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第966話 〜2003/3/19〜

■妄想・どこでもドア

 良いことは続けることが肝心である。たとえ人目につかない小さなことでも続けてさえいれば、どこかで誰かがちゃんと見ていてくれるものだ。そのかいあって、私のところに「ドラえもんアカデミー」なる発信元でメールが届いた。「どこでもドア限定予約販売のお知らせ」。

 単に日頃の善行だけでなく、以前私がこのコラムで書いた、どこでもドアの値段を2億円と値付けしたことも影響しているらしい。メールの文面にそう記されていた。そのため予約販売の値段も2億円と記されている。はなから嘘やいたずらと決め付けてしまうことは容易い。おそらくそういう理由でチャンスをダメにした人は多かろう。よって順番が私にまわって来たのかも知れない。

 2億円という価格が実に微妙である。そうやすやすと手が出ないのは確かであるが、実際に買って利用法次第ではあっという間に元が取れるのは確かだ。いくつかの疑問点があったので、そのメールに返信をうってみた。すると私の質問にきちんと回答がなされているが、質問を送った直後にその返信が届く。「時空メール」という技術で、メール自体がタイムスリップして送受信されるらしい。

 「分割払いは可能か?」という質問には、「貨幣価値の著しい変化がこれより起こるので不可」との返事だった。どうやらインフレが来るらしい。2億円というのも期間限定ということで、2112年では到底そんな値段では買えないらしい。「納期は?」という質問には代金が指定口座に振り込まれれば「時空運送」で即納品されるらしい。

 とりあえず、銀行に行って相談してみよう。「あのー、融資をお願いしたいんですが」。「はい、いらっしゃいませ。ところで、おいくらほど必要ですか?」。「2億円。いや、消費税分もお願いして、2億1千万円」。「....、何にお使いでしょうか?」。今度はこっちが黙り込む番だ。私の年収で借りれる額は5千万円、しかもその不動産を抵当にするのが条件である。「しかし2億円というのはたいそうりっぱな邸宅ですね」。「いや、別に家を買うわけじゃないんですが」。「...、???」。

 これで5軒目だ。「どこでもドア」と言おうにも語尾は声が小さくなってしまい、「はい?」と聞き返される。気を取り直し「どこでもドア」と言った途端に塩を撒かれるかのごとく追い出される。警備員に脇を掴まれ表に放り出されたこともある。こうなったらサラ金でも何でも利用して2億円をかき集めるしかない。しかしこれには綿密な返済計画とどこでもドアを利用したビジネスプランがないといけない。それを考えようと思った途端に、「どこでもドア限定予約完売!」とのメールが届いた。ショック!!。

 完売通知メールには続いての予約販売として「タケコプター」の案内が載っていた。今度は二百万円。かなり現実的な値段だ。納品されたばっかりの新車を売り飛ばして、カードローンなりを利用すればすぐにでも何とかなる金額だ。これを利用して金を貯め、次回の「どこでもドア追加予約販売」を待つことにしようか?。ただ、「実際にタケコプターで空を飛ぶ際は首が痛いです」という注意書きが気になって、正直なところ、買おうかどうかまだちょっと迷っている。あなたならどうする?。

(秀)


第967話 〜2003/3/20〜

■戦争が始まった

 昼食に入った店のテレビでイラク攻撃の第一報に接した。連れとは会話も交わさず、黙々と出て来たものを口に運びながら、目はテレビに釘付けになった。まだ情報が少ないらしく、何度も同じ事を繰り返している。言ったからにはかますだろうと予想していたが、「とうとうやったか。結構せっかちだなあ」と思った。白んできた現地の空にピカピカと閃光が見える。

 しかしどうも分かりにくい。この戦争のそもそもの意味が。戦争とはそういうもんだと言ってしまえばそれまでだろうが、当事者にはそれなりの大義名分があってしかるべき。米国民は依然としてその多くが大統領を支持していると伝えられているが、その言い分が正しく理解されているのだろうか?。逆にそれは危ない人々だということでもある。

 「大量破壊兵器」。それを隠し持っていないか査察をし、懲らしめてやろう。けど自分達は持っていて、「お前等は持つな」という論理では説得力がない。良い核兵器や悪い兵器という区別がないのと同様。

 マスコミがいろいろと報道合戦を繰り広げているが、彼らの目的やモチベーションは何だろうかと考えてみる。他よりも早く正確な情報を知らせることに生きがいを感じる報道魂というのが多分に感じられる。一方、それを見ている人々の多くは私も含めて、とっさに何かの行動を起こすわけでもない。所詮、遠い国での出来事、テレビの中の出来事(リアルなノンフィクションであるが)。

 しかし、そう言っていられるのは場所がイラクだからで、「けしからん!」と米国が次に北朝鮮までも攻撃しようものなら、日本人は盛んに戦争反対を唱えることだろう。それでも「同盟国」と言おうものなら、総理は即退陣だろう。どっちが正しいではなく、「恐いからそっとしておいてくれ」というのは極めて人間的だと思う。

 良く分からない戦争について、ニュースショーではいろいろと分かったような解説をしてくれる。情報通なのだろうが、軍事機密がそうそう洩れるもんではなかろうし、そんな大事なことを第三国と言え、テレビで流せるものではなかろう。一般に報道されているものはその程度のことか、解説者が考え出したシナリオの所詮「だろう話」程度だと思うことにしている。

(秀)


第968話 〜2003/3/24〜

■戦争報道の周辺

 週末そして週明けと米英軍のイラクに対する攻撃の戦争報道がマスコミで大量に溢れている。さすがに朝からこんなシーンを見て気分が良い事はない。いろいろとチャンネルを切り替えても時差をおいて同じ内容を他局でも流しているし、同じ局を見ていても時間をおいて、同じ内容を何度も繰り返し流していたりする。

 合間を見つけて、天気予想。スポーツコーナーはどうでも良いので、またチャンネルを切り替えると占いなんてのをやっている。勢い余ってリモコンの「12」のボタンを押すと、「おはスタ」という子供番組をやっていた。ほのぼのしているが、朝からこのテンションでは会社に着くまでに疲れてしまいそうだ。

 どこも朝の番組が画一化してしまって面白くない。新聞各紙を貼り出して紹介するところなんか何の工夫もなく、ただ新聞の内容を垂れ流しているだけである。各局系列の新聞社があって、その新聞を中心に取り上げているのかどうかまでは詳しく見ていないが、スポーツ新聞や芸能ネタはどこも同じ内容を取り上げている。

 さて戦争報道であるが、この時期は「ついでに聞いてみました」程度の取材(果たして取材と呼べるのか?)で芸能人から「戦争反対」の声を引き出そうとして、その策動にまんまと乗った芸能人が芸能欄を飾るようになった。誰もユースケ・サンタマリアの真面目腐った「戦争反対」のメッセージを朝から聞きたいとは思っていないだろう。氷川きよしもメッセージを送っていた。テレビや紙面でいくら芸能人が語ろうとブッシュや小泉は見ていない。

 それでもマスコミはどう勘違いしているのか、とりあえずそれに便乗し紙面を埋めてしまう。安易に作られる紙面に、それを何の考えもなく流すテレビ局。きっと昼間のワイドショーもこの路線がしばらく続くのか?。そういう意味でも早く戦争が終わって欲しいと願う私であった。「もう良いかい?」、「まーだだよ」。

(秀)


第969話 〜2003/3/25〜

■地球環境の主

 今日も戦争報道を通して感じたことを。米英軍がイラクで油田を制圧したなどと伝えられ、その映像がテレビで流されていた。油田から火の手が上がっている。中東が舞台の戦争としては極めて象徴的なシーンと言えよう。その映像に対し、アナウンサーが「地球環境への影響が心配です」のようなことを言っていた。まあ、良くありがちな無難な締めの言葉と言えなくはない。

 ところがこの手の「地球環境」という言葉を易々と口に出すことに私は結構抵抗感がある。「地球環境」という言葉は地球が主語であるが、実はそうではなく、人間が高慢にそう言っているに過ぎないからだ。例えば温暖化。しかし、「都市が沈んでしまう」、というのは人間の視点でしかない。地球環境を汚染している張本人は人間だ。それは良い人、悪い人の区別なく、先進国と途上国の差こそあれ、人間に他ならない。

 人類の歴史など二百万年に過ぎない。地球全体の46億年の歴史に比べると2300分の1となる。もっと限定すれば、地球環境が著しく破壊され出したのは産業革命以降、さらに限定すればここ100年とか50年余りと言うのが妥当であろう。ほんのあっと言う間にこれほど破壊が行われたと見るべきだ。このままのペースではいけない、という点では私も同じマインドである。

 例えば人類が失敗し、環境破壊を理由に絶滅するときが来るとしよう。それこそ我々の想像を絶した世界かもしれない。しかしそれで地球の生命が尽きることはおそらくないだろう。ひょっとしたら人類が生存していたのと同じ二百万年程度で地球はまた元の状態に戻るかもしれない。それが無理でも、例え1億年掛かったとしても、それは地球の歴史から考えればそれほど長い時間ではない。

 人間が地球環境に対して何かするのではなく、地球環境を借用し、消費しながら生き延びている、というのが現実的だと思う。おごってはいけない。今後人類の歴史がどれほど続くか分からないが、いくら文明が進もうともその技術で武器に磨きを掛け、殺し合いをしている姿を見ると、そう長くは続かないような気がしてきた。

(秀)


第970話 〜2003/3/26〜

■吉野家の店員

 私の吉野家デビューは就職で上京してからであった。生まれ育った地元に吉野家がなかったからだ。そのデビューの前後のどっちだったか覚えていないが、「ツユダク」、「ネギヌキ」なるオーダーが存在することを知り、最初はツウの中だけで通用するものだったかも知れないが、いつの間にやらそれほどの常連客でない人でもこのようなオーダーを平気で口にできるような常態に今日ある。

 どの業界でもその業績の高い順に優秀な人材が集まるのが一般的である。そしてこの手の企業では集まった優秀な人材に対し、きちんとした教育を行うので、その状態は時間の経過とともに強化され、拡大して再生産されていく。例えばファーストフーズでバイトしようと思えば、まず最初にマクドナルドに行くであろう。最初からマイナーなハンバーガーショップに行ってみようと思うのは、人づてか家から近いからなどの特別な理由があるからではなかろうか?。

 吉野家に酔っ払った年配の客がやって来た。オーダーは「並盛、肉多め」である。ツユダクやネギ多めぐらいなら可能だろうが、そもそもの「肉多め」は反則である。この客が店員を困らせてやろうとわざと言っているのか、酔っ払っていて訳分からずに言っているのかは不明だ。それでも業界トップ企業の店員はひるまない。普通なら「並盛の肉多めというのはございません」と返すだろう。それでは客は不機嫌になる。そこをこの店員は「特盛のご飯少なめでしょうか?。あいにく特盛のご飯少なめというのはできませんが」と返した。ここで客の頭の中は「特盛??」となり、ダイレクトに不機嫌となる可能性は減少する。

 特盛とはご飯は大盛りで肉は並盛の2倍という触れ込みである。厳密にそうだか確認したことはないが。要は、お金は高くなるが肉はたくさん入っている、食べきれなかったらご飯を残しても良い、というわけだ。もちろん、この方が店の売上は大きくなる。見事な切り返しと言えよう。私がもし店員の立場だったら、「はい、お待たせしました」と普通の並盛を出して、聞かれたら、「ちょっとだけですけど、肉余計に入れときました」ぐらいの嘘をついて済ませるだろう。ましては相手は酔っていることだし。結局、いくつかのやり取りの後、客の前に普通の並盛が出てきた。

(秀)

from.綾丸さん

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