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暖冬の予想のはずが、一転して厳しい寒さが続いている。子供たちが寝るときに寒かろうと電気あんかを買ってやることにしたが、探してみると意外と見つからない。やっと見つけたは良いが、種類が少なかったり、思ったよりも高かったりした。それでも何とか買い求めることができて一段落である。湯たんぽは湯を沸かさねばならない。それに引き換え電源に差し込むだけでじんわり暖かくなってくるのは便利だ。息子はたいそう気に入って、寝るとき以外にもちゃぶ台と組み合わせて簡易こたつとして利用している。
電気あんかが登場するずっと以前、私が子供の頃には豆炭のあんかというものがあった。ガスコンロで豆炭を焼き、それをあんかにいれる。電気あんかに比べると格段に面倒くさい。
一方、日中寒いときにはカイロの登場となるが、今のような使い捨てカイロが登場したのは確か今から30年ほど前のことになる。そしてそれ以前はベンジンを使用した白金カイロである。ほんのり暖かい。それをストッキングに入れて腰に巻きつけたりして使用していた。
部屋の暖房機は今では概ねファンヒーターやハロゲンヒーターだろうか。これに対し、かつての部屋の暖房機は放射型のストーブだった。やかんを載せておけばお湯が沸くし、加湿器などいらない。経済的だ。おまけに餅も焼ける。これで随分昔は餅を食ったものだ。もっと遡ると火鉢というのもあった。
一番変わらずに存在し続けるのは、こたつだろう。我が家では私が生まれる前から電気ごたつはあったらしい。
(秀)
野球をモチーフにしたおもちゃは数多くあると思うが、忠実な再現性という意味では単純ながらこのエポック社の野球盤が一番だろう。また知名度も高い。私も小学生のときにどうして必要と思ったのか分からないし、それほどの野球少年ではなく、プロ野球のナイター放送は嫌いだったはずなのに、何故かこの野球盤を買ってしまっていた。
当時、この野球盤は2つのグレードがあり、私が買った方は安いほうのCタイプ。値段は千円台の後半だったと思う。一方デラックスタイプのAタイプは三千円くらいだったような。豪華版の方が若干盤がでかく、守備やランナーの人形がしっかりしているのと、得点掲示板が機能すること、それにバッターが左打ちにも変更できた。
消える魔球という機能があり、ホームベースの前でボールが下に落ちて打つことができなくなる。ちなみに消える魔球は見送るとボールとなる。この消える魔球をめぐってはトラブルが絶えず、1イニングに使える回数を制限したり、そもそも使用を禁止するなどの特別ルールが登場した。私が兄と遊ぶときは消える魔球は禁止の上に、ピッチャーが投げるタイミングが分からないため、投げる際には「はい」と声を掛けるルールとなっていた。
この野球盤は何度かモデルチェンジを繰り返し、ピッチャーが連投できるような仕掛けが付いたり、東京ドームがオープンした際には多少小ぶりになって、それを模した透明のプラスチックカバー付の東京ドームモデルなるものも登場した。一時期販売を中止していた時期があったようだが最近また復活している。最初のモデルは昭和33年の発売らしい。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」でクリスマスプレゼントとして登場していた。昭和33年、まさに旬なおもちゃだったようだ。
これまたどういうわけで買ってしまったのか分からないが、今私の手元にはネットオークションで買った当時のAタイプの野球盤がある。
(秀)
私たちがこの遊びで遊んでいたときにその遊びの名が何と言うのか知らなかった。呼び名はないものの、休み時間になるとドッチボールを持ってこの遊びに興じた。息子も同じ遊びを小学生のときにしていたらしく、彼らはそれを「将軍」と呼んでいた。また、泉麻人氏の本によると、「士農工商」と呼ばれていたらしい。
4メートル四方程度のコートを縦横に中心から四つに分割し、それぞれのエリアに一人ずつ入る。そのエリアには順位があり、私たちは単純に一、二、三、四と読んでいたが、先ほどの例では士、農、工、商ということだろうし、将軍は最上位のポジションのことだろう。調べてみたら、「将軍」の場合の階級は将軍、大名、武士、足軽の4つらしい。
遊び方は最下位の人間からドッチボールをまず自分の陣地でワンバウンドさせた後、手(主に両手)でいずれかの相手のコートに打ちいれる。攻撃された側はボールをワンバウンドまでの状態で同じように手で元のエリアに打ち返すか、さらに上位のエリアに打ちいれる。ボールを放つ際にひねりを加えたりした。ミスをすれば下位の人間と入れ替わり、最下位の者がミスした場合は順番待ちの補欠と入れ替わり、次のゲームは入れ替わりを行った下位の者から再開される。
教室の隣の土間に丁度区切りとなる線も引かれていたのでそれを1つのエリアとしてこーとにした。ときどきに特別ルールを設ける場合があり、「ボールをつかんで良い」、「最初から攻撃を仕掛けてはならず、最初のボールは元にそっと打ち返さないといけない」など。1回ずつの勝負が早いので10分休みでも十分楽しめた。
将軍にしても士農工商にしても身分を扱うネーミングではメジャーになれない。もっと当たり障りのないネーミングと統一ルールでのメジャー化を希望する。
(秀)
ライブドア堀江社長には謙虚さがない。態度だけでなく、ビジネスの手法についてでも。だから東京地検等の強制捜査が入った際に「ざまあ見ろ!」と思った人も多かったはず。しかし事実は事実として感情論では処理できない。目立ったからやられたのではく、犯罪を犯したと疑われたのでやられたのだ。もし当事者が「目立ったからやられた」と思っているとしたらそれこそ謙虚さがない。強制捜査直後の会見での、「今まで通り、事業の拡大に努めたい」との弁にやはり謙虚さはなかった。
地検特捜部の目的は立件であり、起訴である。強制捜査はそのための手段にしか過ぎない。ということは相当の判断があっての強制捜査であるに違いない。間違いなく逮捕者が出るだろうし、容疑が固まれば、堀江社長がこれから避けられる理由はない。
一方、株式は近々に上場廃止になるだろう。株主が駆け込みで売り急ぎ、市場は混乱してしまっている。売値が付くのが先か、それとも上場廃止が先か。可愛そうなのは買収されて傘下に入った子会社の人々だ。上場廃止後、ライブドアはこれら子会社を手放さなくてはならなくなるだろう。それに株主代表訴訟。この株主代表訴訟がダメ押しになると私は見ている。ライブドアはどんな形で終焉を迎えるかはいろいろなストーリーが想定でき、すぐには予想できない。負債がある訳ではないので、解散という形で株式の現金化という軟着陸も有り得る。
強制捜査以来、日に日に色々と情報が出てくる。風説の流布、粉飾決算、連日の株ストップ安、元グループ会社役員の自殺、売却益の還流、吉川ひなのとの交際。「想定外」と皮肉られている。人々の多くは無情にもこのスキャンダルを面白がっている。マスコミもその立場で煽る。ホリエモンがムイチモンになるらしい。「ざまあみろ」と思っている人が何と多いことか。
(秀)
最近のパソコンは一所懸命、テレビになりたがっている。技術的にパソコンにテレビチューナー機能を付けることはたやすいが、「テレビを見ることができる」ことと「テレビとして見る」ことの間には大きな溝がある。パソコンでテレビを見る意義が弱い。一方、テレビがパソコンになろうという感じはない。それは、通信が一生懸命、放送に擦り寄っているが、逆はまったくその気がないのと丁度同じ関係にある。テレビを見ながら番組のサイトを見られる程度のことが精一杯といったところか。
昨年のライブドアによるフジテレビの買収騒ぎや楽天によるTBS買収において、買収を仕掛けた側は「放送と通信の融合」なんてことを言っていたが、その計画の具体例は非常に貧弱だった。「テレビの視聴によってポイントを与える」なんてのはこじつけというかあまりにも融合の度合いが遠かったし、相乗効果など期待のイメージもわかない。そもそも資本関係を持つことの意味がなかった。単に彼らは放送というメディアが欲しかっただけだと思う。
通信という面ではビデオ・オン・デマンドというのがある。しかしこれがなかなか普及しない。一部、無料のコンテンツを提供するサイトでは多くの会員を抱えるに至っているが、CMの広告収入によるこのスタイルはビジネスモデルとしては新しいものではない。また、そのCMもコンテンツ別にその人に有効なもの選別して流している感じでもない。ユーザの視聴を有料化してビジネスを維持できる内容とは到底言えない。この分野で唯一有料化が成り立っているのはH系のコンテンツのみではなかろうか?。
やはりコンテンツの善し悪しが全てである。ビデオ・オン・デマンドが普及するにはこの点が欠かせない。例えばレンタルビデオ店で新作映画がリリースされるのと同時にビデオ・オン・デマンドで視聴ができるほどでなければ。そうすれば貸出中や返却の必要も、延滞の危険もないビデオ・オン・デマンドのスタイルは一気に普及することだろう。経営側も店舗が要らないし、人件費も要らない。
結局いずれも模索の段階でしかない。将来像はあっても、そこに至るまでの具体的な過程がはっきりしないままイメージだけ先行していて、現状は中途半端な状態にある。放送と通信の融合はまだ遠い。
(秀)
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