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第161話 〜1999/12/9 〜

■結婚経済論

 世はまさに男あまりの時代である。単純に数を比較しただけでも適齢期の男性の5人に1人が結婚出来ない勘定だったような気がする。かと言って、数さえあえば誰でも良いと言うわけではない(これは男女お互い様。でも女性優位は不動)。一方で、女性の晩婚化はますます進み、男性もその影響で晩婚化。「そろそろ自分達の年代もこのあたりで」と思った挙げ句に「年下(男性)ブーム」ではあまりにも悲しすぎる。

 女性にとって結婚とは一生を左右するビッグイベントである。男性にとっても確かに大きなイベントではあるが、結婚や出産で仕事や生活が変化する度合いは女性ほどではない。「仕事が面白いから」というのが、女性たちを晩婚に至らしめている原因の1つだろうが、そこには経済的理由が潜んでいるようだ。自分で稼いだ金は自分の判断で使えていたものが、必ずしもそうでなくなる。仕事を辞めるとなると、自分の小遣いが真っ先になくなる。仕事を辞めてもこれまで以上に小遣いをくれるような相手であれば問題ないだろうが、それほど良い条件の人が見つかっても、独身なのには何か別の原因があるかもしれない。

 結婚情報サービス会社「ツヴァィ」の調べによると、「男性よりも女性の方が収入が多い場合の結婚はOKか?」という問いに対し、男性の回答は8割以上がOKなのに対し、女性の回答でOKというのは男性の回答の約半数、4割にまで落ちてしまう。女性の方が金銭に対してシビアだからだろうか?。いや違う、ここには数字上のからくりがある。男女の収入を比較すると、やはり男性が優位だ。回答する男女は自分の収入を元に回答するので、男性が自分の収入よりも多くの収入を得ている女性というのは何ら経済的な問題を生むことなく、これを可とするか否かの大部分は男のメンツに掛かっていると思う。一方、女性の場合は、自分の収入よりも少ない人との結婚は直接的に経済的な問題になる。それでもOK、という4割の女性の存在がむしろ不思議に思える。彼女達はお金持ちなのだろうか。

(秀)


第162話 〜1999/12/10 〜

■電撃結婚

 鈴木一朗君が結婚した。こう言うと何だか身近な友達のようなだが、彼は世間的にはイチローと呼ばれている。もちろん、友達でも何でもない。お相手はご存知の通り福島弓子元TBSアナである。何度か彼女をテレビで見たような覚えはあるが、彼女の年齢やプロフィールは今回の報道で初めて知った。(7才も)年上で、元アナウンサーというのはスポーツ界にはありがちな話だし、一時期の葉月里緒菜との噂を思えば、ちょっとベタな結末のような気がする。

 ところで、彼らの結婚がこれほど大量に報道されるべき出来事なのだろうか?。ここに来て世間ではネタ不足なのだろう。特にシーズンオフのスポーツ紙は大変なんだろうな。不祥事やシャクティパッドでは思いのほか間が持たなかったようだ。スポーツ紙やタブロイド紙、ワイドショーならまだしも、一般紙までもがこの結婚をそれなりのウェイトで扱っていた。申し訳ないが、彼がどのくらい凄い人なのか私には、どうもピンと来ない。6年連続の首位打者は確かに凄いことだろうが、私がオリックスの試合を目にすることはない。振り子打法という、彼のバッティングフォームは知っているが、それ以上に彼を見掛けるのは、とんがりコーンを食べていたり、日産のCMに出ている姿(ともにちょっと古いけど)なのである。

 今回の彼の結婚は誰もが予想していなかったようだ。そういう点では「電撃」的でマスコミのネタになったのかもしれない。けどちょっと待て、「電撃結婚」や「電撃入籍」というのは誰に対しての言葉なのだろうか?。結婚も入籍も当事者の問題であって、「朝起きたら、(知らない間に)自分が結婚していた」というようなことがない限り、このイベントは当事者間では周到に準備されている。本人にとって電撃的なことであろうはずはない。秘密裏に交際が進み、公になった途端に結婚したり、結婚していたことが急に明らかになった程度のことを電撃結婚と呼ぶべきかどうかは以上の理由により、甚だ疑問である。これを認めてしまうと、同窓会なんか電撃結婚のニュースであふれてしまうしね。

(秀)


第163話 〜1999/12/13 〜

■幸運のキーワード

 一口に占いと言っても、中身(診断の手法のことではない)は大まかに2つに別れると思う。その1つはいわゆる「性格判断」というものだ、「○型のあなたは...」という書き出しで始まっていることが多い。初めて会った人に血液型や星座を聞いて、相性を占うのはこの診断内容によるものである。人間が4つや12のパターンにそう易々と分類できるものかと不思議でたまらない。また、診断内容には冷静に考えればどちらとも判断がつかないようなことが書いてある。「人に頼まれると嫌と言えない性格」というのは、性格云々よりも頼んでくる相手によって違うものだ。「好きなことには積極的で...」、当たり前のことである。正確な尺度がないのを良いことに誰もが持ち合わせている二律背反の性格の片方でも表現すれば、「当たっている」と思わせるのはそれほど難しいことではない。その証拠に、試しに自分以外の診断内容を読んでも、当てはまることが少なからずあるはずだ。

 そして、占いのもう1つの側面は運勢と言うもので、雑誌やテレビで紹介されている「○○座の今週(今日)の運勢」というやつである。けど、これもどうでも良いようなコメントが紹介されていたりする。「約束の時間を守らないとトラブルに巻き込まれるかも」、「風邪をひきやすいので気をつけましょう」。こんなものは星座や血液型に関係なく、小学校の「今月の目標」と同レベルのことでしかない。さすがに、「食事の前には手を洗いましょう」というのはないが。

 このように、占いとは誰にでも都合の良いことを並べているだけの様な気がする。占いが当たると思っているのは客だけで、占い師は結構冷静かもしれない。占い師が未来を予知できるのなら、街角で易料を巻き上げるよりは競馬や株で簡単に財をなせるはずである。悩みを持った人々は占いで物足りなくなると今度は宗教に走るのだろうか?。詐欺まがいの御布施を商工ローンで借金して工面している人がいたとすると、この世には神も仏もあったもんじゃない。どうしてこうも占いが流行っているかという原因は、自分で決断することから逃げ、「他人に決めてもらいたい」という気持ちかもしれない。そんな人には私が決めてあげよう。「幸運のキーワードは『秀コラム』」と。

(秀)


第164話 〜1999/12/14 〜

■討入りでござる

 うっかりしている間にとうとう、討入りの日を迎えてしまった。今日は12月14日。もちろん忠臣蔵の話である。ところが、NHK大河ドラマ「元禄繚乱」は先月末に討入りを果たし、14日を待たずして、放送は終了してしまった。これでは、熟すのを待てずに食してしまった青い果実のようで、何となく後味が良くない。「今年の忠臣蔵もこれで終わりか。これで一年が終わったようだ。しかし、まだ1ヶ月あるのか」、こんな感じである。しかし、世間のこのような人々を救済するべく、やはり時期をあわせて、忠臣蔵映画の放送が組まれている。確認できただけでも、6本(深夜のBSというのがほとんどであるが)。1度にまとめて見ると、ストーリーがこんがらがりそうである。それにしても、「四十七人の刺客」の殺陣はお粗末だった。

 さて、一連の忠臣蔵コラムの問題は「日本人はなぜこうも忠臣蔵が好きか?」ということであった。ストーリーを冷静に見てみれば、私怨による集団殺戮の話でしかない。しかし、その中には武士道や忠義、はたまた政府(幕府)への批判などが込められている。日本人は判官びいきで弱い者を支持する人が多い。忠臣蔵はシャープ兄弟にやられ続ける力道山を(古すぎたか!?)ひたすら応援し、逆転に転じた途端に一気に爆発する歓声と感動に近いものを感じられる時代劇である。蛇足だが、あのガメラも同様に1度目はやられるが、最終的に勝利するようにできている。力道山も忠臣蔵も話の結末は分かっているが、クライマックスに至ったときの快感は何事にも尽くしがたい。雪の中の討ち入りのシーンは何度見ても鳥肌が立つ。

 忠臣蔵の舞台には実にうまく季節感が描かれている。内匠頭切腹の際には桜を、そして吉良邸討入りの際には雪を。やはり、討ち入りに雪は欠かせない。これが、真夏の夜の出来事ではあまりにも風情がない。この描写が実に美しいのは「忠臣蔵外伝 四谷怪談」であると思う。BSが見れる方は今晩いかがだろうか?

(秀)

・・・関連コラム・・・
  
第147話「忠臣蔵1」
  第148話「忠臣蔵2」
  第149話「忠臣蔵3」

第165話 〜1999/12/15 〜

■人のブランド化

 とても痛ましい事件であったが、世間の関心はその背景となったと思われる「お受験」の実像を覗き見ることに集中した。何となく予想は出来ていたが、お受験の実態はその予想を軽く上回っていた。倍率が100倍にも達するようなことは、普通の人生ではそうそう体験できるものではない。彼らの最終的な目的は何であろうか?。いつの間にか手段である受験が目的に置き代わってしまってはいないだろうか。

 社員の採用で出身大学を不問とする会社が僅かながらであるが、最近は増えて来ているらしい。それは喜ばしい限りであるが、社会全体は相変わらず学歴偏重社会である。しかし、そんな会社の人事担当者の弁が分からなくもない。良く言えば、「受験競争を勝ち抜いて来たことは、それが能力の証明であり、これからも競争を勝ち抜いていくことだろう」と。人物本意の採用と言っても、わずか数回、数十分話したぐらいで人間の本質が分かるものではない。要は見合いであるが、付き合ってから決めるわけにはいかないし、候補者が他にもいるわけで、選択肢として履歴書に頼るのは当然のことだろう。この枠組みが一旦作られると、人がそこを目指して集中し、システムとして再生産されるようになり、そして、今日に至った。

 声高に学歴社会を批判することは簡単であるが、所詮ドンキホーテでしかない。学歴社会は人をブランド化する社会である。ブランドというのは自分の価値基準ではなく、多くの人が認めた価値基準をお手軽に金で買おうというものだ。このため、他人の価値観を気にしすぎるブランド信仰が続いている限り、学歴社会を是正するのは難しいような気がする。お受験に走るあのマダム達のブランド品を見る度に辟易するし、街中そんな予備軍達であふれている。せめては、ブランドのバックを持った勉強嫌いのコギャルこそは将来お受験に走らないことを祈るのみだ。

(秀)


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