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タイトル通り、国内プロスポーツの停滞が予想される昨今だ。例えばプロ野球。キャンプ明けでオープン戦の最中であるが、話題は海の向こうのゴジラ松井の話ばかりだ。その合い間にイチローの話題が割り込んでくる程度。日本のプロ野球もオープン戦をやっているのだが、そのニュースバリューは乏しい。それどころか松井が体調不良で休むことの方がニュースバリューが高いときている。プロ野球選手300名ほどが束になってかかっても松井一人にかなわないわけだ。
続いてサッカー。ワールドカップやオリンピックはじめ、全日本の試合のときには盛り上がりを見せるが、Jリーグ自体の試合はほとんど世間一般には注目されていない。全日本の代表選手の名前と顔は一致しても彼らがいつもはどのチームでプレイしているのかを私はほとんど知らない。青いユニフォームの彼らなら良いが、Jリーグチームのユニフォーム姿を見ると違和感を感じてしまう。また、主な代表選手は外国へ出てしまっている。
そして大相撲。国技を名乗るくせに東西両横綱は日本人ではない。最大の矛盾がここにある。まさに遺憾だ。その一方で次に位置する東西大関がともに負け越したら大関の地位を陥落するカド番ときている。勢い良く上位陣を脅かす力士も目に付かない(いるかもしれないが、それほど熱心に観察していないのが本音)。これではしばらく外国人両横綱の時代がしばらく続いてしまうそうだ。貴乃花引退も影響し、観客動員数は減少の一途。
肝心なのは認知度だと思う。最近の力士は名前がわかり難い。これでは力士自体の認知度が悪くなる。朝青龍なんて普通は正しく読めない。魁皇なんてのは格好良いが、簡単に書けないので良くない。それに部屋で共通の文字を四股名に入れるのがあるが、あれは混同する原因と思われる。一方、野球選手などあまりありがちな名前では良くない。これまでのスターを見てみても、長嶋、王。最近では松井、イチロー。清原は良いが、高橋はどこの高橋か、何の高橋かピンと来ない。親しみやすいが埋もれない。それがヒーローの条件の一つのような気がしてきた。
(秀)
読者から、「最近、ドラマネタありませんね。見ていないのですか?」というお便りを相談した。また一方で、最近ではないが、「テレビをあまり見ないんで、ドラマネタは話が分からない」いう主旨のメールを別の人から頂戴したこともある。前者の質問に対してだが、答は「見ている」だ。以前よりも忙しい日々が続いている昨今だが、テレビを見ている時間自体はビデオのお陰もあり、ほとんど変わってないと思う。もちろんドラマもそこそこ見ている。にもかかわらず、最近ドラマネタが少ないのはあまりネタになるほどのドラマがなかったからだ。しかし折角のリクエストなのでちょっと書いてみる。
既に今クールのドラマで最終回を迎えてしまったものもある。そうでなくても次回放送分で終了というのがほとんどだ。今クールのドラマは結構こじんまりとしたものが多く、残念ながら、回を追う毎に話題性が増すようなものがなかった。おそらく数年後には誰の記憶からも消えているのがほとんどだろう。何故なら、ストーリー展開があまりにも読め過ぎているからだ。そのくせ、主人公のそれぞれの過去が伏線として存在して、途中小出しにしたり、最後の展開のしかけとなったりと展開の仕掛けがワンパターン化してきた。以前はその謎解きも面白かったが、こう続いて来ると、こんなスタイルにはもう飽きてしまった。
では、このような条件、判断の下、これから迎えるいくつかのドラマの最終回を予想してみよう。月9の幼なじみのすれ違いの恋を描いた「いつもふたりで」は主演の松たか子と坂口憲二が結局くっつく。今回もまた長谷川京子は悲恋のエンディング。
「僕の生きる道」。草なぎ剛がガンに冒された高校の地学教師(中村秀夫)を演じている。余命一年の命がついに次回尽きる。おそらく妻の矢田亜希子は妊娠して、その子供を生む。誰に伝えるともなく秀夫が撮り続けたメッセージビデオを妻と子供が見る。そんな映画あったなー。ただこのドラマを見ながら積極的に生きることを考えさせられた。
そして、「グッドラック」。これはキムタクが主演している以外、取り立てて述べることのないドラマだ。この他にも柴咲コウ、黒木瞳、堤真一などと豪華な出演者達だがストーリー展開は極めて単純。ほとんどひねりがない。そこで最終回予想。前回の放送分でキムタクが訓練機体の搭乗口から落下し負傷した。脊髄を強打して復帰不可能かと思われるが、柴咲コウが「私をシップ(飛行機)に乗せてくれるって言ったじゃないの」といつものケンカ腰ながらキムタクを励まし、無事復帰。
もしこれが当たっているとしたら相当脚本家の質が低下していると言わざるを得ない。
(秀)
私が大学を卒業したのは平成元年だから間もなく14年経つ。その4月に就職し、そのときは地元の支店勤務になるものだと高を括っていたが、東京での3ヶ月の研修期間を過ぎても帰れる気配はなく、気が付けば神奈川、東京、千葉と移り住み、現在に至る。この間、何度か帰省し、かつての友達と顔を会わせたりしてるが、その度に色々と考えることがある。
例えば同窓会で顔を会わせた友達と名刺の交換をする。名刺を持たない職業の連中が意外に多いのに驚く。学校の先生なんてそうらしい。たとえ名刺を持っていても持ち歩くことはないと言う。「お前が先生か?」と驚くこともある。「お前になんかうちの子供は任せられない」という声が出たり、その一方で、自分の娘の担任の先生が元のクラスメイトという例もあったりした。
いろいろな事情で故郷を離れられずに暮らしている友達もいる。もっと良い大学に行けただろうし、もっと良いところに就職できただろうに。成績優秀だった彼が名もない小さな会社で働いている。そうじゃなければ、地方公務員になっている。学校の先生となった比率は平均よりも相当高いと思われる。見栄というものがあって、負い目を感じるようになってくると同窓会など出づらくなってくる。
一方女性はある意味男性よりも変化はドラスティックかもしれない。結婚する相手で人生大きく変わる。本人の努力などとは別の力によって着ているものや持ち物にも差が出る。ふと、幸せとは何だろうと思ったりする。あいつと俺はどっちが幸せかという不毛なことを考えたりする。負けたところであいつと替われるわけでもなく、恨んだりねたんだりしたところで自分の幸せが増すことなどない。むしろ心が虚しくなるばかりだ。勝ったところでもそのいやらしさが同じく虚しい。だから不毛だ。
何が幸せかを考えることは哲学的には有効なことだと思うが、その最終判断は個人の価値観に大きく依存している。少なくとも他人の幸せが自分の不幸であったり、他人の不幸が自分の幸せだと思うことはよそう。間もなく多くの人が新しいことを始める時期を迎える。人生なんて偶然の連続。けどそれぞれのタイミングでの選択が大事なんだよ、とこの時期を迎えると毎年思う。
(秀)
「サザエさん症候群」なる言葉があって、これは日曜日の夕方にサザエさんを見終わると「これで休みが終わった」と憂鬱になる人が多いという話だ。さすがにこの時間となるとこれから何かやったりするにはちょっと具合が悪い。やり続けていたことも片付ける頃合だ。「そして明日からまた仕事(学校)だ」という気持ちになるのは私も確かに同じだった。しかしこれはサザエさんのせいではない。彼女にとっては迷惑な話だなあ。
しかし最近、私にはこの憂鬱を打ち消すような症候群が現れた。その名は「永沢くん症候群」。ちびまる子ちゃんに出て来る、彼女のクラスメイトのキャラクターだ。玉葱みたいな顔の形で頭が尖がっている。頭髪はその先端部分のみ。通学途中などには野球帽がその先端にちょこっと載っている。
アニメ「ちびまる子ちゃん」は「踊るポンポコリン」の曲で始まる。曲にあわせてパレードの如く、パレードカー(?)に乗ってキャラクターが現れる。先頭はまるちゃんとたまちゃん。その後に永沢くんはピン(一人)で現れる。ピエロのような衣装を付け、目を閉じて曲に合わせ、気持ちよく踊っている。そこに丁度、歌詞に合わせて彼のパレードカーの大きな鍋の蓋が飛ぶ。その瞬間彼は驚いてドタバタする。
その間わずか3、4秒の間でしかないが、彼の姿に私は癒され、「今週もまた明日からがんばるぞー!」という気持ちになれる。このシーンを見るために、その前に入浴中であれば浴室内の時計を気にし、夕食中であれば箸を止めて彼の登場を待っている。ビデオに録って見ても御利益がない。生で見ないと元気は湧いて来ない。よって日曜日の18:00:20頃、我が家族はテレビを凝視している。
こんなことをやっているのは私だけだろうか?。多分そうだろう。しかし、明日からのエネルギーを感じる人はなくても、多少癒されている人がいるとは思う。ここで彼の登場順が不自然なところに注目したい。彼は話の中では地味なキャラクターで、もし映画やドラマのように字幕として登場者が紹介されるとすると、主人公の次は彼女の家族だろうし、友達の順でも花輪君や、ハマジ、丸尾君が永沢君よりも前だろう。ところがアニメのオープニングでは主人公+助演女優(たまちゃん)のペアの次にピンで登場する。まさに主演男優扱いだ。
ここに制作サイドの意図を感じる。制作サイドは永沢君が好きなんだと。あるいはこのオープニングで視聴者を和ませるキャラとして有効であることを知っていて、ここに抜擢したに違いない。花輪君でもハマジでもいけない。その意図、私は確実に受け止めた(思い過ごしかもしれないが)。このオープニングスタイルがこのまま長く続くことを願う。
(秀)
最近、卒業式で「仰げば尊し」を歌わない学校が増えた。「蛍の光」も歌わず、歌詞のない音楽だけではデパートの閉店の雰囲気になって、残った惣菜を目掛けて走り出しそうになってしまうではないか!。私の場合は、中学校では「仰げば尊し」を歌ったような気がする。確か、「仰げば尊し」から「蛍の光」へのメドレーだったはず。あまりはっきりとそのシーンを覚えているわけではないが、音楽の時間にこの曲を教わり、間違った歌詞の説明を受けたことはよく覚えている。
「今こそ別れめ」を「別れ目」。「こそ」は強調で、「今まさに別れのときがやってきました」と教わった。この音楽教師はその前の数年間も、そしておそらくそのときから後の数年間もこの間違った歌詞の意味を生徒に教えていたかもしれない。まったく困ったものだ。これを文法的に正しく説明してもらったのは高校の国語の授業であり、「係り結び」の例として登場した。
文語体で「こそ」に対して動詞の已然形に結び、特に意味を強調したいときの文法的テクニックだ。「別れめ」は「別れむ」の已然形となる。「別れましょう」という意味が正しい。文語体の歌詞の割りには作詞者は分からず、曲はスコットランド民謡らしい。これには驚いた。そう言えば、「蛍の光」も曲はスコットランド民謡だった。
ひょっとしたら文部省唱歌から消されてしまったのだろうか?。今度確認してみよう。教師側が生徒達に自分たちの恩を押し売りするような歌を歌わせることに抵抗を感じるようになったから歌われなくなったのか?。ある学校ではそういう理由で歌わなくなったというのを読んだ記憶がある。変わって、今は今なりの卒業式ソングが存在する。タイトルは忘れたが、自分たちの旅立ちを歌詞にした曲を近くの小学校でも中学校でも歌っている。美しい歌声に式としての雰囲気は保たれているが、父兄の参列者としては知らない曲だ。定番の曲が流れないとちょっと寂しい。
愛国心だが何だかで、国歌でもめるぐらいなら、師への恩に感謝することが道徳的には何倍も有効である。「今こそ別れめ いざさらば」。この歌詞とともに流れ出る涙は美しかった。
(秀)
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