週毎週テレビの前に座って、アトムを見るとは思えない。ビデオに録っても同じだ。アトム世代の子供達となると、ちょうど20歳前後がほとんどではなかろうか?。よって、子供と一緒になってアトムを見ることもなかろう。孫と一緒に見る世代でもなかろう。アトム世代とはちょうど、アニメを見る子供の層が抜けた家族構成の世代ということになる。視聴率のことを思うとちょっと心配だ。

 新しいアトムは今頃の子供達に受け入れられるだろうか?。アニメーションの技術はこの間、目まぐるしい進歩を遂げた。きっと、これまでにない美しい映像を届けてくれることだろう。しかしそのために懐かしさの匂いが消えていたら、ちょっと寂しいかな?!。

(秀)


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