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通販で何か物を買うとする。実際に物が届くまでの間も楽しいが、それ以上に、「買った(買う)からにはすぐに手に入れたい」という気持ちが遥かに勝っている。できるものなら現物を見て、その場で持ち帰りたいと思う。このために、例えば秋葉原の街をグルグルと目的の商品の在庫を持っている店を探し回る。やっと見つかっても多少高いかもしれない。そしてその価格差が持ち帰りできる満足度に見合うかどうかを判断する。
大きなものや高額なものになると、なかなか即持ち帰れないものが出てくる。車なんかまさにそうだ。実印や保管場所証明書(もちろん、所轄警察署での決裁が済んだもの)などの必要書類を全部携えて、カーディーラーに向かい、ショールームにある展示車両を指差して、「この現品でいいから、明日ナンバー付けて持って来て!」と言ってみたいものだ。もちろん現ナマも添えて。そういうことに先方がそもそも対応してくれるかどうかは分からないが、通常新車の場合、数週間や条件によっては一月以上も待たねばならないことがざらだ。
というわけで、私も先月末に新車購入の注文を出しながら、納車は3月1日ということになった。不景気で販売状況が芳しくないなら、車は余っていそうだが、それにも増して生産を絞り込んでいるようだ。ラインを縮小するということを考えると、5.数パーセントの失業率というのもリアル感が増してくる。今頃は生産ラインに乗っているのだろうか?。
2台目の車を買ったときだから、15年前のことになる。中古で買ったスカイラインの次に買ったのは「アルト・ワークス」という軽のターボ車だった。初めて買った新車であったため、納車にこれほど時間が掛かるとは思っていなかった。そしてやはり待ち遠しい。納車を明日に控えた日の夜遅く、彼女と二人でそのディーラーへ向かった。もちろん営業時間は終わっている。ロープが張られ、オレンジ色のライトに展示車が照らし出され、その奥のほうにピカピカのワークスの姿を発見した。ナンバーが既に付いているのかあいにく見えないが、その方を指差して、「あれだよ、きっと」と二人で、しばらく眺めていた。
(秀)
冷蔵庫の一番上の段の奥の方にコンビニの袋が置かれている。中身は2個らしい。そう、妻に言われて見てみると、確かにコンビニの袋が置いてある。しかし、中を確認してまで見ることはしない。自分の覚えのないこの袋を発見し、気になって中身を確認した妻。そのことをどうしても私に話したかったらしく、私の帰りを待っていたようだ。
この袋の所有者は小学6年生の娘だ。中身はチョコレート。こっそり買って、溶けないように、しかも目立たないところにということで、冷蔵庫の最上段の奥の方にしまいこんでいたようだ。「だまっているところからすると、お父さんのじゃないよ、きっと」と妻は言う。誰の手に渡るのかはさておき、本人の小遣いから買って隠しているのだから、二人とも気づいていないことにしておこうと申し合わせた。それが二日前の出来事だ。
明日はいよいよバレンタインデーだ。さっき冷蔵庫を開けたついでに最上段を見てみたら、その袋は姿を消していた。既にランドセルの中に移されたのだろう。黙ってはいるが、母さんは知っている。ついでに父さんまで。決して口外はしないが、コラムのネタになってしまっている。
(秀)
今週は市川新之助の隠し子騒ぎがあった。世間では賛否いろいろと反応があったと思うが、わざわざNHKに抗議の電話をする奴もする奴だが、それをわざわざ「NHKに抗議殺到」と報じるバカマスコミにも頭に来た。「あっ、そう。苦情来てますか。大変ですね」、なんて電話でも掛けてこの記者は取材しているのか?。CMスポンサーに確認している奴も同じ。何をお前等そう騒ぐ。
別に彼は子供がいることを隠していたわけでもなかろう。独身であるから誰もが子供がいると思っていなかったから騒いでいるだけではないか?。そんなことで隠し子騒ぎとなるなら、誰もがいちいち家族構成なんぞを会う人それぞれに告知しなくてはならないではないか。名刺交換をしながら、「妻と子供が...」とでもやるのか?。面倒なので、名刺の裏に家族構成を刷ったりして。別に法律を犯したわけではないし、不倫していたわけでもない。当人同士が納得し、それに認知し、養育費も払っている。それでなんで、ドラマやCMの降板と騒ぐ必要があろうか?。確かに子供にとっては親の身勝手で可哀想な気はするが。
マスコミは「武蔵 市川新之助に隠し子」と見出しを付けるが、武蔵なんかどうでも良い。彼にはそんな冠なんか不要となる日が約束されているから。彼の父親は第12代 市川團十郎である。まあ、市川團十郎の家系は養子によって継承されたところもあるが、不慮のことがない限り、長男である新之助が第13代團十郎となるのは間違いない(途中、海老蔵を襲名するかもしれないが)。誰もが名前だけぐらいは知っている、歌舞伎界の中でも最も名門と言える市川宗家の次期團十郎である。彼の職業は歌舞伎俳優や歌舞伎役者ではなく、「第13代市川團十郎(予)」または「次期市川團十郎」と名乗るに値する。
新之助の子供は女の子だったが、もしこれが男の子だったら、とちょっと考えた。もしそうだったとしたら、その子は第14代市川團十郎となるべき運命を背負っていたかもしれない。「14代目が隠し子」というのはマスコミがいかにも好みそうなスキャンダルネタになってしまう。もっと大騒ぎになっていたことだろう。実は今回もマスコミはこれを狙っていたかもしれない。梨園では伝統として一般社会では通用しない部分がある。甲斐性だったり、芸の肥やしと結構寛大だったのだろう。それをわざわざ一般人や芸能人と同じ尺度で報じる必要はなかろう。役者として舞台で結果を出せばよい。こんなマスコミなどの意地悪にめげず(多分本人は全然めげてなんかいないと思うが)に精進してほしい。いよっ!成田屋。
(秀)
今年も例年の通り、社内健康診断がやってきた。35歳になってからは毎年胃の直接撮影が行われる。バリウムを飲んでのあれである。これ以外にも、25歳と30歳の節目の年には同様の検査が行われていたので、同僚達と「今年はバリウムあるの?」なんてお互い聞いたりしていたが、揃って年を取って、そんな会話も無用になった。私達はこのバリウムありの検査フルパッケージを社内用語で「バリューパック」と呼んでいる。何だか、ケーシー高峰みたいだなー。「グラッチェ」。
苦痛なバリウム(実際にはバリウムよりも発泡剤の方が苦痛)にも耐え忍び、約一時間掛けての検査の最終項目は歯科検診である。これまでの年は必須だった歯科検診が、今年からは希望者のみの任意診断に変わっていた。「行くしかあるまい。コラムのネタが転がっているかもしれない」。かなり不純な動機だ。任意性になったためか、会場は空いていて待ち時間なしで見てもらえた。
一通り、歯科医による検診が済んだ後は、場所を移動しての歯茎の検査というのが行われた。今度は歯科医ではなく、歯科助手あるいは歯科衛生士といわれる人のようだ。そこで案の定、歯磨き指導というのを受けた。自慢じゃないが、この歯磨き指導という奴をこの検診と定期的に歯医者で検診を受けているせいで、ここ数年は年に2度ほど受けている。ところが有無も言わさず、始まってしまう。私の思い過ごしかもしれないが、この歯科助手あるいは歯科衛生士という人々は相手の口を開けさしたからには、「磨き残しがある」とか、「歯茎が弱っている」などと必ず何かの理由を付けて、歯磨き指導をすることをモットーにしているのではなかろうか?。
一人当り、年間千人ぐらいに歯磨き指導をしているのではなかろうか?。口を開けたまま、言われるがまま。小さい手鏡を持たされ、歯ブラシを当てられる。説明に返事をしようにも、歯にブラシが当たったまま、上手く言葉が出ない。だらしなく、よだれ(唾液か?)だけ出てくる。
そのとき使用した歯ブラシはお土産にくれる。いつも歯磨き指導を受けた直後は言われたことをこの歯ブラシで実践してみる。前歯は根元に磨き残しが出るので、ブラシを縦にして上下にブラッシングするのが良いらしい。寝る前に洗面台でやってみる。洗面台の鏡に映ったその自分の姿はとても間抜けだ。朝からこうだときっと一日萎えてしまうことだろう。
(秀)
from.綾丸さん
小学校の卒業が迫った、時期的には丁度今頃。校長先生と一緒に給食を食べるといったイベントがあった。一学年160名ほど生徒がいて、毎日5、6人の児童が交代で校長室で給食を食べるものだ。給食の配膳が終わると、その日割り当ての児童はお盆を持って校長室へ向かう。もちろん、校長先生も同じ給食を食べる。
校長先生はあらかじめ連絡されている児童の名前を手帳に書きとめていて、順に顔と名前を確認する。私は児童会の役員をやっていたので顔馴染であった。小学生の間ではまだ校長も尊敬の対象であるからまだ良いものの、お互い一緒に食事をしたところで楽しいはずもない。ましてや相手は手帳を見ながら覚束なく名前を呼んでくれる。けど、当時純粋だった子供にはそれだけでも十分嬉しかった。
間がもたないので話題はあらかじめ決められている。「小学校での一番の思いではなんでしたか?」。別に校長先生が聞きたいと言うわけではなかろうが、ここではそれらしい無難な話題と言えよう。各々が給食を食べながら、それぞれの思い出話を語り出す。いくら記憶力の良い私でもこのときに一緒にいた友達が何を話したかは覚えていない。一緒に誰がいたのかも覚えていない。その日の献立も。まあ、そんなもんだろう。逆にそこまで今も覚えていたら怖い。
私の番がまわって来た。このとき何を話したかは良く覚えている。それは入学式の翌日。登校したが自分の教室が分からず、2年生の校舎をウロウロしていたら、2年生が声を掛けてくれたことである。当時、木造で同じような校舎が2つ並んで建っていた。左側が1年生、右側が2年生だった。その2年生に「1ねん3くみ」と答えると、教室まで連れて行ってくれた。この出来事が小学校最大の思い出だった。校長先生は「入学式の翌日に一番の思い出ができたというのは面白いですね」と言われた。当時から変な少年だった、俺。
(秀)
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