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朝のテレビ番組までも金太郎飴になってしまっている。まるでワイドショー並だ。出て来るアイテムも同じである。新聞に占い。当たり前のことであるが紹介している新聞記事はほとんど同じである。また、当たり前のことであるが占いの結果はまちまちである。きっと最初に見た占いの診断結果が悪かったら(悪くなくても、全部見ないと納得しないため)別の番組までもチェックしている人もいるはずだ。
私には理解できないが、占いにはまっている人が結構多いのは確かだ。「占いなんて当たるもんか」と言おうものなら、自らの人格が否定された如く反論して来る人がいる。ただそれが論理的だったためしがない。占いは学問でも科学でもない。しかし、占いを支持する人はあたかも占いが学問や科学と同じものであるかのように思っている。心理学者が世間に迎合し、性格判断と占いの境を曖昧にしてしまったことが原因だろう。改めて断言しよう。性格診断と占いは全く別物である。心理学で行う性格判断に星座や血液型、ましてや名前や手相などの要素は介在していない。血液型占いなど、さも科学的な雰囲気を装っているが、科学的に突き詰めると血液中に性格を構成する成分など一切含まれていない。もちろん、心理学も統計学の要素を持っているため、答が一通りであるとは限らない。このことも境を曖昧にしている原因の1つである。
「人間を4つや12のパターンで分類できるのか。同じ誕生日で同じ血液型の人間は、同じ性格で同じ運命をたどるのか」、という問いを占い信奉者にぶつけてみると面白い。「運勢や人生は単に血液型や星座だけでなく、あらゆる占いの要素の複合で決まる」という乱暴な回答をもらったことがある。どうやらその答が朝から自分の好みの占い結果を探すことらしい。誤差のあるものを寄せ集めたら、ますます誤差は大きくなる気がするが。確かに複合的な要素ではあるけどね。
(秀)
from.恩ちゃん
今日の日に、このタイトルで「ピン!」ときた人は相当のマニアと断定できる。今日はドラえもんの誕生日なのである。でも実際に誕生する(生産される)のは西暦2112年のことなので、年齢はマイナス113才ということになる。ここで、みなさんとドラえもんのことをどれくらい知っているかを復習してみよう。身長は129.3cm。体重は129.3kg。胸囲は129.3cm。部品の数は1293個。こんなことぐらい知っているのは当たり前のことか。
かなり多くの作品があるため、設定は結構綿密か、と思うとそうでなかったりする。ドラえもんが青いのは、最初、「ある日居眠り中にネズミに耳をかじられ、数日後包帯を外したら耳がなくなっていたのでショックで青ざめた」と説明されていた。ところが今は「そのとき三日三晩泣いて、塗装が禿て青くなった」となっている。もちろん元の色はどちらも黄色である。けど、本当のところは連載開始のカラーページでの配色を考え、タイトルは赤、バックは黄色、と先に決まり、残った色でバランスが良い色として、青色(空色)になったのである。そんなことを得意気に子供に自慢しても、夢のない話なので信じてもらえない。
もう1年近く経つかと思うが、ドラえもんの最終回というチェーンメールが出まわった。あまりの騒ぎの大きさにマスコミも乗り出し、原作者のものでないことが世間一般にも認識されたが、私はその前から本物ではないと見抜いていた。理由のその1つは、のび太がドラえもんを作ったというのは時間的に無理がある。のび太の寿命を考えると存命中に設計したとしても量産化までの2112年にはタイムラグがあり過ぎはしないか。そしてもう1つの理由は、ドラえもんが電池切れで止まってしまうが、最初からドラえもんは電池では動いていなかった。動力は原子力である。その証拠に彼のお腹は原子炉とイラスト付きで「ドラえもん百科」で説明されている。
(秀)
※「ドラえもん百科」の内容は今では小学館文庫「ドラカルト」の中で部分的に再現されている。
NHKもBS、しかも夜となると、なかなか砕けた番組を放送している。「BSマンガ夜話(よわ)」というのがそれである。今回初めて見たが、不定期で放送しているらしい、1時間番組である。そのときのテーマは「ドラえもん」だった。番組はレギュラーとゲストがそれぞれ3人づつ、その日のテーマに関して思いの丈を論理的に語る、堅いのか柔らかいのか、このバランスが微妙で面白かった。
私が考えた「どこでもドア」の値段は2億円(消費税別)である。これは随分以前からそう決めている。こんなことを思いついたのは自分がインターネットでホームページを持った際に、みんなで実在しないものも含めて、色々なものにオークションで値段を付け、投稿するコーナーをやろうと思い立った。その例題というかモデルケースとして「どこでもドア」に自分なりに値付けしたのが2億円であった。私は今回のこの番組のことを知る以前から、このタイトルでコラムを書こうとタイトルリストに入れていた。ちなみにタケコプターは200万円にした。
さて、番組のほうに話は戻るが、1時間の間に話題が色々な方向に飛ぶ。ドラえもんの人気は日本国内にとどまっていない。しかしその範囲は主に東アジアに限られていて、欧米圏では受け入れられていない、という話が飛び出した。その理由は成長しないのび太を欧米人の感覚では許せないという理由に達した。その一方で東南アジアの熱狂的な人気を裏付ける話をゲストの鴻上尚史が語った。インドネシアで現地の中学生が彼に尋ねたらしい。「日本にはどこでもドアやタケコプターがあるか」と。すると鴻上氏は「日本にはどこでもドアがある。けど日本円で2億円もするから、あまり持っている人はいない」と答えたらしい。2億円という感覚が不思議なことに私と一致している。中学生はその答を聞くとあまりもの高額にがっかりしたものの、「タケコプターは?」と質問を続けると、「タケコプターは頭に着けて空を飛ぶと、首が引っ張られて痛いので、実際に使う人はいない」と氏は答えたそうだ。
(秀)
ある朝、読者の一人から「お知らせ」と題されたメールが届いた。しかも添付ファイル付きで。開くと、噂メールの鑑定依頼の内容だった。その噂とは「神田正輝ヅラ疑惑」である。噂の内容は以下の通り。
「私のお母さんの友達が関口宏のフレンドパークの収録を見に行ったときの事。壁に飛びつくゲームがあって、それに神田正輝が参加したんだって。神田正輝は勢い良く壁に向かって走り、高得点をマークした。壁から神田正輝はスタッフの手を借りておりたんだけど、壁になんか髪の毛みたいのが残ってて、あれっと思いながら神田正輝を見たらハゲてたんだって。本人はしばらく気がつかないで、満足げな笑顔を振りまいてたらしいんだけど、ヅラが取れたことをスタッフに言われ顔面蒼白。すぐ関係者に囲まれて控え室の方に引っ込んでった。その後別室に観客が連れて行かれ、スタッフにこの事は口外しないようにと言われたんだって。」
噂はマスコミでも取り上げられているようであるが、オリジナル(と思われる)メールを目にしたのは初めてであった。メールに添付されていたのは禿げた神田正輝の写真であった。記者会見か何かのときのものと思われる。まあ、良くできた合成写真であろう。
さて、私の推理である。まず、指摘の壁に飛びつくゲームはマジックテープでくっつく仕掛けになっていたと思う。マジックテープはご存知の通り、一方がチクチクでもう一方がパイル状で、チクチクが引っかかるようになっている。もし壁側がチクチクの状態でそこにゲーマーが飛びついていくのは甚だ危険である。と言うことはゲーマーの服(ツナギ状のもの)や手袋がチクチクになっているはずだ。と言うことは壁にカツラが貼り付くことができないというわけである。彼が本当にヅラなのかどうかは分からないが、少なくともフレンドパークでの事件は嘘と結論付けた。
(秀)
ほんの思い付きで始めた「秀コラム」も早、と言うべきか、やっと、と言うべきか、100回に達した。当初の読者数は20数名で、とりあえずはこの読者数を抜く回数まではやってみようと、まずは3話分書き貯めたところで始めた。その目標は難無くクリアでき、次の目標を100話連続執筆とした。ついでにその頃には読者数も100人ぐらいいると良いなあ、なんて思ったりしたが、この点は遠く及んでいない。
「秀コラム」を始めた動機の1つは種々雑多な、けどあまり役に立つことはない記憶を何とか書き留めておきたいということだった。自分では役に立たなくても他人の目には何かしらの役に立つかもしれない、笑ってもらえるならそれも本望、というわけである。記憶の棚卸しというかリサイクルである。そして、せっかくだから、自分にしか書けないような何等かの原体験を交えて書きたいと思った。それはどちらかというと「なつかし」系の話になるが、いざ始めると、記憶を掘り返している一方で、現在進行形の「書きたい対象」がふつふつと浮かんで来る。紙メディアでは感じられなかった、リアルタイムの反応や今日の出来事が翌日には発信できている喜びが、コラムの方向性を当初の予定より変えてしまった。
私がコラムを書き始めて5年近くになるが、当時書いていた媒体は会社が社外に出している広報誌の類であった。創刊号で紙面が余ったことに始まり、その場凌ぎで2回書いたところで3回目からはフォーマットもそれに決まってしまった(正しくは「決めてしまった」)。その媒体はバージョンアップを重ね、合計40数話を書いた。会社の発行物のためあまりふざけたことも書けず、テーマもパソコンに関するものであった。月に1回書けば良いのだが、それなりに大変で何度かは徹夜し、メールで入稿するや次の日は会社を休んだこともある。書き上げることを「脱稿」と言うのだがその度毎に「次はきっと書けないぞ」といつも思った。プロの作家は毎日のように、しかも何回も「書けなくなったら、どうしよう」と思うらしい。お陰でその気持ちも分かるようになった。
脱稿のタイミングでこれが「最終回なら」と何度か思った。しかしいざその連載が終わってしまうと、何か物足りない。しかも、その最終回はあらかじめ予定されていたわけではなく、半ば喧嘩別れにより連載を下りた形になっている。「さあ、これからどうしよう」。テーマの強制もなく好き勝手に記憶の棚卸しをしようと書き始め、20数名にメールで送ることから「秀コラム」は始まったのである。
(秀)
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