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第1761話 〜2010/6/2〜

■次は誰か?

 支持率が20パーセントを割り込むと危険水域とは良く言ったもんだ。先日緊急に行われた内閣の支持率調査で20パーセントを割り込んだ矢先、鳩山首相は辞意を発表した。昨日の小沢幹事長との対談直後、親指を立てた「サムアップ」というサインを見せていたがために、あまりも意外だった。

 普天間の米軍基地移転問題で社民党が連立政権を離脱した際から、民主党内からも鳩山下ろしの動きがあったらしい。そして迫る参議院選挙を戦う上で、状況の巻き返しということで、首相が腹を切る結果となった。小沢幹事長と刺し違えて辞職するのは多少世間受けしそうだが、選挙に強いとされた小沢幹事長を退けるには相当なリスクがあるだろう。掛けに出たようだ。

 さて、関心は次の党首である。小沢幹事長はありえないので、消去法から言えば、菅副総理だろう。けど、新鮮味はないし、魅力にも欠ける。これでは内閣の支持率が好転する要素が見えない。本来は総理の器ではない。所詮、市民運動あがりの、野党党首がちょうど良いくらいにしか見えない。それがなんかの弾みで一国の宰相にまで上りつめるのだから、人生は分からない。ただ、次も短期政権になりそうな気がする。それにしても民主党は人材の層が薄い。

 民主党政権は総理の顔が変わったくらいで政権運営が楽になるものではない。参議院選挙の結果も芳しくなさそうなため、参議院では少数与党となる。何か変わることを期待して民主党に多くの人々が票を投じたにも関わらず、それを実感することなく、最初の政権は幕を閉じる。今夏の参議院選挙では、改めて自民党政治に戻って良いのか?、それとももう少し民主党に政権を任せて良いかを選択する選挙になることだろう。参議院選挙の結果次第では、衆議院の解散も近いかもしれない。

(秀)


第1762話 〜2010/6/10〜

■遺稿整理

 最近、ある人の遺稿の整理に着手した。その人と存命中に面識があるわけでなく、また、遺族の方からの依頼があったわけでもないが、見つけ出した宝を何とか本などの形にして日の目を見る状態にしたいと思っている。ちょっとした出版プロデューサー気取りである。その原稿とは落語をテーマに書かれたエッセイ集で、私が運営に関わるようになった、ある地方落語会のWebサイト宛に投稿されていたものだ。ざっと、100編を超え、ワードの文書で300ページを超える文量だ。

 まずそのデータの裏付けに驚かされる。実際に江戸文化を紹介した書籍などを紐解き、落語で描写されている内容を細かく検証している。貨幣価値の話題であったり、旅行の行程、費用、服飾など、噺に出てくる内容が江戸時代の本当の姿を反映しているのか?、それとも当時の内容とは現実離れしていて、フィクションとして描かれているか?、など。毎回それぞれのテーマに対して、微に入り検証されている。落語好きとしては非常に勉強になる。

 また、実際に聞いた演者の口演を比較したりした回も登場している。志ん生さん、小さんさん、円生さん、馬生さん、志ん朝さん、文楽さん、金馬さん、など。たまに「○○師」という表現も出てくるが、大半は親しみを込めてか、「さん」づけで書かれている。いずれも昭和期の名人と言われた人々だが、中にはこの数十年の間に、襲名により、同じ名前の人が複数存在した事実がある。中には、「先代の金馬さん」、といった感じである程度特定して書かれている場合もあるが、できればこれに、それぞれ何代目であったかを補っていこうかと思っている。

 原稿を読みながら、「おや?」というところも出てくる。登場人物の名前や地名が正しく変換されていなかったり、そもそも間違っていたりする場合もある。著者が存命であれば、確認する手立てもあるが、それはできない。間違いも含めて、オリジナルを尊重し、原稿のまま編集してしまう手もあるが、明らかな間違いをそのまま残しておくのは故人のメンツにも関わるものだろうから、そこには手を入れることにした。落語好きだからできる醍醐味でもある。また、難しい漢字がいろいろと出てくる。噺の内容に関わる部分であれば、それは残すべきだが、読みにくいものは、ひらがなでの表記に改めている。

 一通り、校正と編集が済んだら、仕上げに索引を作る予定だ。但し、電子出版を想定し、ページ番号ではなく、各話の番号にリンクを張ることにしたい。たとえば、「芝浜」という噺は何話と何話に出てきた、といった感じだ。同様に噺家の名前も何話に登場していたかをまとめたい。ついでに参考文献の一覧も。

 この作業が済んだら、次はいよいよ自分の原稿を整理して、電子書籍化を計画している。他人の原稿を読み、編集していく作業は自分の原稿の執筆や編集にも少なからず良い影響があると思っている。

(秀)


第1763話 〜2010/6/11〜

■電子書籍考

 iPadの日本上陸を受けて、にわかに国内でも電子書籍、電子出版に対する注目が高まっている。電子ブックリーダーの本家とも言えるKindleの日本語対応化については、その対応の有無自体についても未定のままだが、米国でシェア2位につけているソニーが今年中に日本語対応版の電子ブックリーダーを出すらしい。いずれにしても、コンテンツの拡充が、これらハードウェアの普及のキーになっていることは今更言うべきことでもなかろう。ソニーとパナソニックはかつて国内で電子ブックリーダーの販売を行っていたが、失敗により撤退していた。

 確かに国内での電子書籍への注目度は高まっているが、具体的なコンテンツとなると遅々として進んでない感じがする。出版社や印刷業者は既存の紙の本の流通による既得利益者への配慮か、はたまた出版権等の権利関係の絡みか、対応が遅れている。業者間で団結してことに当たるために電子出版の業者団体が組織されたわけだが、なかなか一筋縄にいくような感じがしない。むしろ横一列に並んで、「抜け駆けするなよ!」という集まりのようにさえ見える。

 確かに日本でも電子書籍のコンテンツは既に存在する。しかしその多くは、著作権の切れたフリーのコンテンツか、出版から相当時間が経ったものばかりである。新刊が紙の書籍と同時発売であったり、加えて価格的にも魅力があれば良いのだが。一方、ユーザーの中にはそんな電子出版を待ってられずか、本をスキャナーで読み込んでPDFファイル化し、それを電子ブックリーダーで読もうとしている人も結構いるそうだ。安価にスキャニングの代行サービスをやっている業者にはあまりもの注文に処理が追いつかない状況らしい。もちろん、自分でこれらの作業をやってしまおうという人も増えているようで、このような自前でのスキャニング作業を「自炊」という。

 そもそも国内での電子出版の遅れの原因の一つは、日本語の統一されたファイルフォーマットが定まっていない点にある。日本語には、縦書き、ルビ、禁則、半角全角の混在など複雑である。また、印刷の活字にはあるが、パソコンでは表示できない文字というのもある。そしてもう一つの原因が著作権やその周辺の権利に対して関与する人が多数存在し、複雑な点だろう。

 かと言って、フォーマットについては、かつてのビデオテープの規格戦争のような争いはないだろう。パソコンがベースであるため、それぞれのフォーマットに対応したアプリが開発されれば、それぞれのフォーマットのファイルを閲覧することが可能だからだ。ただ、パソコンや電子ブックリーダーの画面に書棚として表示され、それぞれのコンテンツが並んでいる様子をイメージした場合、ファイルのフォーマットによって使用するアプリが異なり、それぞれで書棚を持つようになるとコンテンツの管理が非常に煩わしくなる。そのうち、いずれのフォーマットでも閲覧できる閲覧ソフトが、リリースされるだろうが、いずれのデバイスについてもそのようなアプリが出されるかはまた別問題である。

 続いてPDFファイルについて考えたい。紙をスキャンしたものや、印刷イメージでPDFファイルに書き出したものも電子書籍コンテンツの一つであることは間違いない。しかし、これまでの感覚としては、「ファイルサイズをコンパクトにする」、「書き換えができないファイルにする」という側面が強い。実際、これらのPDFファイルを受け取った際に、一旦印刷してから読むことが多い。こうなると、本来の電子書籍のメリットが生かせていない。本末転倒である。ただ、それはパソコンの画面が横広であるのに対し、多くのPDFファイルが縦長であるため、パソコンの画面では読みづらかったからだろう。

 これからは専用のリーダーでPDFファイルをそのまま読むケースは増えていくことだろう。一部のリーダーソフトではページをめくる際には、端の方がめくれたりの演出もされている。ただ、PDF形式では電子書籍が持っている機能の一つである、フォントサイズの変更ができない。米国でKindleの人気を支えているある層は壮年から老年の層らしい。老眼の人々には、Kindleならフォントサイズを変更できるので紙の本より読み易いとの評価である。それと同じ電子書籍でもPDF形式では安っぽい感じがしてしまう。

 電子書籍で最も大切なこと、それは保存性と再現性だと思う。紙媒体は記録物として長い時間保持することができる。電子書籍は複製も容易であるし、劣化しないため、保存性の面では優れているだろう。問題は再現性である。紙の本は数百年経とうと、保存状態さえ良ければ閲覧できる。一方、電子書籍が数百年後に今と同じように閲覧できるか、という問題に対して誰も明確な答えを出せないだろう。レコードを聞くことやベータのビデオテープを見ることが困難となってしまったように、OSやデバイスの進歩、フォーマット規格の更新などにより、いずれ所有している電子書籍が見られなくなるかもしれないリスクを誰も否定することはできないだろう。

 紙媒体には紙媒体なりの良さがあり、これらの一部、あるいは多くが電子媒体に置き換わっていくだろうが、全てを電子化してしまうことはできない。保存という意味でも電子出版の一方で、オンデマンド印刷の需要も増して行くのではないかと思っている。いずれにせよ、ここ数年で出版をめぐる大きな変化が起きていくことは間違いない。我々はグーテンベルグの印刷機の登場以来、数百年ぶりの変革の時期に立ち会っているのかもしれない。

(秀)


第1764話 〜2010/6/17〜

■へのこ

 先日の金原亭馬生師匠の落語会でのこと。私が言うのもおこがましいが、この日の師匠のマクラはとても冴えていた。実に15分にもおよぶマクラ。先日の、医者が看護婦を妊娠させ、ビタミン剤と偽って薬を渡し、中絶させ、不同意堕胎の罪で逮捕された事件について、「逮捕されて、今頃になって否認(避妊)している」とかなりブラックなユーモアを披露。自分の娘も看護婦であるため、心配でしょうがないとも話していた。

 続いて、普天間基地の辺野古周辺への移転に反対する、社民党の福島党首についての話題。そもそも「へのこ」とは男性性器の俗称であり、地形がその形に似ているから、辺野古という地名になったという前置きがあり、「たぶん福島さんはこのことを知らないんでしょうな。へのこ、へのこと連発してましたから」と。「へのこはみんなのへのこです」、「へのこは固く固く守っていきます」という彼女のまねのシーンでは大爆笑になった。

 「嘘だと思うなら、辞書で調べてごらんなさい。ちゃんと載ってますから」と言われたので、「へのこ」を家に帰ってググってみたら、「へのこ祭り」なんて項目も表示された。男性性器を型どった御神体というのがあって、神輿にもそのシンボルが乗っていて、街を練り歩くようだ。おまけに巫女さん達が大きな木彫りの男根状のものを持って行進している写真もそのサイトには載っていた。別名「チンコ祭り」とも言うらしい。

 さて、この日のこのマクラに続く師匠の演目は「しびん」だった。まあ、滅多に寄席でも掛からない、希少な根多だった。

(秀)


第1765話 〜2010/6/18〜

■iPadが欲しい人

 夜の10時過ぎに私の携帯電話が鳴った。メールにしては鳴動の回数が長いので、電話機を手にすると、発信元は郷里にいる姉だった。田舎に年寄りを残しているので、夜遅くの電話に、まさか、の嫌な予感を感じながらも電話に出ると、相手は姉婿の義兄だった。

 「ガイアの夜明け」を見ていて、iPadが買いたいということだった。私もテレビを横目に点けて、この番組を見ていた。この日の番組のテーマは電子書籍だった。地元では売ってないから、そっちでは買えるか?、ということである。こちらでも注文してから実際に手に入れるまでは2週間ぐらいが掛かることと、ネットで予約購入できること教えた。

 番組の最初の方を見ていなかったので、録画したものを後日見たら、冒頭に定年を過ぎた男性が読書用の端末としてiPadが欲しくなり、発売当日の朝に銀座のアップルストアに並んで、iPadを手に入れてご満悦、というシーンがあった。電話が掛かってきたのはこのシーンのほぼ直後だったと思われる。東京なら、今からでも並べば買えるとでも、義兄は思ったのかしれない。

 義兄は特に新しいもの好きというわけでも、パソコンやデジタルデバイスに興味がある感じでもない。年齢的にも60歳を手前にした頃だ。しかし、iPadは番組での男性の例もあるように、これまでのコアなパソコンにユーザやiPhoneのユーザとは別に子供や高齢者にも新たなマーケットの開拓の期待ができるデバイスと言える。単に大きなiPhoneは使い方という面でiPhoneとは異なる利用価値をユーザが見つけるかもしれない。

 実は発売日から数日経ってからであるが、私もこっそりiPadをネットで予約した。それが来週の半ばに届く予定だ。iPadでの電子書籍というものを実際に体験してみて、それを理解した上で、かつて紙の本として自費出版したコラム本とその続編を電子書籍として出版したいと考えている。

(秀)


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