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落語の「時そば」をご存知だろうか?。ある男が屋台でそばを食うのだが、この男、そばが出てくるタイミング、器、出汁、麺、具のちくわ、ついでに割り箸までも褒めちぎる。そして勘定を払う段になって、「細かいのしかないから」と1文銭をそば屋の主人の手に渡していく。当時の屋台のそばの値段はどこの店でも16文と決まっていた。8文まで払って、「今何時(なんどき)だい?」と尋ねる。そば屋は「九つ、です」と答える。そこで客は「10、11、12...」と続けて、1文ごまかす。
これをそばで見ていた与太郎。さっきの男がうまく1文ごまかしたことに気が付いて、早速自分もやってみたくなる。明くる日、与太郎の前に現れたそば屋は、うって変わって何ら褒めようのないそば屋である。それでもまあ、そばを食い終わって、いざ勘定と、昨日の男のようにやってみたところ、8文まで払った後、時刻を尋ねるが、「四つ、です」と言われ、「5、6、7...」と損をしてしまう。
与太郎はネタを仕掛ける時刻を間違ってしまった点にこの噺の面白さがあるわけだが、実際に九つと四つの違いがどれほどかというのが分かった方がより楽しめる。江戸時代は日の出と日の入(または夜明けと日暮れ)の間をそれぞれ6等分する不定時法が用いられていた。そして、当時の時法では、まず最初の男が仕掛けた九つ(暁九つ)と言うのが今の午前0時頃を指し、四つ(夜四つ)が午後10時頃を指す。与太郎は仕掛けるのが2時間ほど早すぎたというわけだ。
この時そばという噺はこのように四つと九つがつながっていることを理解しておくと余計に面白い。けど、本当の面白さは噺家さんがそばを食べる所作にあると思う。落語の世界はまだまだ奥が深い。
(秀)
日々ふつふつと湧いてくる物欲の一方で、実際にそのものを買ってしまったら、「なんでこんなもの、あんなに欲しかったんだろう?」と思うことが多い。ひどいときは「買わなくても良かった」とか「買わなきゃ良かった」とさえ思うときもある。きっと、こんな気持ちは私だけでなく、皆さんにもあることとだろう。
遠足も前の日が一番楽しいし、男女も付き合うまでが楽しかったり、結婚するまでが楽しかったりする。買い物の件も、ある種、これに通じることなのかもしれない。要は満足度と言うか、それがモノであれば買う時点にピークとなって、それ以降は急速に満足度が減退していく。それがただ減退するだけでなく、ある時点で一時的にでも満足度がマイナスになってしまい、それが「後悔」となって、冒頭のような気分になるものと思われる。
このようにあるときには後悔もするし、満足度はそこから減退することが分かってしても、結果として新たな物欲が勝ってしまう。そこにはまた別の心理的なプログラムがあるのだろう。そこを合理的に解釈することができたら、私の物欲もうまくセーブできるかもしれない。まだまだ検討は続く。
(秀)
日曜日の夕方、明日からのことを考えて憂鬱になる場合が多いが、必ずしもそうとばかりは限らない。その差は結構単純で、休暇を満足に過ごせたかどうかの差であったりする。特に日曜日の過ごし方が重要となる。
「今度の休みにはあれをやろう」、なんてことが頭に浮かぶが、実際に週末になってしまうと、面倒だったり、時間がなかったり、他に急用ができたりと実行できないことが多々ある。それが1度きりならまだ良いようなものの、同じように不実行の週が何回も続いたりする。そしていずれの日か、そのことをやろうという気持ちから消えていく。
週末を有効に過ごそうと、あれこれと予定を入れて忙しさにまぎれて週末を過ごそうという考えもあるが、私には馴染まない。あまり細かく計画を立てることを好まないし、一旦予定が狂ったりすると、そのリカバリーで必要以上のエネルギーを消費してしまう。有意義に過ごすことよりも、スケジュールをこなすことが目的になってしまっては本末転倒だ。
私の場合、例えば、録りためたレコーダーのコンテンツを集中的に見ていくのも良いし、そのいくつかをDVDにひたすらダビングするだけも有意義な時間は過ごせた気になる。いずれもその人の気分次第だ。
私がこのように休日の過ごし方を意識するようになったのは、それが老後の時間の過ごし方に影響を与えるのではないかと思うようになったからだ。いざ、定年となった直後はあれこれとやってみたいことがあるだろう。しかし、そんな毎日ばかりは続かない。いずれは何もしなくても良い、平凡な休日が何日も続くことになるに違いない。
その日々が長いのか短いのかは分からないが、惰性で生きるのではなく、有意義に過ごしたい。そのためにはまず、週末を有意義に過ごすことから始めないといけない。
(秀)
車を買い替えたため、車屋巡りができなくなって、代わってモデルルーム巡りの回数が増えた。それでも、「現在のお住まいは?」と聞かれると、正直に「一戸建て」と言う。続いての「いつ頃お建てになりましたか?」、という質問にも正直に「2年前に建売を買った」と答えると、相手の戦力が急にダウンしてしまう。買う気がないからそれでも結構だが、それではせっかくのお土産がもらえない。せめてもう少しは、かまって欲しい。だから実家の建て替えの際の研究中ということにしている。
さて、そんなモデルルーム巡りの傾向として、最近、シアタールームを備えているところが増えた。10畳近くの部屋が映画などを楽しむだけの専用ルームとして設けられている。ところが、あまりにもリアリティがない。いくらモデルルームが大きく贅沢に作られているとしても、書斎とかと兼用するならまだしも、専用の部屋というところに違和感がある。逆に、書斎との兼用であれば、かなり現実的な提案にも思えるのだが。
とりあえずシアタールームの椅子に腰を下ろしてみる。天井前方に3つ、後方に2つのスピーカーが埋め込まれていて、床に重低音用のスピーカーが置かれている。5.1chだ。正面にはスクリーンがあって、天井からプロジェクターが吊るされている。実はこのプロジェクターだが、今がタイミング的に非常に難しい頃だ。ハイビジョン対応のプロジェクターというものも存在するが、まだ非常に高価である。そのためか、そのモデルルームに設置されているものはハイビジョンのものではなかった。そういう意味ではリアルなのかもしれない。
ところが、スクリーンに100インチ程度のサイズで投影するとなると、ハイビジョン映像でないと、せっかくの大画面での迫力が、画面が荒くて台無しである。メディアの中心もブルーレイということになるだろう。だから、中途半端に今シアタールームを作ってしまうと数年後には不満しか残らなくなるように思う。少なくともハイビジョンプロジェクターがもっと安くなるのを待った方が良い。
専用のシアタールームを作れるほどお金を持っている人で、このあたりの情報や知識を持っている人なら、ハイビジョンのプロジェクターを買うだろうし、そうでない人も、数年後にやや安くなったハイビジョンのプロジェクターを買い換えることなど、苦にもならないとしたら、単なるおせっかいかもしれない。それ以上に、専用のシアタールームは週のうちどれくらいの時間使用されるものなのかが、気になる。物置になりやしないかと、心配してしまう。いや、品のないカラオケルームになるのが怖い。
(秀)
そもそもはベストセラーの本のタイトルだが、あいにく私は読んでいない。風変わりな自己啓発本と聞いたが、実際のところは知らない。ただ、現在放送中のドラマの方は楽しく見ている。最初にスペシャルの単発ドラマとして放送され、その後毎週、深夜に放送されるようになった。
終わってしまった単発ドラマの方はさておき、毎週のドラマの方は丁度折り返し地点といったところ。水川あさみ演じる主人公の星野あすかが、25歳の誕生日に彼氏が二股を掛けていて、もう一方の女性と結婚することを知らされ、しかも住んでいたマンションが火災に遭うという不幸ぶり。やがて移り住んだボロアパートに住んでいたインドの象の姿をしたガネーシャという神様(演じるは、古田新太)と出会う。しかし、このガネーシャ、何故か関西弁。
ストーリーはあすかが、もてる女となって幸せをつかむために、ガネーシャから課題を出され、それをこなしていく話である。ところがこの課題というのが、ちょっと妙で、あまり直接的でない。例えば、「爪を切れ」、「左手を使え」、「自炊をしろ」、「合コンの二次会には行くな」、「一番苦手な相手とデートしろ」、「悪女になれ」、といった感じ。ある種逆説的な課題もある。
このドラマの面白さは、まずキャスティングにある。水川あさみに古田新太。このキャスティングが最高に良い。まるで漫才を見ているようなテンポの良さがある。実際にガネーシャの教えが効果的なのかどうかは、さておき。それをドラマ仕立てで見せようという、制作サイドの発想に敬服。「今やらんかったら、一生やらへんで」というガネーシャの言葉に私も耳が痛い。
(秀)
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