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もうそろそろ忘年会も旬を過ぎた頃だろうが、この忘年会というネーミングにはどうも違和感を感じる。一夜明ければ(翌日が休みの場合もあるが)オフィスでまた顔を合わせる者同士の飲み会が「何で忘年会なんだろう?」と。そして、どうしてこうもその年のことを忘れるイベントを催す必要があるのか不思議でたまらない。翌日になって昨夜の自分の醜態ぶりが話題になると、「そんなことこそ忘れてくれ〜」と叫びたくなる(あくまでも例えです。私は飲んでも乱れません)。誰も飲んで忘れようと思ってはいないだろうけど、少なくとも「忘年会」という名前に違和感を感じて欲しかったりする。
さて、世はまさにミレニアム、ミレニアムと大騒ぎであるが、そんなにはしゃいでいる人にはいったい何がめでたいのか聞いてみたい気がする。きっと、カウントダウンのイベントに集まったり、いつもと同じ日の出でも元旦のそれだけは拝んでいる人だったり、はたまた、「(平成)11-11-11」とスタンプされた切符やハガキを後生大事にしまっている人か、2000年1月1日に向けてせっせとコンピュータウイルスを作っている人ぐらいだろう(余談だが、ギザギザのある10円玉を集めている人もこのようなイベントは好きそうだ)と思ってみたが、そうではなさそうだ。そこで、世の中がミレニアムに浮かれている理由を考えてみた。
この騒ぎは2000年と区切りが良いところがミソであるが、それはまさにリセットの感覚であろう。それを世紀末といった世相や不況というものが増幅させている。2000年や21世紀になれば、それだけで何やらバラ色の社会がやって来るとでも言うのか?。マンガでしばしば未来都市の絵として、超々高層ビルやチューブの中を未来自動車が走っている絵を見たが、それが21世紀になったからといって突然やって来るものではない。101年後も21世紀だし。
とりあえず、ミレニアム騒ぎは世を挙げての大忘年会と言ったところであろう。嫌な世相をリセットしたいと願う心理がその背景にありそうだ。しかし、いつもの忘年会同様、次の日は同じ人と顔を合わせる日常が待っている。どこかでリセット願望がありながら、本当に全てがリセットされたら困ってしまう。そんなミレニアム騒ぎと2000年問題といった矛盾が入り交じり、新たな年明けはもうすぐである。
(秀)
主婦達の会話に聞き耳を立てると、2000年問題の対策として石油ストーブが売れているらしい。ファンヒータも電気が止まってしまっては使用出来ないため、いざというときはローテクが良いようだ。おまけに灯油は便乗して高値傾向らしい。やれ、水はどうした、それ以外も「2、3日しのげれば、何とかなるだろう」といった感じである。一部報道では七輪(しちりん)も売れているとの情報もあるが、その後の練炭の供給を考えるとイワタニのカセットコンロの方が現実的だ
ろう。
2000年問題については色々な対策がアナウンスされているが、どこか変なものもある。「もしものために、預金残高を通帳に記帳しましょう」というもの。仮に100万円の残高があり、それを記帳した後、キャッシュカードでその100万円を引き出したとしよう。通帳には100万円と記載されているが実際の残高は0円である。これでも通帳に残高を記帳しておくことに意味があるとでも言うのか。もし、2000年問題でこの銀行の預金残高データがふっとんだとしても、バックアップデータは万全のはず。こんなインチキ通帳の出番などあるはずもない。こんなことで年末の銀行に列をなす暇があったら、家で大掃除でもしていた方がましである。
2000年問題は忘れ物と同じような性質のものだと思う。家を出る際に家人が「忘れ物ない?」と尋ねるが、忘れ物は結果としての存在するもので、ここであれころ考えて気が付くものではない。2000年問題と騒いだところで予想されていることをやり尽くしたのならば、あとはその時を待つしかない。それでも何か起きたらとしたら、それは2000年に向けての忘れ物でしかないのだから。
(秀)
from.なぎさん
本当は年明けにリリースしようと思っていた内容であるが、正しい正月の過し方を伝えたくて、少々前倒ししてのリリースである。「正月は何故めでたいか?」というのが今回のテーマである。テレビから無尽蔵に流れて来る、あるいは届いた年賀状に記されている、「おめでとうございます」という言葉に対して疑問を感じたことはないだろうか?。「正月が何故めでたいか?」、あまり真剣に考えたことがある人は少ないだろう。子供のときの記憶をたどると、そんな疑問とはお構いなしに、いつもよりちょっと良い服を着せられて、お年玉をもらって、「正月はうれしい」という感情だけが刷り込まれていた。まさにめでたい限りである。毎日同じように日は昇るのに「何で初日の出を拝むのか?有り難いのか?」という疑問は、この正月の謎をもっとも顕著に言い換えたものかもしれない。
私が調べたところによると、正月がめでたいのは農耕社会で新たなサイクルの到来に感謝し、それを祝うことに起因しているらしい。私はサラリーマンで農耕社会のサイクルには無縁であるが、1月で会社の会計年度が新たなサイクルを迎えるということで、素直に感謝して祝うことにしよう。ただ、正月がめでたい状態であるためには多少の演出が必要である。そのためには非日常として扱うことが必要で、それが、民俗学では非日常=「ハレ」(、日常=「ケ」)と表現されている。その行事にめでたさを加味するには非日常の要素を付加することが欠かせない。
滅多に手紙は書かないけれど、年賀状は書く。いつもは食べないような料理を食べる。こんな非日常的なことは正月を正月らしくする上で非常に正しい行動である。親戚一同でカルタ取りをするのは粋だが、揃ってテレビゲームをするのは野暮である。これからますます私たちの生活が便利になるにつれ、日常と非日常の境が曖昧になっていくのはちょっと悲しい。年賀状も電子メールになり、店のほとんどが元日から営業しているような状態になった場合、すなわち、正月が非日常性を失った場合、正月の存在意義はほとんどなくなってしまっているかもしれない。いっそ、お年玉もなくなってしまえば良いと思ったりするが、そうはいかないだろう。せめては非日常を楽しむことにしよう。コラムもしばし、お休み。
(秀)
明けましておめでとうございます。
年末年始も働いている人には申し訳ないが、正月というのは結構暇で退屈である。しかしながら、時間の流れは万人に共通で、1週間という休みも思ったよりは早く終わり、また執筆再開である。今年も宜しくお願いします。
元旦に目が醒めるとテレビでは「爆笑ヒットパレード」をやっていた。毎年恒例の生放送である。かつては決まって、青空球児・好児が明治神宮の特設舞台から出演したりしていた。ネタはいつもの「ゲロゲーロ」でしかないが、それで毎年続いたものだ。今年はじっくり見る暇がなかったため、恒例の顔ぶれとしたら海老一染乃助・染太郎ぐらいしか確認できなかった。かつては正月となるとお笑い芸人がチャンネルを変える毎に金太郎飴のごとく出演していたものだ。玉川カルテット、チャッキリ娘、松鶴家千とせが出ずっぱりの頃もあった。「分かんねえだろうなあ?!」。
こうして見てみると正月番組の編成も少しずつながら変わって来ているのに気が付く。最近はダラダラと20時間も30時間も通しで放送する、バラエティ番組タイプのものが増えた。ただ、これらも生番組である点では良心的と言える。その一方で「スペシャル」と銘打った、編集ものが目立つ。「お宝映像」、「秘蔵映像」とか、頭に「20世紀」というのが付いたりする。NG集やハプニング集というのも同様である。秘蔵をそう易々と流して良いものだろうか。年末に「20世紀 お宝映像」というのが放送されていたが、本当の世紀末は今年である。今年はどんなタイトルで放送するつもりなのだろうか?。大袈裟なタイトルが付いていても出て来る映像は大抵何度も目にしたもので、お宝であるはずなどない。残りも年末には収録を終えた録画番組でしかない。晴れ着のお姉さんの笑顔がわざとらしい。
年末年始が退屈な理由はいくつか考えられるが、こんな特別番組という看板の裏にある編集番組や録画番組への辟易がその1つ。同様に合併号の名の下に週刊誌などがしばらく休むこともこの間の退屈の原因の1つであろう。しかも、「ワイド特集」と銘打った企画が多く見受けられるが、そのほとんどが裏取りもいい加減な憶測記事でしかない気がする。お節料理だけでなく、テレビや雑誌までもが作り置きであることが正月を退屈にさせている原因だったようだ。
(秀)
正月三が日を過ぎた頃から、冬休みの宿題の残りが気になりながらも、それ以上にもらったお年玉の使いみちのことで頭の中は一杯であった。何を買うかなどは既に前の年の終わりまでに決まっていながらも、それを実際に手に入れるまでの時間が楽しいのも事実である。その当時(20〜25年程前)はスーパーとかでもおもちゃは定価で買っていたような気がする。
私の記憶が確かであれば、昭和50年のお年玉では「億万長者ゲーム」を買ったはずである。当時はゲームというとボードゲームが中心で、電気系玩具は歩くロボットか車のおもちゃぐらいしかなかった。当時からボードゲームの雄は「人生ゲーム」である。幾度となくバージョンアップを重ね、現存している。億万長者ゲームは人生ゲームと同じ「タカラ」の製品で姉妹品の位置付けであった。今はプレイステーションのソフトになっているが、ボードゲーム自体は絶版のようだ。さらに姉妹品として「社長ゲーム」というものもしばらくしてから売り出された。こちらは友達が持っていたが、実のところレアな要素もあり、この社長ゲームが一番面白かった気がする。娘が先日、最新の人生ゲームを買ったが紙幣のデザインは昔のままであった。そして、改めてゲームに出て来る金銭感覚のメチャクチャぶりに感動。
それから2年程はお年玉で何を買ったか、はっきりとは覚えていない。次の記憶として蘇って来るのは「テレビゲーム」と「電子ブロック」である。テレビゲームが小5のときのお年玉で電子ブロックがその翌年だったと思う。テレビゲームと言ってもちゃちな物で、できるゲームはテニスにスカッシュ、ライフルぐらいで、専用のライフル銃は別売であったがその姿を店先で見ることはなかった。家庭用のテレビゲームとしては本当に初期のもので、モノクロだし。それでも「目が悪くなる」なんて言われた。その翌年あたりからそれなりに家庭用のテレビゲームも普及し出し、もちろんカラーで「レーシング」なんてのも出て来たが、友達が買ったレーシングゲーム機はコースを上から見た完全な二次元画像で、マシンの姿はまるで漢字の「出」という形をしていた。
さて、これから電子ブロックについて熱く語ろうと思ったが、文字数がそこそこ良い感じになったので、続きは明日にしよう。せっかくだから明日は今でも新品で電子ブロックを買える方法を教えてあげよう。(ちょっと高いけど)
(秀)
from.恩ちゃん
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