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小学校の正門を出たところにときとして物売りのおじさんが待っていたりする。割りときっちりした身なりの場合は教材の販売だ。問題集申し込みの封筒を配っている。子供が金を持っているわけでなく、「明日ここで販売しているからね」と声を掛けながら封筒を配っている。決まって、封筒には「おうちのかたへ」という文字が印刷されていた。
かつては学研の科学や学習が学校で教職員の手を経て注文を取っていた時期があったらしい。しかし、授業で使うわけでもなく、ある企業に肩入れするのはいかがなものかと見直されたようだ。あいにくこの時期を私は原体験として知らないが、前述の問題集は低学年のときには担任の先生がホームルームのときに封筒を配っていたような記憶がある。あたかも学校が推奨しているかのように見えるのが良くなかったのでこれも見直されたのではなかろうか。この他には映画の割引券を配っていたりした。さすがに漫画なんかに出てくる、「ひよこ売り」のような妖しいものはなかった。
そしてある日、機械式の簡易計算機のようなものを売るおじさんが現れた。おそらくあれは九九の計算機だったと思う。トイレットペーパーの芯ほどの円柱形である。それをカチカチと回すと九九の問題と答が現れるギミックのものだった。値段は300円ぐらいだったような気がする。色もちゃんと男の子用の青と女の子用の赤が用意されていた。しかし、こんな物売りに引っかかるのは大体が男の子で、女の子は、ちびまるこちゃんぐらいではなかろうか?。
家が近い子は一旦家に帰って、親からお金を貰って再度やって来る。知った友達が買うと、おじさんではなく、今度はその友達に人垣ができる。カイカチと友達がやって見せる。「うぉー!」。当たり前だって。そんな複雑な機械ではないし、さっきおじさんがやって見せた通りじゃないか。私は家が遠かったので、確かに欲しいが、金を取りに帰るほどのことまではしない。「明日もいるからね」とおじさんと言うから、その言葉に安心し、明日買おうと心に決め、家路を急ぐ。
翌朝、クラスで二人ぐらいが例の計算機を前日に買っており、学校に持って来ている。その瞬間にすっかりそのことを忘れていて、お金を持って来ていないことに気が付く。放課後、約束通り昨日のおじさんが正門前にまた計算機を並べていた。「おじさん、明日もまた来る?」。「明日はもう来ないよ」。わが人生、こんな事が結構多い。
(秀)
大雑把に「老人文化」と言ってしまうと甚だ乱暴な話だが、仮に30年後、この文化は果たして現存しているのであろうか?。それは例えば、演歌であり、浪曲であり、歌舞伎であり、芝居に、寄席演芸などである。それに水戸黄門をはじめとする時代劇。老人層だけでなくともコアなファン層が存在してはいるだろうが、それは少数派であろう。その少数派だけでは需要と供給のバランスが保たれず、衰退してしまう。
今の老人達も昔から老人だったわけではない。およそ30年程前は今の私と同じぐらいの年齢だったはず。果たしてその頃から彼らはこのような趣味趣向を持っていたのか?。その辺は良く分からない。しかし、例えば30年後の私が今の老人達が支持している趣味趣向にあった老人になるとは到底思えない。例えばジジイになってもロックやラップを聞いていると思う。
昔は娯楽の間口が狭かったので、芝居や演芸に接する機会も多かったろう。それが面白かったら、それからも支持したであろう。今の老人文化はだいたいこんな感じで形成されていったのではなかろうか?。しかし、次第にその機会は狭められ、若年層がそれに触れる可能性もますます小さくなった。例えば浪曲。これは間違いなく廃れるだろう。伝統芸能として、能や狂言のように生き延びるしかなかろう。
演歌。これは微妙。ひとり、氷川きよしだけが老体に鞭打ち、気を吐いているかもしれない。落語。そもそも落語家へのなり手が減少するのではなかろうか?。時代劇。今のような勧善懲悪の単純な構成でなく、しかも、一話完結でない、1クールの連続ものになるかもしれない。恋愛ネタが出たり、サスペンス仕立てになっているかもしれない。「黄門様は見た!」、なんてシリーズか。まあ、私はそんなジジイになっていないつもりだから、どうでも良いけどね。
(秀)
今週はそわそわしている。今週末で当コラムが千話を達成するからだ。千話達成までこの回も入れて3回。マラソンで言えば、競技場に戻ってきて、ゴール目前といったところか?。円谷が抜かれたあたりか?。若い人には分からないだろうし、縁起の良い話ではないのでこの話はこのくらいにしておこう。いっそのこと「一気に3話ぐらい書き上げてしまおうか?」という邪心が起こる。いやいや、平常心、平常心。
よくもまあ、千話も続いたなあ、と思う。私は意志が弱いので不定期などとするとすぐルーズなってしまう。だったら今頃二百話あたりをさまよっていて、一話も書けない週が続いていたりしたかもしれない。締め切りがないと緊張感が維持できない。生活のリズムの中に取り入れて平日だけでも毎日続けたことが良かったと思う。
千話達成してこれでコラムを止めてしまう気はないが、区切りは区切りである。一旦ゴールと受け止め、胸でテープを切りたい。そしてこの区切りにしばし休暇を頂戴しようと思っている。ゴールを切ったマラソンランナーがそのまま走り続けて競技場を出て行く姿を見た事ないように。劇的に倒れこむような事はしないが、ちょっと息がおさまる位は脚(手)を止めてみようかと思っている。ついでに今後も平日毎日のペースで続けられるか、考えてみたい。
私にとってこの4年間は最高の道楽をさせてもらった。読者諸氏に付き合っていただきながら、励ましてもらいながら、日々書きつづけたコラムは私にとっての大切な記録でもある。しかし、その一方で連日締め切りに追われる憂き目にも遭った。さっさと寝てしまいたい日もあった。そこで、千話達成記念にちょっと休暇が欲しいわけだ。大好きなテレビ番組を腕枕で眺めながら、うとうととし、「寝るんだったら、布団に行きなさい」と家人につつかれてみたい。
(秀)
かれこれ4年にわたって懐かしい話なんぞを書いてきた。最初はこの懐かしい話を中心にしたコラムにしようと思っていたが、それ以外にも文字にしておきたいことが現れ、いつの間にか幕の内弁当どころか、デパートの如く、広範な対象についてコラムを書くことになった。結果、このことが毎日続けてこられた点でもプラスであった。
あれは高校2年のときだった。担任の先生が何かの折に、「お前達が今から昔を懐かしんでちゃいかん。そんなのは年を取ってからやれば良い。若いうちは前を向いていろ!」と言った。それから約20年。その生徒の一人はせっせと今、昔話を書き記している。もちろん私のことだ。実際にこのコラムを始めるにあたって、この担任の言葉が気になった。しかし、「今書き残しておかないと、私の記憶からも永遠に消え去るものがあるかもしれない」という思いが勝って書き始めるに至った。まだまだ書き足りない懐かしい話はあるし、一旦書いた話もいずれは増補したいと思っている。
かつて私は写真が好きで、当時いろいろとカメラや機材が欲しくてたまらなかった。しかし、当時は金がない。時を経て、自分で金を稼ぐようになって、ある程度買うことができたが、やがていずれも手放してしまうに至った。当時の最新機を手にしても、あのときに買えなかった気持ちを満足させるには至らなかった。かえって、当時欲しかったものあたりが今でも気になる。他でも同様。スカイラインで言えば、鉄仮面(昭和60年当時のRS/Xターボ)。それぞれ、モノを媒体として、今でも記憶を支えている。
今もいずれは過去になる。過去を書き、今を書きながらもいずれそれらも過去になる。最近は新しいものほど、その寿命が短いときている。流行や文化、最近は流行り廃りの早いこと。それらもできる限り書き残してやろう。まあ、それでも得意な時期というのがあるとすれば、私にとっては20年位前だろうか。そしてそこから更に遡ること10年。まだまだ書き足りないことはまたいずれの機会に。
(秀)
今日で4年間に及ぶこのコラムの区切りをつけるにあたり、全く私的なことで申し訳ないが、この4年間の最大の変化について書くことをお許し願いたい。この4年間での私にとっての最大の出来事は家族が一人増えたことだ。これまでコラムで書くことなく、その中では私は二人の子持ちの四人家族と言うことにしてきたが、実は2歳になる次女がいる。
西暦2000年が明けて間もなくのことだったと思う。妻と二人で徒歩1分のコンビにまで夜出かけた。角を曲がってコンビニの駐車場が見え始めた矢先、妻が悲鳴を上げるや、私は前方数十メートルの距離を久しぶりに全力疾走で駆け出していた。コンビニの前には駐車場があり、その駐車場は県道に面している。夜間は車が少ないこともあり、結構車がスピードを上げて通り過ぎる。ちょうどカーブがあり見通しが悪く、一方は下り坂ときている(逆方向から見ればもちろん上り坂だが)。
私達二人は前方に約1歳半の男の子を発見した。どうやら店から出て、駐車場から道路の方にヨチヨチ歩いていた。道路まであと3メートルといったところ、駆け出して数秒後にその子にたどり着くと、私はその子を抱き上げた。とにかく間に合って良かった。「ああ、軽いなあ。こんな小さな子抱っこしたのはいつ以来だろうか?」と思っている間に妻が私に追いついてきた。妻は驚きのあまり、駆け出すことなどできず、声だけ先に出たと言う。
私がその子を抱いたままコンビニの中に入ると、妻は「この子のお母さんいませんか?」と母親を探し始めた。その声を聞いて、「化粧室」へ繋がる店の奥の扉が開き、一人の女性が飛び出してきた。その女性は事態が分かっていなかったようだが、私の手から子供を受け取りながら、「駐車場に出て、もう少しで道路のところまで行ってましたよ」と聞かされて、驚いて恐縮していた。何度か礼を言った後、それからばつが悪かったんだろう。分かるはずもない子供を相手に「ダメじゃない、外に出て行っちゃ」と母親はその子供をしかり出した。
その母親から離れて、妻は「悪いのはあんただからね。子供を置いてトイレに行くなんて」と彼女に毒づいていた。それよりも私は良いことをしたことの満足感と久しぶりに小さい子を抱き上げたことでうれしかった。そしてそのことを妻に話した。「あんな軽いんだ。久しぶりにあんな小さい子抱っこしたよ」。妻が妊娠したのはそれからしばらく後のことだった。そしてその年の年末、押し迫った日に、ミレニアムベイビーとして我が次女は誕生した。この子は私が良いことをしたご褒美に授かった子供だと思っている。
(秀)
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