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私はかねてから探している本を買うのならネットで買った方が良いと考えていた。街の本屋に在庫がない場合、そこで取り寄せてもらうくらいなら、ネットでさっさと注文して待つ方が良いと思っていた。混んでいる本屋のレジに並んで本の題名を言って探してもらったり、取り寄せの手配をして、列の後ろの人に迷惑を掛けるのも忍びない。どうしても急いでその本が必要なら、店員に聞くかも知れないが、取り寄せとなると、ネットで買った方が早い昨今でもある。ところが最近、ネットで本を買って後悔することが続いている。
まず、実際の本屋に行って何をするかというと、本を手に取りペラペラとページをめくることだ。それが探していた目的の本であっても、とりあえずページはめくってみる。このページをめくるというのは本を探す上で非常に重要だ。ところが、ネットで本を買うとこれができない。サイト特有のレビューという他人からの情報はあるものの、実際に自分の目でページをペラペラと確認して選ぶ行為にははるかに及ばない。
一言に探すといっても、大きく2つある。1つは最終目的が決まっていて、それを探すこと。あらかじめ、書名等が分かっているときだ。そしてもう1つは、ある条件によって最終目的を決めるやり方である。前者は書名もそうだが、ある作者の最新刊というのも含まれる。このように前者の場合はネットで買ってもあまり問題はない。
しかし、この後者の方が曲者である。店でペラペラとページをめくったら、そのまま元の位置に戻してしまうような本をここのところ立て続けに買ってしまった。ビジネス書やノウハウ本の場合にこの傾向が強い。結局期待した内容でなかったり、文章がきわめて稚拙で、お金がもったいないからと無理して読むと、それはかえって時間の無駄遣いになってしまう。
というわけで、ネットで本を買う場合、かなり慎重になってしまった今日この頃。皆さんはどうだろうか?。
(秀)
浅草演芸ホールで初めて生で寄席を見て以来、こと、落語に関しては知らない咄家でも十分楽しめることが分かったので、出演者をそれほど気にする事なく、次の機会を探していたところ、映画「しゃべれども しゃべれども」に出て来た早朝寄席が実際に存在することをインターネットで見つけて出掛けることにした。
今回は上野の鈴本演芸場。ここの座席数は300くらいであろうか。そこに150人を上回る入りだったようだ。10時からのこの会は二ツ目の若手が4人出てくる。ほとんど名前も知られていない顔触れなのにこれほど人が入っているのは単に木戸銭が500円と安いからだけでなく、若手を応援しようという常連の存在が推測される。それと「しゃべれども しゃべれども」の効果もちょっとはあるのかも。定席の寄席に比べると客層もやや若い。
各人の持ち時間は20数分である。出演順は本当かどうか知らないが、あみだくじで決めているらしい。上手いからトリというわけではなさそうだ。若手とあって、マクラが若い層の話題である。そして時事的にも新しい。古典落語ながら創作部分を織り込み、ビリーズボートキャンプなんて出てくる。総じて、皆のびのびとやっている。それは楽屋や会場に真打のような偉い人がいないからではないだろうか。
落語は話のストーリーのみではなく、それをどう表現して伝えるかの表現芸術である。知っている話でもそれをどう演じるかを見るところも楽しい。同じ演目を何度か見てみて、それを自分なりに比較できるようになれば良いなあと思っている。とりあえず天気が良くて早起きできた日曜日の朝は、早朝寄席にしばらく通うことになりそうだ。
(秀)
安倍総理は幹事長や官房長官の場合は非常に好感度が高かったが、総理になってからまったくダメである。最近は参議院選挙の自民党のCMをテレビで見るたびに私は嫌気がさしてチャンネルを変えてしまう。
参議院選挙での与党の敗北は明らかなようだが、安倍総理は大敗しようと退陣しないとの憶測が飛び交っている。今の自民党では党内から突き上げるポスト安倍の有力な候補者がいないのもそのせいだ。それともう一つタイミングの問題がある。先の総裁選挙で勝利して総裁・総理になったが、その在任中に年金問題が噴き出した。政治とカネの問題も。要は誰が総理であってもこの状況下では選挙に負けていただろうと、かつての総裁候補者は「自分でなくて良かった」と思っているとしたら、おいそれと安倍降しができないのではなかろうか。
「参議院選挙は政権選択選挙ではない」と自民党は争点をかわす。これにより安倍総理の責任、退陣論をうやむやにしている。しかし、今回与党が負けるとしたら、それはとりもなおさず、安倍政権に対するNOの意思表示に間違いない。この保身、すり替えが私には非常に見苦しく見える。
関心は既に選挙後の政局に移っている。安倍総理は辞めるのか、どうか。ここで彼が固執してしまうと、ますます支持率は下がり、早々に控えているであろう解散総選挙にも悪影響を及ぼす可能性が高い。いずれにせよ、政権への批判票は政権選択の場に引き継がれていくことだろう。かつてこれほど面白い参議院選挙はなかった。みんなも必ず投票に行こう。
(秀)
予想通りの自民党大敗。それとこれも予想通りか、安倍総理は早々に続投を表明した。国民感情からするとこれは許せない。主権者の意思表示としての国政選挙でこれほどのノーという結果を受けたのだから、政権選択選挙であろうが、なかろうが、その最高責任者は自らの意思で責任を取るべきだ。
しかし、自民党はこの「参議院選挙は政権選択選挙ではない」という予防線発言によって自滅した。これにより反感を買って民社党に票が流れたこともあろうが、それ以上に有権者に、自民党が負けても政権は変わらないということを気づかせてしまった。この安心感により民社党に流れた票が相当あったと私は思っている。よって解散総選挙で与党が過半数をそうやすやす割り込むとは思えない。そのためにはまずは安倍総理が退陣し、別のリーダーで下で次の選挙に備えるべきである。このまま彼が居座ることは良い結果にならない。
一通り、主要な新聞の今日の社説を読んでみた。大体どこも同じで、自民党に対する批判と民社党への責任の重さを自覚させる内容である。これにいわゆる反体制派の新聞(朝日、毎日)となると安倍総理の責任問題について追及しているが、一方の保守系の新聞(読売・日経・産経)となると責任問題について言及していない。
もはや死に体となった安倍政権。次の世論調査では今回の居座りの影響でもっと支持率を下げ、20%を割り込んでしまうかも知れない。内閣改造といった小手先だけのごまかしで乗り切ることはできない。今なら顔を変えるだけで済むけれども、このまま放置すると自民との本体自体が立ち直れず、分裂につながるかも知れない。
安倍総理は危機感という感覚が壊れているとしか思えない。まったく美しくない。
(秀)
暑中お見舞い申し上げます。
夏休みが始まって、我が末娘は小学校のプールに通っている。そう言えば、私が小学生のときも学校のプール開放があった。今日はその話を書こうと思う。私の小学校のプール開放は学校の協力の下、保護者たちによって運営されていた。町区ごとにプール当番の保護者が期間中割り当てられ、監視にあたる。平日午後に前半と後半で各町区が割り当てられ、希望者はその時間にプールを利用できる。夏休みの前後半でこのプール利用の前後半は入れ替えられた。いずれも児童は自由参加である。
プールを利用する者はプール利用のしおりに従って、かまぼこ板の名前札を用意しなくてはならない。そのかまぼこ板には学年クラス、氏名、連絡先を記入する。我が家では毎年これは父親の仕事だった。更衣を済ませた者はこのかまぼこ板を持ってプールに行き、これを当番の保護者に渡し、帰りにはこれを受け取って帰る。もし、このかまぼこ板が最後に当番の元に余ってしまったら、大変なことになる。特にこの名前札で出欠確認を取っていたわけではなく、単に安全確認の手段として機能していた。どうやらこのシステムは市内の他の学校でも同様であったことが家人の証言で確認されている。
各家庭で日頃かまぼこ板はどう処理されているのだろうか?。たまたま我が家では常に数枚をキープしてあったが他の家庭ではどうだったのだろうか?。昔は畳の上にタンスを置くときなどに下にかまぼこ板をよく敷いたもんだ。さらに新聞紙で高さの微妙な調整をする。しかし、今となっては洋室が増えたためにかつての様にタンスの下に敷くかまぼこ板の出番もめっきり減ったことだろう。
夏休みが始まるという時になると、このプールの名前札のためにかまぼこ板が必要になって、かまぼこを使った夕飯のおかずが登場するのだろうか?。兄弟がいると、かまぼこメニューが続くのか?。大変だなあ。
(秀)
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