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通勤の行き帰り、電車の中。耳にはヘッドフォンをねじ込み、手には文庫本を持ち、毎日往復で約2時間の時間を過ごしている。まあ、帰りの電車では座れこそしないものの、網棚に鞄を載せることはできる。しばしの読書タイム。しかし朝はこうはいかない。周りを囲まれて身動きが取れず、本を開くスペースなどない場合も多い。場合によっては吊革に掴まったまま目を閉じ、しばし休息の時間となる場合ある。
本当に身動きが取れず、そして目を閉じるでもないときは車内の中吊り広告を眺めるしかない。電車によってはその全車両が単一スポンサーの広告車両のときもある。これは面白くない。同じ中吊りがただ繰り返されるばかりだ。やはり車内の中吊り広告はバラエティに富んだものがいろいろと組み合わされているのが良い。まるで幕の内弁当みたいに。
車内広告にはいろいろと種類があるが、実際に見てて面白いのはやはり週刊誌の中吊りだ。週刊誌は都会型のメディアだと思う。通勤や通学に電車を使うからその間に週刊誌を買って読む。その関連性において電車内の中吊り広告は効果が高い。私も中吊り広告を見て、その直後にその雑誌をKIOSKで買い求めたことが幾度となくある。
女性週刊誌のはさすがにフルカラーだが、オヤジ週刊誌の中吊りというのはセンスがない。写真は白黒、文字は赤青黒。文字の色が違おうと、だいたい使用されている色数は3色程度だ。写真も含めてフルカラーではない。きっとこれはコストダウンのためだろうが、まるで昭和30年代や40年代の頃から変わっていないのでは?、と思ってしまう有様だ。デザインのセンスとしては田舎のスーパーのチラシなみ。センスの欠片も感じられない。
今時分はイラク戦争の話題が各誌のトップ記事のようだ。フセイン、ブッシュの写真が並んで載っている。それに小泉や金正日の写真が絡んでいたりする。目次のダイジェストのような文字にあわせて写真が配置されている。世間的に認知度の高い人の写真であれば問題ないが、微妙な線というのがある。「あの写真はいったい誰だ?」と気持ち悪いまま電車を降りるときもある。文字数等の関係で写真が変な位置に配されている場合もしばしば。これがまた結構笑える。あまり良い例を思い出せなくて恐縮だが、是非探して欲しい。
さらに、「戦争」、「戦慄」など、おどろおどろしい活字が躍る数行横で「悦楽」、「エクスタシー」、しかも「袋とじ」なんて文字がさらに大きく載っている週刊誌広告というのも今なら旬として楽しめたりする。センスはないがなかなか奥は深い。
(秀)
携帯電話っていうやつはかなり平等なツールだなあ、と思っている。普及率が成人で90%を超えているとか。しかし、これだけの普及率だから平等と言っているわけではない。多機能になるに連れて操作も複雑になっていくが、メールが上手く使えなくても、通話ぐらいはできるもんだ。しかし、この点を捉えて平等と言っているわけでもない。
かつて10年ぐらい昔は携帯電話を持っている人は少数派で、それ相応の理由のある人でなければ持てる物ではなかった。忙しい地上げ屋とか。高かったし。それは一種のステータスシンボルであって、でかい電話機をこれ見よがしに見せるものでもあった。次第に少しずつ加速度をつけて利用者は増えていくが、それがまだ少数派のときはまだステータスシンボルとして機能した。喫茶店などで一息つこうとも、携帯電話を取り出し、アンテナを伸ばして上手く電波が入りそうなところに置いておくなど。そこで携帯が鳴ろうものなら、「俺って、こんなに忙しいんだぜ」って。
そして5年位前から携帯電話のステータスシンボルとしての価値がにわかに減衰した。持っている人と持っていない人の比率が逆転した頃ではなかろうか。この価値の希薄とともに携帯にはプリクラシールなんかが貼られるようになった。一層チープに見えてしまう。
例えば腕時計の本質的な機能は(正しい)時刻を知ることである。しかし実社会では装飾品としての機能が大きいような気がする。前者の機能は千円の時計だろうが百万円の時計だろうがほとんど差がない。それなのに、百万円とは言わなくても、数十万円の時計を買う人は結構いる。装飾品として金を出しているわけだ。普及率だけで見ると時計は携帯電話以上に平等だが、価格的には不平等なモノと言える。
そんな高価な時計をして、指にもそれこそ大きな石が輝く指輪が光っている。着ている服も高価そうだし、持っているバッグもブランド物。そんな女性がバッグから携帯電話を取り出した。いくら見かけに金が掛かっていようと、そんな飾られた手に握られた携帯電話の値段は他の人が持っているものとほとんど大差がない。これが私が平等なツールだと判断した理由である。かつては持っていることと持っていないことで不平等のツールであったものがここまで普及して最も平等なモノへとなったことに注目したい。
(秀)
年度末もいよいよ明ければ新年度である。何かと新しい生活が始まる人も多いことだろう。そこでは新しい人との出会いもあり、かと言って、相対する自分の内面はあまり新しくもなかったりもするが、周りの環境の変化で気が付けば自分にも何等かの変化の痕が残っていたりする。中には新しい環境であることを逆手にとって、これまでと違った自分のキャラクターを見せようとする人もいる。メッキとしていずればれるかどうかは本人次第。
さて、新しい人と出会った際の手順の一つである、自己紹介。簡単なものは名刺なりを差し出し、会社名と名前を名乗る。この際に自分の職務、そしてその場に居合わせる理由なるものを申し述べるときもある。この場合、あまり長々と話すものではない。あまりパーソナリティーが割り込む要素はない。たまに人事異動による挨拶というものもある。これも旧所属と名前、それに「がんばります」とか「よろしくお願いします」程度だ。
じっくりとそれ以外の、人としての周辺情報までも交えて話をするとなると、座ってからのことになろう。自己紹介というのは自分を規定している情報(それは存在している個体そのものに関する情報、例えば年齢や身長・体重などよりも周辺情報の方が多いような気がする)の中から代表的な部分を切り出して述べるものだ。その相手にとって最も効果的である(と思われる)自分の切り口を選んで告知する。好きなものや趣味の話など。
きっと誰もがいくつもの切り口を持っているに違いない。さてその中で何を選ぼうか?。「私はこんな人間です」とかいつまんで申告する際のアイテムとして何を選ぶか?。親しくなった後に私がこんなコラムを日々書いていることを伝えると相手は一様に驚く。日頃の私の姿からするとかなり意外に思えるのか?。「そんな暇がどこにあるんだろう?」ということかもしれない。もちろん、「コラムニストの(秀)です」、なんて自己紹介をやったことなど一度もない。いつかはやってみたいかな?!。
(秀)
嘘なんてつこうと思って、そうそうつけるもんではない。エイプリル・フールだからと言って、いろいろと思案し、誰かを騙してやろうと思っていたが、日中はあたふたと年度末の後始末でそんなことは忘れてしまい、気が付いたら家に着いていた。逆に騙されることもなかったが。
こうなったら、コラムの読者を相手に嘘でもついてやろうかと思ったが、ここのところ、コラムは配信日の当日の夜に書いているため、読者の目に届いたときには期限切れになっているだろう。う〜ん、困った。そんなとき、電話の呼び出し音が鳴った。受話器を取るとそこからは「ピーッ!」という、何とも耳障りな音。あわてて、FAXの受話器を取り上げ、「受信ボタン」を押す。
ニョロニョロとFAXから吐き出された紙は常連読者からの感想文だった。最後の「ピー」という音を聞いて、出てきた紙を数えると10枚もあった。ざっと読んでみるとなかなか面白い。しかしここでちょっと困ったことに気がついた。いつものように電子メールで貰った感想文はそのままWebに転載できる。しかし紙となるとこれをタイピングしなければない。そういうわけで、読者諸氏からの感想メールはこれを機に電子メールのみで受け付けることにしたい。よろしく。
なーんて。莉香さん、こんな感じでどうでしょう?。「昼間、自宅に感想メールを10通程FAX致しましたが 受け取りましたか?」というメールをもとに今回のコラムを書いてみた。FAXあるけどいつもは電源入れてないんだよ。あんまり使わないから。わざわざFAXで感想文を送ってくる人などいないしね。しかしいつも電源を入れていたら、危うくFAXの所まで行って確認していたかもしれない。あぶない、あぶない。
(秀)
国土交通省がこの2日、高速道路などの料金所で止まらずに通行料金を精算できるノンストップ自動料金収受システム(ETC)の対応車が、3月31日現在で約81万台となり、普及率が1%を超えたと発表した。しかしこれには数字のマジックがあって、私のように年にごくわずかしか高速道路を使用しない人はまだ付けているとは思えない。よって、結構頻繁に高速道路を使用している人から普及するわけで、高速道路を走って車を調べると、この普及率はもっと高いはずだ。
この高速道路の利用している車に限っての数字については料金所の集計で平均4.9%と報じられている。ざっと20台に1台の割合となるわけだ。まだまだ普及に加速度が付くほどの数とは言い難い。国土交通省の目標がどれほどかは分からないが、予定よりも低いはず。これはこのシステムのメリットが上手く訴求できていないからだろう。単に料金の割引などということには留まらない。料金の割引を考えればハイウェイカードを使用すればよい。それでもETCを使用する人々は料金所をノンストップで通過できる点を評価しているはずだ。
待ち時間なく、混んだゲートの車を横目にノンストップで料金所を通過できるのは確かに気持ち良いもんだ。しかし、その料金所にたどり着くまでの渋滞となるとETCだろうとなす術がない。料金所を過ぎた時点で渋滞がないため、これは明らかな料金所渋滞だ。自分が料金を払う段になってからは非常にすばやいが、そこに至るまでには95%のノンETC車が料金所に向けて道をふさいでいるわけだ。
他の装備やツールなどと違って、このETCは少なくとも持っている自分だけは気持ち良いというわけにいかない。皆で利用しないとその効果が十分に生かされない。これが今いち普及に弾みがつかない理由だと思う。料金所のおじさんの人件費を機械化することで圧縮する前提で、先行してその恩恵をETC装置価格に還元すべし。普及に伴うコストダウンを単に待っているだけではダメだ。
(秀)
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