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第1366話 〜2007/10/25〜

■カード遊び

 私の世代が子どもの頃のカードとなると、仮面ライダースナックのおまけに端を発していた。そして、このカード付きスナック菓子のスタイルは仮面ライダー以外のヒーローものでも展開された。ちなみにマジンガーZのスナック菓子にカードが付いていたことを、当たりが当たったことで記憶している。あいにく会社がどこのものだったかは覚えていない。このときの景品はカードアルバムではなく、ポスターだった。

 その後、ウルトラマン系やマイナーヒーロー系のカードが駄菓子屋で販売された。いずれもライダーカード同様、ロケのスチール写真である。これがカード2枚組で10円で販売されていた。当たりの景品はカードアルバムで、駄菓子屋で即交換してくれるのが嬉しかった。元々、カードが欲しくスナックを買っているが、それではお金が掛かるし、スナックが食べきれずに余ってしまう。それで、菓子を捨ててしまう社会問題も起きた。だからカードだけの販売は子どもには好都合なのである。ライダーだからというわけでなく、結局はカードであれば、何でも良かったということの裏返しでもある。

 この頃のカードのように遊び方のルールが決まっているわけでもなく、むしろコレクションを対象にしたようなカードである。メンコのように厚みがあるわけではないので、メンコのような遊び方はできず、自分のカードを指で挟んで、それをはじいて、上に載せた相手カードをひっくり返せば、それをもらえる、といった遊びをしていた。決まって、嫌いな雑魚カード同士の対決になってしまうのが欠点だった。

 結局、駄菓子屋でのカードの販売が終わった頃に我々のブームは去ってしまい、カードもいつの間にか、なくなっていた。捨ててしまったに違いない。所詮、踊らされていたようだ。今となってみては何が楽しくて集めていたのか分からないが、だからと言って、今どきの子どもたちのカード集めに文句は言えない。かつて自分たちも、ああだったのだから。思い出よりも、あのときのカードが今も残っていたら、それなりの金額になるんだろうな、という打算が先に出てしまう、今日この頃。

(秀)


第1367話 〜2007/10/26〜

■初めてカメラを買った頃

 かつて私は中学生の頃、カメラ少年だった。かと言って、田舎暮らしであるため、アイドルの追っかけなどではなく、地道にモノクロでの写真撮影に明け暮れていた。モノクロにこだわるのはお金がないからで、学校の暗室の他にも、家で夜の台所で現像や引伸ばしを自分でやって楽しんでいた。

 初めて買ってもらったカメラはオリンパスOM−1(New)で、下調べをせず、母親とカメラ屋に出向き、店員に薦められるままに決めてしまった。「写真をこれから本格的に楽しむにはマニュアル機が良いですよ」と。マニュアルとはカメラのファインダーに表示される露出計を元に、絞りやシャッタースピードを自分で調整して撮影するもので、結構面倒くさい。もちろん、ピントも合わせないといけない。カメラの技術がどんな状態にあるのか知らないための不幸であった。当時でさえ、世はまさに自動露出という、絞りかシャッタースピードの一方を決めれば、もう一方はカメラが決めて調整してくれる機種が目白押しであった。中には、絞りとシャッタースピードの両方をカメラが自動的に決めてくれる。プログラムAEなんてのもあった。

 OM−1と一緒に薦められたのはキヤノンAE−1だった。しかし、前述の店員の言葉が気になり、OM−1を選んだ。ちょっと、そっちの方が値段が安かった。ちなみに、AE−1はシャッター優先のオート機だった。標準レンズも一緒に買ったが、この標準レンズには明るさによって、値段が違うものが用意されているが、そんなことも知らずに明るい高い方のレンズ付きで買わされていた。オートとマニュアルで撮り方や作風が違っていただろうが、はたしてどっちを買った方が良かったのかは結局分からない。ただ、カメラを通じて知り合った人々の多くはキヤノン党だった。

 一眼レフカメラを手にすると、交換レンズが欲しいものだが、中学生にそれらを自由に買う金などあるはずもなく、専ら標準レンズのみでの撮影だった。マニュアル機に標準レンズ、それにモノクロフィルムと、何とも地味な組み合わせであるが、これが写真の基本を学ぶ上で、結果としては有効だったと思う。

 カメラの入手からしばらく、ある人づてに写真の引き伸ばし機を譲り受けた。モノクロ写真のネガを拡大して印画紙に焼付ける機械だ。だったらと言うことで、モノクロのフィルムが現像できるような道具も揃えた。これでもう、写真の趣味から抜け出れなくなった気がする。このことが良かったかどうかも結局分からない。ただ、カメラを通じて知り合えた人の存在などは、その時期、かけがえのないものだった。

(秀)


第1368話 〜2007/10/29〜

■目黒のさんま

 落語「目黒のさんま」をご存知だろうか?。主人公は、さるお殿様となっているが、中にはこれが将軍様(家光)と設定されている場合もある。しかしながら、暇でしょうがない主人公が暇つぶしで目黒に遠乗りする話としたら、参勤交代で上京している、お殿様の方が将軍様よりも日々退屈そうで、この話には適していると私は思う。ちなみに将軍様の場合は鷹狩りという設定になっている。

 今でこそ高級住宅街となっているが、当時の目黒と言えば、あたり一面田畑。そして鷹狩りが行われていたところから判断すると、野っ原も多かったようだ。そこへ退屈しのぎに馬でやってきたお殿様。ちょうど昼時になって、腹が減ってきたが、お殿様の気まぐれによる急な外出だったため、弁当が用意されていない。そこにどこからか、さんまを焼く匂いが漂ってきた。美味そうな匂いに、見たことも食ったこともない、さんまという魚にお殿様は興味津々。早速家来が匂いのする農家を訪ねた。

 今となっては、さんまを焼くとなると網の上と決まっているが、このときはたき火の中に生のさんまをそのまま突っ込んで焼く、「おんぼ焼き」というスタイルであったらしい。家来はこれを農民から買い上げ、大根おろしを添えてお殿様に献上した。旬に油ののりきったさんま。大根おろしをたっぷり添えて、しかも空腹であるから、これが美味くてしょうがない。焦げといい、油といい。家来が持ってきた十尾のさんまをお殿様はたいらげてしまった。

 屋敷に戻ったお殿様、あのときのさんまの味が忘れられないが、日々の殿の膳となると出てくる魚は鯛と決まっている。下の魚であるさんまが膳に出てくるはずがない。そんなある日、お殿様が親戚の家を訪ねることになった。もてなしが、好きな料理を出してくれる「料理勝手次第」とあって、お殿様はもちろん、さんまを所望した。しかし、下の魚なるさんまが用意されているはずもなく、早速日本橋の魚河岸に使いを走らせる。当時、江戸の魚河岸は日本橋にあった。

 まず、買ってきたさんまを3枚におろす。油が当たって殿がお腹を壊すといけないので、蒸してしまう。そして、骨が引っ掛かってはいけないと、小骨まで全部抜いてしまう。そして形の変わったさんまをつみれの団子にして、仕上げにあんをかけてしまった。

 殿の前に出されたのは皿に載ったさんまではなく、椀に入っている。蓋を取ると、かすかにあのときのさんまの匂いはするが、口に運ぶも、これがまずい。「このさんま、どこのさんまじゃ?」、「先程日本橋の魚河岸にて求めて参りました」。ここでさんまが取れたところが、房州であったり、品川だったりする。最後に一言、お殿様。「やっぱり、さんまは目黒に限る」と。

 今宵はビール片手に網で焼いた、さんまはいかがかな?。

(秀)


第1369話 〜2007/10/30〜

■ブログはじめる

 これまでブログを始めようと思って、実際に何度か始めたことはあったが、三日坊主とは言わなくても途中でくじけることの連続だった。作っては潰してを繰り返してきた。それは自分にとって、コラムとの関係においてブログの位置づけが中途半端だったせいだと自己分析している。コラムに対してブログを軽視しすぎていた。しかし、実際にこれを続けるということは結構大変なことである。ブログが本格化するずっと以前から、私は自分のサイトでブログめいたことをやっていた。「(秀)の書斎」というページだった。これは結構続いたが、頻度は滅茶苦茶で、自然消滅した。

 しかし懲りずにまたブログを始めることにした。今度は以前よりは長く続けられる気がする。従来のような間借りのブログではなく、きちんと自分のドメインでのブログといった力の入れようだ。今月の初めから始めて間もなく1ヶ月になる。今回、改めてブログを始めるにあたり、通常私が書いているコラムとブログとの位置づけを再定義してみた。基本的にはこれまでと変わらず、コラムにならない、ちょっとした話をブログに書くことにした。名付けて「ブログアウトレット論」。新たな在庫のリリースチャネルとしてのブログである。こう思ってから結構気楽に続けられるようになった。本当は毎日書くべきだろうが、書けない時もある。ただ休日を除き、2日連続で休むことはしないようにする。

 要は力の加減。気負い過ぎないけど、おざなりにもしない。皆さんも何か表現をしてみてはどうだろうか?!。

(秀)


第1370話 〜2007/10/31〜

■待つことの許容について

 基本的に私は並ぶとか待つことに関して寛容な方だと思う。特に、開場・開演待ちには平気である。最近は毎週日曜日の早朝寄席に開場30分前から一番のりで並んでいる(そもそもそれほど混むものではない)が、むしろこの時間は楽しい。この他にも芝居の当日券のために数時間並んでいても苦にならない。ところが、短時間であっても並んで待つことがとても許せない場合がある。例えばそれはレジである。何か要領が悪くってもたついているのを見ると腹が立つ。また、空気読めない客のせいでそれが助長されてしまうのが許せない。

 以前、マクドナルドで朝メニューを買うためにレジに並んでいたが、今買っている人の次が自分となった時点で、その前の客がカウンターにたどり着いた時点でオーダーを一緒に来ている連中に確認したり、店員にメニューの内容を確認したりしてここで数分をロスした。そしてそのとき、メニューの作り置きの在庫がちょうどはけてしまったのだろう。明らかに指定の10時よりちょっと早かったが、店長らしい人が、「はい、朝メニュー終わります」とスタッフ達に言って、メニューを取替え始めた。ようやく自分の番が回ってきた時点で「朝メニューは?」と聞くと、案の定「終わりました」と0円スマイルで言われた。数分前から並んでいたことを知っていながら、こんな対応である。クレームを言う気も失せてしまった。

 続いての話題もマクドナルド。窓口応対の時間短縮として、オーダーから1分以内に商品を出せなかった場合はフライドポテト(小)の引き換え券をくれるキャンペーンをやっていたが、ずるいことに窓口の数を絞っている。限られた窓口で1分以内でしのいでも、その窓口を絞った分、人の列が集中し、結局は並び始めから考えれば、全体の待ち時間が増えてしまうという、とんでもないキャンペーンになっていた。

 最後はたこ焼き屋。この店はチェーン店で、私も好きで近くにできて喜んでいたが、いつも人が並んでいる。焼きあがりを待つのなら仕方ないが、焼きあがったたこ焼きの舟が次々に並んでいきながらさばけない。焼きあがったたこ焼きの仕上げをして、代金回収から商品の渡しに時間が掛かってしまっている。これは仕上げをする人と商品渡しの工程を分けて、二人でやるのが良いのではないかと思う。実際、このチェーン店は他店でも仕上げと販売を一人でやるのがルールとなっているようだが、私が行くこの店は他店と比べても常に行列ができるほど売れているので、そうすべきだ。けどね。これがもし、わざと行列を作って繁盛しているように見せるテクニックだったとしたら。しかし、並んで手に入れたから有り難味が増すような代物でもない。顧客満足度は明らかに低下している。

 まあ、こんな感じのたこ焼き屋であるが、辛抱して並び、バスの時間を気にしながら、私の直前の人がカウンターにたどり着いた。すると、そいつはたこ焼きを1パック注文すると、代金をクレジットカードで支払った。高々、480円のたこ焼きである。ポイントを貯めたいのかもしれないが、常識的に感覚がおかしくないか?。しかも、出てきた伝票にサインしてやがった。

(秀)


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