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このコラムは寒風にさらされながら、江戸川の土手で書いている。と、こんな書き出しを予定していたが、本当は良い天気でポカポカとしている。しかし、いずれ寒さに凍え、土手にたたずむ日が来ることだろう。Jリーグ発足時ほどではないが、少年サッカーの人気は今も根強いらしい。長男(小1)がサッカークラブに入ったため、週に1度は送迎と練習見物で江戸川の土手にママチャリで通うはめになった。待ってる間、本を読んだり、コラムを書くには良いかもしれない。これから寒くなることを除けば。
先日の練習の終わりに子供達にコーチから、あるメダルが配られた。メダルには「全国少年サッカー大会 '99」という文字と、メダルのスポンサー企業の名前が刻印されている。本来ならば各県大会で優勝し、全国大会に出場した選手に与えられるメダルであるが、そのスポンサー企業に勤めるお父さんがサッカークラブの子供達のために、メダルをもらって来てくれたのである。子供達は大喜びで、そのお父さんに一斉に尊敬の目が注がれる。負けじと私も近くにいた息子の友達を捕まえて「おじさんの会社はワールドカップのスポンサーなんだぞ(これは本当の話)」と、かましてやった。しかし、入場券の1枚ももらうことはできない。その少年はメダルのスポンサーをメダルを作っている会社と思ったらしく、ワールドカップのスポンサーというのも意味が良く分かっていないようで、「おじさんの会社でカップ作ってんの?」とボケてくれた。
(秀)
年末も近づき、1年を締めくくる上で様々な賞の発表が相次いでいる。しかし名前が大げさな割には賞のステータスがそれほどでなかったり、かつてはステータスも格式もあったにもかかわらず、今ではその存在自体も一般の関心から離れているものがある。レコード大賞というのは後者の格好な事例であろう。高橋圭三(分かる人だけ喜んで下さい。若い人ゴメン)が司会をやっていたときは紅白歌合戦と双璧をなす、大晦日のビッグイベントであった。しかしそれも、近藤真彦や光GENJIの受賞のころからおかしくなり、BBクィーンの「おどるポンポコリン」で視聴者はこの賞の凋落を確信したことだろう。多分みなさんは忘れていると思うが、去年の受賞はglobeだった。小室哲哉が「(レコード大賞が)欲しい」と一言言っただけでそうなったという裏話もある。選定の基準が極めて曖昧なことも視聴者の不信を招いている原因の1つでもあろう。そもそもレコード大賞という名前自体、時代遅れである。そこまで名前にこだわるなら、その名の通りレコード(CD)売上枚数で賞を決めるべきであろう。宇多田ヒカルには当番組への出演ボイコットどころかいずれの賞の受賞も固持して貰いたい。
それともう1つよく分からない賞に「新語・流行語大賞」というものがある。「自由国民社」という、どこかの政党の機関紙でも発行してそうな会社名であるが、この会社が、あの「現代用語の基礎知識」という本を刊行し、流行語大賞を主催している。今年も12月1日に例年のように発表されたが、今年の大賞は「雑草魂」、「リベンジ」、「ブッチホン」。けど、こんなもんが流行っている(流行った)とは誰も思っていないだろう。あきれてしまって今後「現代用語の基礎知識」を買うのはやめようと決意した。多分みなさんは忘れていると思うが、去年の大賞は「ハマの大魔人」と「だっちゅーの」だった。所詮この程度の価値しかない賞ということだろうか。
(秀)
みなさんはどんな着メロを使っているのだろうか。ちょっと前、会社で毎日決まったように、終業直後、ある後輩の携帯が鳴りだした。着メロは笑点のテーマ。オフィスに笑いが溢れ、緊張がゆるむ瞬間である。携帯の着メロはそもそもの好き嫌いが、かなりはっきりと別れるようだ。嫌いな人は直接的にその音や音楽が嫌いなわけでなく、電車の中などで鳴りだす着メロへの不快感からそうなったという人が多いだろう。「坊主憎けりゃ、...」というやつね。BOSSのCMに出てくる、あの彼(若い方)の意見ももっともだし。
携帯着メロの仕掛人は、雑誌「東京一週間」だったらしい。その頃は雑誌や本に紹介されている数字の羅列をひたすら打つだけであったが、その後、PC用の編集ソフトが出たり、ゲームセンターで曲のデータをダウンロードする機械やあらかじめROMに焼かれている曲のデータを転送するためのアタッチメントも秋葉原などでは売られていた。しかし、PHSを使用する私はいずれも蚊帳の外である。それでも懲りずに機種交換を重ね、今は「H"(エッジ)」を使っている。すると今度の機種からメールサービスでの着メロのダウンロードが可能になっていた。
ノーマルな着信音では自分のが鳴っているのかどうか分からないことがしばしばあり、手間が掛からないなら着メロを使いたいと思っていたため、早速そのサービスを利用してみた。1曲30円。本を買ったり、せっせとボタンを押し続けることを考えれば、何ともお気軽である。現在、私のPHSには次のような曲がメモリーされている。「踊る大捜査線のテーマ」、「LOVEマシーン」、「本能」、「HEAVEN」、「SOULS」、「空の瞳」。調子に乗ってこの始末である。意外に曲数も多く、新曲の配信もカラオケなみに早い。せっかくなんで、各人毎に着メロを分けることにしよう。女房からの電話の着メロが「LOVEマシーン」じゃあ、ちょっとイージーかな。「あっ!」、もう1人のLOVEマシーンから電話が掛かって来た。「もしもし」。
(秀)
from.ゆたかくん
かつては映画人になりたかったが、どうすればなれるかもわからないまま、何の努力もしなかったため、サラリーマンに甘んじている。一般的に映画好きという人は洋画を多く見る人のようだが、私が見るのはビデオも含め、邦画がほとんどである。洋画は見てて分からないシーンが何ヶ所か出てくる。それは、文化が違うためストーリーの細部まで理解できないからだ。例えば、舞台となっている場所自体がメッセージを持っていることを意識している人は少ないだろう。産業や治安、人種に宗教、というものがアメリカ人には何の予備知識なしに飛び込んでくるだろうが、日本人は画面を眺め、言葉を追うことに意識が集中し、ストーリー設定に込められたメッセージの存在自体に気が付いていない人が実に多い。こんなことを字幕を追いながら深読みするには実に疲れてしまう。こんな話をすると「そんなの気にしてない」と言う人が実に多い。
数の意味で世界一の映画制作国はインドである。俳優は月に7本を掛け持ちでこなしているらしい(聞いた話で確認はしていない)。これは日本のAVよりも凄いことかもしれない。それ以上にこれだけの数の映画を上映するシステム(映画館の数、動員数、収入)を持ち、それが維持出来ていることも十分凄いことである。大変なのは俳優だけでなく、スタッフも作家も相当へとへとに違いない。そのためストーリーが単調で、突然一同が踊りだすのも仕様がないことかもしれない。「インドに行けば自分も映画人になれるかもしれない?」、「けど毎日こんなもんばかりは食べ続けられないなあ」と、予想以上に激辛のカレーに苦しみながら、考えたりする。さっきから軽快なあのダンスリズムが頭の中でこだましている。
(秀)
山形新幹線が新庄まで延伸されたということをニュースが伝えて、予想通りに利用客にインタービューをしていた。聞こえて来る声はやっぱり、「便利になって良かった」というものばかりである。利用者がそう言うのは当たり前のことで、文句がある人が開業初日の新幹線に乗って笑顔でインタビューに答えるはずはない。利用しておいて文句が出るのは東京湾横断道路ぐらいであろう。「(料金が)高い。もっと安くして欲しい」と。しかし、本当に文句がある人は利用すらしないだろう。最初からメディアが期待した答というのがあり、それを映像にするための素材集めとしてマイクを向けているに過ぎない。政府や不祥事には批判的なもの、天災や事件などには不安を表現したものと決まっている。
新幹線の話に戻るが、利用している人は満足でも、その便利さと引き替えに生じた負担を受ける方にはたまったもんではない。その負担とは数百円切符が高くなることではない。建設費(の一部)を最終的に税金で穴埋めしようというやつである。その金額たるや、一部の人が高々20分時間が短縮され、乗り換えが少なくなったことの代償としてはあまりにもアンバランスに思えて仕様がない。
最近映画のテレビCMでその映画(試写会?!)の観客の感想を流すものが増えた。「感動しました」、「また見たいです」、中には「サイコー!」なんてものもある。もちろん、「つまらなかった」という声がもしあっても、それは即刻ボツになる。また、インタビューを受ける側もそれが分かっているために出たがりの彼らは当然、迎合した答を返す。そろそろあのインタビュースタイルのCMの感想は嘘であることに世間も気付くべきだ。
(秀)
from.ゆたかくん
from.ヘイパさん
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