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第136話 〜1999/11/2〜

■ヨーヨーチャンピオンがやって来た <前編>

 つい最近も子供達の間でヨーヨーが流行っていたが、私が調べたところによると、ヨーヨーは昭和38年に最初のブームが来て、その後は昭和51年頃、そして最近のブームと実に3度のブームが訪れているらしい。それぞれには仕掛人がいて、最初のブームは森永乳業が「コーラス」の販促材として配ったのが発端。2度目のブームはコカコーラと、いずれもヨーヨーは販促材でしかなく、それによって企業が利益を得ようという性格のものではなかった。しかしながら、最近のブームはおもちゃメーカーが少年雑誌などを媒体に作り出した商業主義的なブームであった。だから、売られているヨーヨーも数千円という驚きぶりである。

 リアルタイムな体験を伴う話となるとやはり、2度目のブームである。このコカコーラのキャンペーンというのは、コーラ、ファンタ、スプライトのホームサイズ(500ml、当時はこれが一番大きなサイズだった)をいずれか2本買うと、ロゴ入りのヨーヨーを買うことができるというものであった。ただ、このルールはいい加減でジュースを買わなくてもヨーヨーを売ってくれる店がほとんどであった。ヨーヨーは大きく3タイプある。もっとも高いものが350円。赤のボディにコーラのロゴ、ベゼルと言うべきか、外周は透明のプラスティックで、他のものより高級感からか心持ち重たかった。スタンダードなものは250円で、350円のものとボディは同じようだが、ベゼルが白のプラスティックでそれなりにチープに見えた。ボディがコーラの他にもファンタとスプライトがあり、カラーもイメージにあわせて、オレンジ、グリーンというのがあった(グレープがあったかどうかは覚えていない)。最も安いのが100円で、これはボディがアイボリーカラーでビンの王冠の形をしていた。実は最初にこれを買ったのだが、周りが250円のを買い始めたので自分も当時好きだったスプライトのそれを買った。

<後半に続く>

(秀)


第137話 〜1999/11/4〜

■ヨーヨーチャンピオンがやって来た <後編>

 最近では色々と多くの技があるようだが、当時はテレビや雑誌などのメディアで紹介されるものでもないので、みんながごく限られた技を日々繰り返しているだけだった。何かと努力や練習を要するものが嫌いな私は、犬の散歩をクリアした後、ブランコで挫折し飽きてしまったが、それでもブームはしばらく続き、「ヨーヨー大会」や「ヨーヨーチャンピオン来る」などといったイベントがデパートなどで催された。

 そんなある日学校の帰り道、赤いブレザーの男の人が駄菓子屋の壁に何やらポスターを貼っていた。ポスターはヨーヨーイベント告知のもので、チャンピオンらしい人の顔写真が20人ぐらい並んでいた。階級がいくつもあるわけでなく、チャンピオンがこんなにたくさんいるのも変な話であるが、その頃は純粋な少年であったためそんな疑問もなかった。ポスターを貼り終わるとその男性はポスターにある一人の顔写真を指差して、「自分はチャンピオンなんだぞ」と無言のアピールをして車で消えて行った。確かにそのポスターの人であり、なるほど、彼が着ていた赤いブレザーはポスターのみんなと同じで、これがチャンピオンの証らしい。

 翌日学校では「俺昨日、ヨーヨーチャンピオンに会ったんだぜ(原文は方言)」と自慢したが、それがいったいどれだけの意味を持つというのだろうか。ところで、あのチャンピオンはチャンピオンになる前は何をしている人だったのだろうか?。もちろん誰がチャンピオンと認めたかという疑問もあるが。何につけ、ブームの前に訓練して相当なレベルに達しているのはそれなりに凄いが、こと子供の遊びごときとなると尊敬というものではない。今思えば年格好からして彼らは昭和38年時のブームの生き残りだったのかもしれない。

(秀)


第138話 〜1999/11/5〜

■リベロ

 家に帰るとバレーボールワールドカップ'99をテレビでやっていた。これでまた、先週までの改編特番に続き、フジテレビでは8時台のレギュラー番組が当分放送されなくなる。しばらくワールドカップ見ていると、15点に達してもセットが終わらない。今年からまた色々とルールが変わったらしい。まず、1セットが25点になり、「サーブ権」などなくなり、ラリーポイント方式で点数が加算されていく様になった(但し、5セット目は15点)。一進一退のサーブ権の移動というのがなくなってしまったのはちょっと寂しい。それに、サーブがネットに触れていても相手側のコートに入ればOKということになったそうだ。

 ルールの大きな変更は去年もあった。コートに一人だけ別の色のユニフォームを着た選手が混じっている。彼(女)は「リベロ」と呼ばれている。守備専用の選手で、スパイクはもちろん、常に後ろにいながらサーブすら打たしてもらえないし、ローテーションにも加えてもらえない。なんか回覧板が回ってこない家みたいだ。ただ、ゲーム途中、リベロとのメンバーチェンジは何度も許されており、色違いのユニフォームで頻繁に出入りするため、目立つには目立つ。リベロはきっと毎日の練習時間の約9割をひたすらレシーブの練習のみにあてていることだろう。そう思うと、ボールを追いかけダイビングする姿を見て、ちょっと応援してみたくなった。

 中高生のバレーボールも同様のルールなのだろうか?。そのうち体育の授業も同様のルールで行われるとなると、悲しい目に遭う人も出てくることだろう。クラス対抗の球技大会となると、「お前、リベロ」と言われる奴がきっと出てくるだろう。見せ場はないけど、ミスすると怒られる損な役回りだ。高校のバレー部に中学からのリベロが集まった時には大変なことだろう。「リベロの補欠」。これは地味すぎるなあ。ボールは3色に塗り分けられ、派手になったけど。がんばれ、リベロ。

(秀)


第139話 〜1999/11/8〜

■バクダン屋

 実家の2階の窓から見える、小さなお稲荷さん(稲荷神社)の隣は物心ついたときから長い間空き地であった。いつの間にかそこに家が建ってしまったが、それまではこま遊びの会場として使用させて貰った。そう言えばここに1度だけ「バクダン」屋が現れたことがある。バクダン屋を見たのは後にも先にもこの1度きりだ。バクダン屋とは何とも物騒な名前であるが、バクダン菓子をその場で作ってくれる親爺のことである。バクダン菓子とは言うならば米のポップコーンのことで、「ポン菓子」と呼ばれていたりする。駄菓子屋では今でも赤い三角形のビニール袋でニンジンのような姿で売られている。何故これがバクダン菓子かはその製造過程を見れば一目瞭然だ。

 昭和50年頃だったと思うが、その親爺は自転車にリヤカーを引いて現れた。リヤカーには大きな金網とボンベが乗っている。子供達がバクダン屋を見るのは初めてのため、変なリヤカーを引いて現れた、このおじさんがこれから何をやるのかは不思議でしようがない。客寄せも含めて親爺は早速デモを始めた。圧力釜に手の平一杯ぐらいの米を入れ、それをボンベの火で加熱しながら回転させる。しばらくすると(この「しばらく」がどれぐらいかは記憶していない。子供心には長い時間の様だった気がする)火を止め、金網に向けて圧力釜の蓋を開けたとたんに大きな「バン」という音と白い煙を出し、バクダン菓子が金網向けて飛び出した。そのうるさいこと、うるさいこと。なるほど、バクダン菓子である。音とともにまた人が集まり、大人達は懐かしそうにそれを見ていた。

 少々の米と味付けのための砂糖、それに手間賃の100円を持ってくればバクダン菓子を作ってくれることが分かると、これらを調達するために家に戻る子供もいた。もちろん自分もその一人である。大きなビニールのゴミ袋(もちろん未使用)に入れてもらった出来立てのバクダン菓子はとてもうまかったが、全部食べるのには難儀した。

(秀)


第140話 〜1999/11/9〜

■忍者

 映画「梟の城」を見て来た(封切りの翌日にね)。CGがふんだんに使われ、凝った作りになっているが、かなり長い原作を映画化したためであろう、話の背景の説明が不十分であるため、人物の相関を十分に描いているとは言い難かった。有名な作家の作品やベストセラーを映画化すると、どうも原作に負けてしまっている作品が多い気がする。それと、映画産業が元気でないため、本来その様な適正や能力を持っている人が、アニメやテレビに流失してしまっている。昔は映画には出るがテレビには絶対でない俳優などがいた。もっとも、その俳優が映画会社の所属だったからかもしれないが。

 まあ、映画に関する話はまた別の機会で書くとして、忍者の話に戻ろう。昭和30年代の終わりから40年代の初めに子供向けの忍者ドラマやアニメが数多く作られている。私の記憶にあるそれらは再放送によるものだ。そして、その多くのストーリーや設定はほとんど覚えていない。ただ、それでも「サスケ」と「風のフジ丸」の歌は覚えている。それに、「フジ丸」のエンディングに忍法の解説コーナーというのがあったことも。解説者(忍者研究家?、末裔??)と若い女性のやり取りで、武器の解説や映像を使って、壁のよじ上りや水とんの術、水蜘蛛(水上歩行機具)などを紹介していた。忍者刀はまっすぐで、鞘の底には穴が開いている(水とんの術に使うため)ことはこのとき学習した。学習したと言ってもそれが何の役にも立っていないのはもちろんのことである。

 そして、これらの忍者ブームを締めくくる作品と言えば、やはり「仮面の忍者赤影」であろう。時代錯誤なヘアースタイル。大掛かり、しかしチープなバレバレの特殊撮影と、きわめて斬新な作品であった。最初は時代考証もかなり忠実であったらしいが、後半は空飛ぶ円盤が出てくるなど、SF時代劇の様相を呈していた。忍者であるため正体を隠す目的で仮面を着けているのだろうが、それが赤では目立ち過ぎる。あの仮面が欲しくて、兄にボール紙で作ってもらったりもした。まねして刀を背中に背負ってみたりしたが、手が短いので刀を抜くことができなかった。

 本当の忍者というのは実に地味だったはずだ。「少年忍者(ジャニーズ事務所)」もかつては追っかけがいるなど、隠密としては愚行をおかしてたりしたが、最近はテレビなどに露出していない。これは身を潜め本来の隠密に戻ったからであろうか。(そんなはずはない)

(秀)


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