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第946話 〜2003/2/19〜

■CDとの遭遇記

 CDが世の中に登場したのは私が高校1年生のときだった。市販されたのはその年の終わりか翌年頃だったかもしれない。'82年のことだ。最初にその情報に接したのはFM系のオーディオ雑誌での記事だった。特に当時FMにはまっていたわけでなく、音楽情報が載っている雑誌として読んでいた。そもそも当時私の地元で聞けるFM局はNHKとかなりノイジーな隣の県の民放FM局しかなかった。

 話を戻すが、その紹介記事では「コンパクトディスク」という名称ではなく、「デジタルオーディオディスク」という名称で紹介されていた。ノイズがないということと、頭出しが即時にできるという特長に現物を見る前から心震えた。市販品が世に出始めた直後、街の電気屋でその姿を早速拝んだ。ディスクトレイがローディングする方式のものと、ディスクを垂直にセットし、回転する盤面が正面から見えるタイプがあった。後者のタイプが見ていて面白く、店でもそのタイプを目立つ位置に置いていた。値段は最初、20万円ぐらいで、ハイファイのビデオデッキも同じぐらいの値段だったと思う。

 高音質は魅力だがこんなに高くては話にならない。結局、高校時代、CDデッキを持っているものは周りに誰もいなかった。この間にデッキの値段は下がり始め、定価で5万円台というのも出始めたのが私が高校を卒業する頃で、それを期に私はついにミニコンポと一緒にCDデッキを買った。約10万円と、過去最大の買い物だった。

 届いた箱を開け、セッティングし終え、CDデッキのトレイを開くと1枚の銀板が出てきた。実際にディスクに触れてみるのは初めてのことだった。どうしてディスクが入っているのか、これが本物のCDかどうかわからないまま再生ボタンを押してみると本当に音が出て驚いた。昔、ラジカセを買うとサンプルのテープが付いている時期があったが、今回はそうでもなさそうだ。展示品を箱詰めして発送する際にデモで使用していたディスクを抜き忘れたのだろう。カシオペアのディスクだった。いかにもデモ的なディスク選択だと納得した。

 銀板に自分の顔を映してみたり、虹色の輝きを見て、悦に浸ったりした。せっかくデッキがあるので買いに行った最初のCDは大滝詠一の「EACH TIME」だった。当時、LP2,800円に対し、CDは3,200円。しかも、LPが先行発売され、CDにならないものもあった。アナログレコードとCDの立場が逆転したのはそれから2年ぐらい経ってからではなかろうか?。シングルもCDで出るようになってからのことだったと記憶している。

(秀)


第947話 〜2003/2/20〜

■スピード散髪

 先週末、息子を床屋に連れて行った。今までは家の近くの床屋を利用していて、息子一人で行ったりもしていたが、正直、カットが下手なのでやめることにした。顔剃りも洗髪もなく、おまけに下手なカットで二千円というのが耐えられなくなった。そこで、出掛けたついでにスピード仕上げのカットオンリーの店に行ってみた。大人も子供もカットのみ、顔剃りも洗髪もない。ただし、所要時間は約10分と早い。料金も980円、780円である。

 店の中には椅子が4つあった。店員はこれまた4人いる。しかし、その4人がそれぞれはさみを持つわけではない。私が見ていた範囲では一人だけ、茶髪のストレートロン毛の坂崎幸之助といった感じのスタッフのみ。受付をしてほんの数分後に名前を呼ばれ、椅子に座ると店員の一人が前処理をする。準備ができると、ここでちょっと待たされるが、しばらくすると隣の人のカットを終え、例の坂崎幸之助がやって来る。隣ではまた別の店員がカットを終えた客の襟足をバリカンで整え、それが終わると、席に備付けられた掃除機で客の頭から切り落とした髪の毛を吸い取る。

 「お父さんは今日は良いですか?」と店員に誘いを受けるが、やんわりと断る。かねてより、スピードも品質の一つと評価する私の考えは変わらない。しかもそれで料金が安いとなると、これまでの私の判断基準からいけば、良いこと尽くめであるが、気が引けてしまった。急いでいるときにはそれなりに魅力だろう。待ち時間も少ないため、それを評価して客が来るのも分かる。しかし、散髪のときぐらいゆっくりとしたい。蒸したタオルを顔に載せられ、リクライニングをした椅子でうつらうつらとする。私がそこでの誘いを断ったのは床屋はそうあるべしと思ってのことだった。まあ、それぞれのニーズに合わせて選べば良い。

(秀)


第948話 〜2003/2/21〜

■青年実業家

 一般的に職業それぞれに対する、スタイルのイメージと言うものが存在する。普通に我々が目にする姿のものであれば、そのイメージが実物と大きく違うことはまずない。しかし、イメージだけが先行して一般に目にすることのない職業となると、誤ったイメージによってそれが支配されてしまっていることが多い。例えばテレビ局のディレクター。セーターを肩から掛けていそうだ。映画監督はハンティング帽にニッカポッカのズボン。この監督像はコントのネタとして登場し、固定化された。ついでに泥棒は口の周りにヒゲがあり、唐草模様の風呂敷を持っている。足は地下足袋。けどそんな泥棒なんかいない。

 ○○家という職業は胡散臭い。作家、画家、芸術家、音楽家、実業家、などなど。偉そうだが、それを職業と名乗る基準が極めて曖昧だ。極めつけは発明家。近所で笑われている困ったオヤジになってしまう。別名、「下町のエジソン」なんかまさにそうだ。ところで、実業家という言葉はあまり単独では使わない。頭にその人の属性を表す言葉を付加するケースが多い。女性実業家、若手実業家、それに青年実業家。逆に、老年実業家、壮年実業家、熟年実業家、などの言葉は存在しない。とりわけ、世間では青年実業家という言葉を最も多く用いていると思う。

 さて、この青年実業家のイメージはどんなもんだろう。茶髪にロン毛、ブランドの服を着て、外車を乗り回している。一見これはホストのイメージとかぶっている。もちろん、このホストのイメージも実際に正しいのかどうか分からない。そして、この青年実業家のイメージも現実のものと違う可能性も高い。確かにイメージ通りの青年実業かもいるだろうが、実際には家業を継いだ二代目とかで、冴えない格好で「お見合いパーティー」とかに参加しているパターンの方が多いのではないかと私は思っている。どこまでが青年で、どこからが実業家か怪しいわけで、その両方の要素を持つ、青年実業家なる職業がますます怪しく思えるのも当然のことだろう。はたして実態はどうだろうか?。

(秀)


第949話 〜2003/2/24〜

■VTR番組に引導を

 懐かしいテレビ番組の名場面集といった感じの番組がしばしば(特に、番組改変期に)テレビで放送されている。特にアニメ系の番組が多い。そこそこ視聴率が取れるからだろう。中には視聴者からリクエストを募ってランキングの発表を行うものもあるし、出演者は揃って自分の当時の思い出を語ったり、名場面と言われるところで感動を示したりする。

 しかしこの手の番組はマンネリ化しすぎている。アニメを例を取ろう。決まってランキングの上位にランキングされたり、放送されるアニメが決まってしまっている。「アルプスの少女ハイジ」。これはクララが立って歩くシーン。「フランダースの犬」。これは教会でパトラッシュとネロが死んでいき、天使が迎えに来るシーン。必ず番組の出演者が涙ぐむ。この他では「ハクション大魔王」の最終回。それに、「タッチ」。オマケに出演者もほぼ同じ顔ぶれ。代表格は西村知美。

 かつてのアニメを一部分とは言え、テレビで流すにはいろいろと権利が絡んでいることだろう。権利元から貸し出されるVTRがそこを指定してくるのかどうかは分からないが、視聴率が望めそうなものに集中し、そこから先に行かない。実写ものとなると、その権利関係はもっと複雑になるのが予想される。よってなかなかテレビで放送されないし、制作時には想定されていなかったのでビデオにもなりにくい。再放送もほぼ同じ。

 そろそろこの手の番組に視聴者として「ノー」を突きつけるときだ。お手軽に懐かしさに乗じて視聴率を取ろうとなんて考えがテレビ界の独創性に水を差す結果となっている。何度も何度も同じVTRでお茶を濁されている現状に怒るべきだ。ついでに「秘蔵VTR」なんてのも嘘だ。秘蔵だったらテレビで流せるわけなかろう。そのくせ、別の局で既に放送されていたりする。「もうこんな番組は見ないぞ!」と思いながらも、録り溜めたビデオテープを整理していたら、アニメ名場面集なんて番組が出てきて、ちょっとかつての自分に腹が立った。

(秀)


第950話 〜2003/2/25〜

■トニー谷って?

 いろいろと懐かしい話を思い出し、それをまとめたり、整理したりしようとすると自然と時間は遡り、気がつくと自分が生まれる前の頃にまで遡ってしまうときがある。例えば映画「社長シリーズ」、クレイジーキャッツ、小津作品。たまたま見てはまってしまうと当然の如く、自分の生まれる前の話。いろいろとその雰囲気までも楽しもうとすれば、そのときどきの世相なども理解しなければならない。いや、そうしないと気がすまない。

 一方、幼い頃の記憶を遡って、それがリアルタイムに見たものかどうだか曖昧で判断がつかない点が出てくる。ひょっとしたら、「再放送かな?」と。そんなわけでトニー谷が気になった。ダテ眼鏡にヒゲ、ソロバンを片手に英語混じりのキザな言葉を発し人を小馬鹿にした語り口調で一世を風靡したあのボードヴィリアンのことを。「あなたのお名前なんてぇの?」というフレーズを覚えている。これは「アベック歌合戦」でのフレーズ。本によると、この番組は最初ラジオで放送され、その後テレビ放送に。その後「スターと飛び出せ歌合戦」という名前に変わって昭和45年に放送を終わる。私にとってはリアルタイムに見ていて記憶していてもおかしくない程度の頃だ。既にテレビが我が家にあったのは覚えている。カラーテレビに買い換えた頃だったような。

 しかし、本当にリアルタイムで彼の芸を見たのかどうかよく分からない。手にしていたのはソロバンではなく、拍子木で、それを叩きながら、「あなたのお名前なんてぇの?」、「そちらの彼女はなんてぇの?」、ってやっていた。しかし、本によるとこの頃のトニー谷は既に全盛期ではなく、そもそもの全盛期は昭和30年までらしかった。このときに長男が誘拐される事件が起き、それを機に一線を退いてしまう。と言うか、干されてしまう。世の中は誘拐事件の際にも彼に同情するよりも、弱みを見せた彼を追い落とす。

 それでも何とか数年後に「アベック歌合戦」で見事に復活を果たした。「ざんす」というキザな言葉は実はおそ松くんのイヤミの方で私は馴染んでいる。あのイヤミのモデルはトニー谷だったらしい。長らく彼の姿を目にすることはなかったが、名前と例のフレーズはずっと覚えていた。そして、彼の名前を次に活字で見たのは彼の死亡記事だった。昭和62年7月。私がローカル紙で見た彼の死亡記事は石原裕次郎の死亡記事と同じ日(死亡した日は1日違い)に載ったために、その扱いは極めて小さかった。

 誰もが知っていながら、素性を知る人は誰もいなかった。占領下だったから受けたのか「トニー・イングリッシュ」。その不思議さが私には面白い。彼はいったいなんだったのか?。最近の私の関心はここにある。

(秀)


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