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第11話 〜1999/4/23〜

■平等について

 先日の「割り勘の話」に対して、感想をいただいた。「男女雇用機会均等法改正の今日...」というもので、男女の別があっても「公平に割り勘(1円単位とまでは言わないが)でも良いのでは」との主張であった。「男性でもおしゃれに結構金を使っている人がいる」。確かにそんな人もいるにはいるけど、女性のそれと比べると少数だろう。女性達が着飾って、化粧をして来ているのは自分のためなんだというぐらいの余裕が欲しい。そうだ、カツラを自己申告するなら必要経費と認め、負担額を減額してあげよう。

 さらに、「男性は(女性がおしゃれに金を使うのと同様に)車に金を使っている」という意見も記されていた。確かにそのような男性の数は多いだろうし、金額も少額ではないだろう。けどね、飲み会の後にその車で送ってくれるならまだしも、「俺、今度新車買ったんだぜ」と言ったところで、それが、アルファロメオであろうが、B.M.Wであろうが、飲み会の参加者の利益とはならない。「俺、コラム書くために毎月の書籍代が3万円かかってるんだ(私のことではありません)」と、言おうものなら嫌な奴になってしまう。「おごってあげたり、お金を余計に払ってあげるのは下心が見え見え...」らしい。これから気を付けよう。

 うちの会社も「男女雇用機会均等法」改正の影響で女性の制服が廃止になった。ますます負担が増えて大変だなと思う。その一方で、女性に対して男性が「今日の服、良いね」などと言うのもいけないとなると、お互い興冷めである。

 平等、平等と言われているが、大事なのは「結果の平等」であって、それぞれに同じ負荷をかけるのではなく、結果において平等に(近く)なるように負荷をかけるべきだ。

 男女間で仕事を区別するのも良くない。メール配りも自らやることにしている。かつてはコーヒーもいれていた。そして、毎朝1杯目でテイスティングを行う。ところがある日、いつもと同じ分量で作ったにもかかわらず、苦いコーヒーが出来上がってしまった。次に作ったものも同様に苦かった。原因を調べると、その前の日に新しく豆が補充されており、そのロットから豆を煎り過ぎたような気がする。早速先方にクレームを入れたが、もし相手が女性だったらそんなに強くは申し入れなかったかもしれない。

(秀)

from.美恵子さん

第12話 〜1999/4/26〜

■愛人

 読者の中に誤解している人がいるといけないので、断っておくが、所詮このコラムは創作物である。時代考証の部分は真実を記しているが、文中に登場する「私」あるいは「自分」が必ずしも筆者そのものというわけでない。一人称で話が語られたからといって、夏目漱石が坊っちゃんでない(これは実話)のと同じことである。分かったかな。という前置きが今回は必要だ。

 赤坂のとあるクラブでのこと、ちなみにこの場合のアクセントは先頭。大人がお酒を飲むところでのこと。その店は中国人ホステスばかりの店で、客との会話は日本語だが、意味不明な中国語で「業務連絡」が飛び交う。一方、我々も飲み屋では身分を詐称することがしばしばある。アダルトビデオのディレクター、男優、そして私は、その脚本家という設定になる。「明日のロケはスバルビル(新宿西口)に10時集合だから、ヨロシク」なんて、こちらも業務連絡を装ってみる。

 そこのホステスの1人にその日、私がたいそう気に入られてしまった。まんざら悪い気分ではないが、どこか胡散臭い。名刺に携帯の番号を書いて渡してくれたが、どうせ電話しても「また今度、お店に来てね。今度はいつ来てくれるの?」というのが世間一般での事例らしい。けど、「もし、もし」が中国語では「ウェイ、ウェイ」であることは調べてたりする(「ニイハオ」でも良いらしい)。そして彼女は私に聞いた。「恋人いる?」。日本語が流暢でないところが影響して、頭の中で「中国では恋人のことを『愛人』と書くんだよな」という、こんなときには、どうでも良い知識が覚醒した。愛人なんかいるはずもないので、彼女の質問にはもちろん「いない」と正直に答えた。

(秀)


第13話 〜1999/4/27〜

■たこ焼き

 「たこ焼き」とすべきか、「タコ焼き」とすべきか悩ましい。けど本題はそんなことには関係ない。私がタコ焼きとして幼い頃(今回の舞台は私が生まれ育った、とある田舎での話)食べていたものには、タコが入っていなかった。別に騙されていたわけでなく、了解の上でのこと。駄菓子の婆さんが「喫茶店もできる」と自慢し、「食品衛生なんちゃら」という資格を取り、店でタコ焼きを焼いていたのである。

 ところでそのタコ焼きであるが、串に3玉刺さって10円だった。ご案内の通り、タコは入っていない。ほとんどが天かすとキャベツだった。子供相手の同種の店で、チクワを入れた所もあった。屋台の例もこの時分は串売りが基本だった。

 それがいつ頃からパック売りが基本になったかはあまり明確ではないが、婆さんは相変わらず串売りを守っていた。子供相手だからしょうがない。そして、パック売りを定着させる画期的な出来事は小学4年生のときに起きた。車でやって来る「たこ焼き 八ちゃん」の出現である。衝撃的だった。ボックスタイプの軽自動車(スバルサンバーだったと思う)でテーマソングを奏でて現れるのである。今でもそのメロディと歌詞は覚えている。1パック250円というのは当時の水準から言えば2割りほど高いが、それなりにおいしかった。パックは袋に入れて渡されるが、その袋が重要である。そこには少年とタコのイラストと共にテーマソングの歌詞が印刷されている。学校では「見たか?」、「食ったか?」と噂しきり。フランチャイズ方式で数台の車がテリトリー毎にまわっていた。今は車で来ることはないようだが、店を数ヶ所構えるに至っている。

 その頃のパックはどの店も10個入りだった。ところが、関東圏は8個入りが主流である。大阪はパックに合せて数量を決めている様だが、8個なんてケチなことはない。12個、15個なんていうのもおかしくない。奇抜なもので「タコ焼きグラタン」なるメニューを大阪で見た。器にタコ焼きを入れ、ホワイトソースをかけ、焼いたものだった。ちょっと安心。ところでなんで関東圏は8個入りなんだろう?。タコの足が8本だからという予想は当たっているのだろうか?。

(秀)


第14話 〜1999/4/28〜

■サイン

 「なんで紙に名前を書いただけのものに価値があるんだ」という内容ではない。サインはサインでも、雰囲気や兆候といった、サインの話だ。その中でも恋のサインの話をしよう。私はこの手のものにはめっぽう鈍感である。けど、コラムは進む。

 恋のサインは出す側と受ける側の周波数が合わないと成就しない。そしていつか時効を迎える。しかし、それが学生時代の話となると、同窓会で蒸し返したり、といったことにもなりかねない。「言えなかったけど、私、あなたのことが好きだったのよ」なんて言葉がかつてのクラスメイトの口から語られようものなら、きっとグラスを持つ手は震え、一気に酔いもまわってしまうだろう。けど、標準語では違和感があるので、郷里の言葉でもう1度。「言えんやったけど、うち、あんたんこと好きやったとよ」。 「なし、あんとき、そがん言うてくれんやったと(なぜ、あのとき、そう言ってくれなかったんだ)」。10数年前にサインがうまく通じ合えていたら、2人の人生は変わっていたかもしれない。

 こんな不幸なことが起きないために、どうすれば良いか?仮に、人間に犬の尻尾が付いていたらどうか?好意的な人の前で尻尾を振ることで、サインは明確に表現できる。けど、ところ構わず尻尾を振り歩いている人々や公衆の面前で平気で抱き合っている彼らが尻尾を振り合っている姿はどうも見苦しい。たとえその多くをロスしても、サインを感じる、感じない、そんな機微を楽しんだ方が良いのかな?

(秀)

from.ようこさん


第15話 〜1999/4/30〜

■夢日記

 睡眠中に見る、夢のメカニズムは難しいらしく、そのほとんどがまだ科学的に明らかにされていないらしい。一部、分かっていることとしては、睡眠が浅い時間帯に見ていること、目が覚めれば夢の内容を忘れてしまう、あるいは夢を見ていたことも忘れることぐらいか。それでも強烈な夢は起きても覚えている。但し早急にトレースしないとすぐに忘れてしまうことが多い。

 入社して暫くのこと、SEの研修でプログラムの勉強をしていた頃には、よく夢にCOBOLやC言語のプログラムソースが出て来た。さらにはそれがデバッグして16進数の「1A」や「EF」といったコードで画面がスクロールしている夢まで見るようになった。今はそんなこともなくなったが、相変わらず自分が学生の頃の夢をよく見る。決まって、体操服や笛を忘れたり、遅刻をしたりとあまり良い夢ではない。それと気になることに、登場人物の設定に嘘が存在する。中学生の話に、高校のときに知り合った友達や別の中学に行った友達が出て来たりする。

 目が覚めて、夢の内容を日記として書き留めていくと、このような矛盾も次第に矯正されてかなり現実的な内容になるという話を聞いたことがある。しかし、そのためには睡眠中も脳は休むことができなくなってしまうらしい。仕事で失敗した夢の方が脳は案外リラックスしているのかもしれない。

(秀)

from.莉香さん

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