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以前、当コラムで「週刊○○」というのを書いた(第773話)が、その出版社の一つ「ディアゴスティーニ」がまたやってくれた。その名は「週刊リアルロボット」。その名の通りロボットをテーマにした週刊刊行物である。このような週刊刊行物のシリーズには真面目に百科事典を分冊したように本(冊子)のクオリティにこだわるものもあるが、その逆でおまけの方がメインで冊子がその申し訳程度の解説書に過ぎないケースが最近多い。このリアルロボットは明らかに後者の方だ。
買ってみました。子供に頼まれていて会社の帰りに買って帰った。おまけは「サイボット」というロボットの一部パーツである。このサイボットとはタイヤで動く、電子玩具のようないでたちで、そのシャーシと足回りの部分のパーツが今回のおまけだった。毎週パーツが供給され、とりあえず、4週分で動く形になるらしい。そしてその後もセンサーを追加したり、障害物を避けて動くように機能アップするなどして、約半年後にはリコモンで動くようになったり、パソコンで動作をプログラミングできるようになるらしい。
初回配本分は通常の発売分よりも価格が安く抑えられていて、490円だったが次回からは1,190円になる。う〜ん、困った。いったいいつまでこのシリーズは続くんだろうか?。それよりもサイボットが完成するまで、ちゃんと配本は続けられるのだろうか?。売れ行きが悪くて廃刊となるのも困る。しかし現実問題として、しばらくすると書店から姿を消してしまう可能性は高い。かさばるし、バックナンバーをある程度置いておくのは辛かろう。そのためか、熱心に定期購読を勧めている。
子供はテレビCMでサイボットの完成品が初回のおまけだと思っていたらしい。パッケージにもその写真が大きく載っている。ちょっと騙された感じ。ところでこのサイボット、文章でその様子を表現することが難しいが、どう見ても時代遅れの電子玩具の格好をしている。秋葉原あたりで電子工作キットとして販売されていそうな代物だ。ロボットというにはちょっとおこがましい。先進的なロボット技術が冊子で紹介されているわけでもない。「リアル・ロボット」というタイトルとのギャップが皮肉に思える。
(秀)
テツandトモの「なんでだろう?」が現在ブームだ。子供達のみならず、大人達の口からもあのフレーズで「なんでだろう?」と出てしまう。私もまさにその中の一人だ。あの手の動きはなかなか難しいが、テレビで彼らは盛んに手の動かし方を紹介している。上手くできるかどうかは別として、そんな説明を聞いてしまうと、とりあえず手を動かしてしまう。手が動くと今度は声が出てしまう。あら、不思議。
マスコミは今が旬とばかりに彼らを盛んにテレビに担ぎ出す。ついでに週刊誌も便乗し、ワイドコーナーなどのテーマを「なんでだろう」と銘打ち並べている。しかし、中身は別にこれまでとも何ら変わっていない。それでも乗ってしまえという感覚なんだろう。何はさておき、本人達が一番この騒ぎに驚いて「なんでだろう?」ではなかろうか?。
やや気が早いが今年の流行語大賞は「なんでだろう」で決まりだろう。流行語大賞にどれほどの価値や栄誉があるかは別として、いや、逆に大賞と言いながらそれほどインパクトのある言葉がここ数年出ていない状況からして、今回はスマッシュヒットと言える。唯一の懸念事項は年末まで今の状況が続くかということだ。あるところでセーブして維持していかないといけない。あまり加熱し過ぎると飽きられるのも早くなる。そして、皮肉なことに流行語大賞を取った言葉は翌年から急に恥ずかしい言葉になってしまう。こんな悲劇が起きるのは「なんでだろう?」。
ついでに昨年の「ベッカム様」の線では「ボブ・サップ」かな?。
(秀)
例年なら今頃、春闘の時期で私が勤めている会社でも賃金闘争の最中で、読むかどうかは別として、連日の如く労働組合からのビラが撒かれていた。ところが昨年から賃金体系が大きく見直され、賃闘がなくなってしまった。いわゆる成果主義・実力主義という奴で、私ぐらいの年齢層から自動的に賃金が増える、定期昇給が実質的になくなってしまっている。
新聞には従来のように、「某社が妥結した」と報じる一方で、「某社が定期昇給を廃止した」、「賃金体系を改めた」などの記事がこの時期には目に付く。成果主義・実力主義の賃金体系というのは賃金の全体額を抑えたいというのが経営側から見た、第一義的な目的であることは違いない。そして二次的な目的にようやく私も気がついた。それは労働者を分断することである。今時分、団結なんてこともなかろうが、これまで労働者が団結する最も大きな拠り所だった賃闘がなくなるということは労働運動においては非常に大きな意味を持っている。団結どころか、お互いを競い合わせ、(あるときは足を引っ張り合い、蹴落としながら、)それぞれを分断させる結果となる。
こういう形で労働運動はますます衰退していく。賃闘という最も華々しい活躍の場を失ってしまった労働組合はどうなるか?。卑近な例では「生きがい」なんて臭い台詞を吐いてくる。仕事が生きがい、会社が生きがいという人はまだまだ世間にはたくさんいることだろう。しかしその人たちのこの生きがいは組合から与えられたり、支援される形で得たものではないはず。
組合がどんな生きがいを押し売りしようというのか?。とりあえず、コラムのネタは提供してくれたことになるが、そのために私が支払っている組合費はそんなもんではペイできない。
(秀)
「警察24時」などと銘打ち、警察の活躍ぶりをドキュメンタリータッチで紹介するテレビ番組が年に4、5回は放送されているのではなかろうか。別にビデオに録ってまで見るものではないが、他に見る番組もがなく、見始めてしまうと、中座すると後味が悪く、ついつい見続けてしまう。だいたい登場してくるのは交通警察と交番勤務が多く、これに加えて生活安全課といったところ。
交通警察の場合は(飲酒)検問と暴走族対策、それにひき逃げというのが定番だ。そんな中、先日(と言っても数ヶ月経っているようだが)見た放送では、その内容が悪用されはしないかと心配になった。例の如くひき逃げ事件が起きて、警察が容疑車両を割り出している最中に自動車の盗難届けを出しに来た男がいた。車が盗まれてから既に数日が経っている。そしてその盗難車は事故現場に残された遺留品から割り出された容疑車両と同じ車種のものだった。ここで妖しいと思ったのは腕利きの捜査官(警部)だけでなく、視聴者のほとんどがそう思ったに違いない。番組の構成上、全く関係ない話がテレビ取材に登場してくるはずはない。
警部は部下に命じ、この盗難を届けてきた男を四六時中尾行させた。一方、盗難届けの出ていた車両をパトロール中の警察官が見つけ、捜査官らがその車両を見に行くと予想通りその車に事故の跡があり、遺留品(パーツ)を合わせてみると、件の加害車両であることが裏付けられた。そこで警察は尾行を続けながら、この車両のそばで張り込みを続ける。そして車のことが気になり、加害車両のところに現れた例の男を逮捕した。彼は証拠隠滅のために消火器を持って、それを車の中にぶちまけようとしていた。
番組的には目出度し目出度しだが、これを見ていて悪用する者が出て来やしないか心配でたまらない。まず、車が心配で様子を見に行ったがために捕まったわけで、捕まると判っていたらそこには行かなかっただろう。同じように事故後に盗難届けを出して、車を見に行かないとすれば?。また、警察が容疑車両を発見する前に、車両をもっと破壊するなどの証拠隠滅を図る奴が現れやしないだろうか?。いや、そんなことは私の杞憂に過ぎないだろう。天網恢恢疎にして漏らさず。そう願いたい。
(秀)
いくつかの行きつけの古本屋があり、その中の一つで時間つぶしのために本を買い求める事にした。その本屋は本当にこれでやっていけるのかと心配になるほど客が少ない。確かに小さい店であるが他の客と居合わせたことが一度もない。住居を改造して店にしたであろう店先には「我輩は古本屋である」と看板代わりに書かれている。あまり売れ筋などには拘らず、漱石などの教科書で習った名前や題名の文庫本などを置いているところが嬉しい。
そこで「萩原朔太郎詩集」という文庫本を見つけた。外観はかなり日に焼けていて開いた本の縁が茶色くなっている。目次を次々とめくり、ある詩を探してみる。そのタイトルは「旅上」。中学校の国語の授業で習ったそれである。高校の国語の授業中に先生がこの詩をそらんじて、「これは誰の詩ですか?」と尋ねた。「萩原朔太郎」。真っ先に一番早く私はそう答えた。私が知っている唯一の彼の詩である。
「ふらんすへ行きたしと思へども」と始まり、「ふらんすはあまりに遠し」と続く。フランスではなく、仏蘭西でもない。もしこれがフランスだったら、私はこれほど気には留めていなかったかもしれない。音としては同じであるが、文字の持つ意味、雰囲気は大きいと改めて思う。「せめては新しき背広をきて気ままなる旅にいでてみん」と誘いかけ、日常からの脱却を訴えている。後半に向けて、何となくそわそわとする開放感が感じられる。
石川啄木のようにメジャーではなく、教科書に載っていたところで、すぐに忘れてしまいそうなポジションだ。私も前述の通りこの詩しか知らない。この詩が載っているのを確認し、この本を買い求めた。100円。その日から寝る前に無造作にページを開いてみては、そこに書かれている一編の詩を読んで寝ることにしている。
(秀)
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