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第1776話 〜2010/8/26〜

■迷走する民主党

 民主党の小沢前幹事長が来月行われる民主党の代表選に出馬することを明らかにしたようだ。鳩山前首相は小沢氏を支持すると表明し、菅代表と党を2分しての代表選挙戦が展開されることになりそうだ。

 党内に小沢氏を支持するグループから強く出馬を求められていたことは以前から伝えられていたが、小沢氏の現在置かれている立場を本人も党内の支持者も自覚していないということなのだろうか?。彼は現役代議士を含む現旧の秘書が逮捕され、自分も起訴されるかもしれない状態にある。これまでも代表の座を追われ、幹事長の職も解かれるながら、身の潔白は依然明らかになっていない。民主党には良識とか、コンプライアンスというものがないのだろうか?。もはや与党失格。所詮、責任力のない、野党がお似合いということのようだ。

 それと菅総理も、「短い期間に何度も総理が変わるのは良くない」という、非常に消極的な理由により執行猶予のような立場でありながら、今回の代表選に勝利したら、前回の参議院選挙での敗北の責任など棚上げして、開き直ってしまうことだろう。けど、選挙で審判を下したのは国民であって、民主党での代表選挙に勝ったからと言って、国民が彼や民主党を支持したわけではない。

 今大事なのは次の総理が誰であるのかよりも、急速な円高による経済の失速にどう対応するかである。けど、彼らにはそんな意識などなく、既に党内の多数派工作のことで頭の中はいっぱいなのだろう。本来なら、政治運営の実績で代表の座が安泰といったリーダーが望ましいのだが、全くそんな感じがしない。

 例え、子ども手当や高校学費無償化などの施策が受けても、それは所詮アイデアベースの程度でしかなかった。実際の政治については素人でしかなかった。良し悪しはさておき、官僚の働きにより、日々の行政が行われている状態だ。

 最初は期待はしてみたものの、結局は与党失格、と私は見切った。

(秀)


第1777話 〜2010/8/30〜

■江戸を改めて考えてみたい

 そもそも昔から歴史が好きで、時代劇も自ら好んでという訳ではなかったが、親が見ているので、普通に見ていた。水戸黄門は夕方の再放送を何回も見たし、高橋英樹の「桃太郎侍」や「ぶらり信兵衛 道場破り」は子供ながらに、好きな時代劇だった。

 さて、東京に出てきて二十余年。地名の中に江戸を感じるところがある。日本橋であったり、八丁堀であったり。地下鉄のアナウンスでちょっと反応してしまう。東京がかつて江戸と呼ばれていたことは周知のこと。東京と言えば、その範囲は東京都だったり、23区内だったりするが、東京がそのまま江戸であったわけではない。向島なんて、文字通り「向こうの島」だったわけで。

 落語を聞くようになって、改めて「江戸」について興味が出てきた。一言に、江戸と言っても、地理的な観点から言えば、東京とはやはり違う。また、江戸時代と言っても、その期間はざっと260年間におよび、その最初と最後ではやはり経済事情や人々の生活にも変化があったはずだ。特に貨幣価値の変動は時代によって大きく、1両を今の金額でいくらにすべきか、正確に捉えるのはなかなか難しい。

 そこで、好きな落語を通して、時間的な「江戸」と地理的な「江戸」を再構築できないかと思いついた。寄席や落語会で聞く、あの噺はいつ頃のどこを舞台にしたものだろうか?。落語に出てくる登場人物は日々どんな生活を送っていたのだろうか?。落語の舞台となった場所に立ってみたり、今は存在しない地名を、噺を手掛かりに探してみたり。そうすることで、これまで聞いていた噺がより立体的に楽しめるようになるのではないかと思っている。

 幾分涼しくなったら、散歩がてら(、いや自転車で、かな)出掛けてみようと、今からワクワクしている。

(秀)


第1778話 〜2010/9/1〜

■あいつが死んだ晩

 小学6年生のとき。当時、歌謡曲、いやミュージックに目覚めた僕らは、わずかばかりの小遣いからレコードを買っていた。当時僕らに人気だったのは、アリスにゴダイゴ、ツイストなど。レコードを持ち寄って、友達の家に集まったりしたもんだ。夏休み明けで始業式が済んだその日、まさに9月1日。友達の一人に「今日、レコード買いに行くからついて来て」と頼まれて、放課後の約束をした。その友人は当時アリスが大好きで、とりわけその中でも堀内孝雄が好きだった。「君の瞳は10000ボルト」がテレビCMとして流れてきたのは、この秋のことで、この日の前後だったような気がする。

 レコード屋に着くと、彼は早速、アリスのコーナーと堀内孝雄のレコードを見ていた。LP盤である。既にいくつかのレコードは持っていて、持っていないものを探していた。そこで見つけた堀内孝雄の新譜、「あいつが死んだ晩」というタイトルだった。あまりにもショッキングなタイトルで、縁起でもないと、私はその友人に買うのを止めるように話したが、彼はそんなことを気にせずにそのレコードを買ってしまった。

 翌日学校に行くと、確か3時間目か4時間目、その前の時間が町区ごとに児童が集まっての「町区児童会」の時間だったので、別の教室から自分の教室に戻ると、担任の先生が黒板に何か文字を書いていた。そこにはずっと学校を休んでいた、同じクラスの知子さんが、前の晩に亡くなったという内容のことだった。女子たちは寄り添って泣き出し、自分は昨日の友人と顔を見合わせ、眉をひそめた。まさにレコードのタイトルのようになってしまった。

 知子さんとは小学5年生のクラス替えで初めて一緒のクラスになったが、小柄な目立たない感じの子で、しかもそのときから既に学校を休みがちだったので、ほとんど接点はなかった。そして、6年生になってからはほとんど登校することなく、ずっと学校を休んでいた。先生が白血病だったと教えてくれた。告別式はそれから2日後で、クラスのみんなで参列した。そして、小学校の卒業式の日に、クラスのみんなで揃って、彼女のお墓参りに行った。

 2学期の始まりとなるとこのことを思い出す。堀内孝雄のレコードタイトルは暗示だったのかな?。32年前のことだから、ちょうど33回忌になるんだ。

(秀)


第1779話 〜2010/9/6〜

■野獣郎見参

 魑魅魍魎。書けないけど、読める。読めさえすれば、こうして文字が出てくるからパソコンは便利だ。さて、この魑魅魍魎とは我が長男が高校の文化祭のクラス演劇で演じた役だ。本人から事前に何も聞かされていなかったので、会場で配役の掲示を見たときには驚いた。せめて、人間の役を、と。幼稚園のときの生活発表会で演じた黄色鬼役以来、早十余年。立派に成長し、今では私を見下ろすまでになったにもかかわらず、またしても人間以外の悪役とは、何かの祟りか、因縁か?。

 クラス劇の会場は各教室で、外も内もスタジオの大道具の様に、いわゆる建込みがされていて、結構準備に余念が無い。息子が通う高校では、3年生は全クラスが毎年文化祭でクラス劇を行うことになっている。普通の演劇素人の生徒がセットや衣装をこさえ、演じて、演出もする。脚本はどこかで見つけてきたものを直して使用しているようだ。息子のクラスの演目「野獣郎見参」を先程ネットで検索してみたら、劇団☆新感線で演じていたもののようだ。ほとんどのクラスは時代物の劇を選んでいる。

 ステージと向かい合わせに、机を積み上げて、階段状の客席が作られていて、そこに80人くらいの観客を押し込める。今はエアコンが各教室にあるが、これだけの人が入り、照明もたくと、やはり暑い。やがて、セーラー服で女装した男子生徒が前説に現れ、上演中の注意事項を面白おかしく伝達して、劇が始まった。

 舞台は応仁の乱の後の京都。安倍晴明が呪術により、もののけ達を封じ込めた塚が応仁の乱で破壊され、もののけ達が蘇った。主人公の物怪野獣郎の他、安倍晴明の子孫の陰陽師や妖術使いなどがもののけ達を倒す話であるが、後半ややそれぞれの立ち位置が込み入ってくる。我が息子は結構早いところで登場した。魑魅魍魎という役ながら、あやかしの家来の戦闘員のような役回りで、とりあえず人間の格好をしていたから、一安心。早速切られてしまうが、その後も何度か同じ役で出てくるのは、そもそもが、もののけであって、死なない設定なのだろう。やはり、やられてしまうが、殺陣のシーンなども何とかこなしてくれて、再び安堵。

 やや、乱暴な展開があったり、迎合して変な笑いを入れたりした部分もあったりしたが、素人の高校生が頑張ったにしては、よく出来ていた。逆に、この手作り感が良いのかもしれない。とりわけ、主人公のキャスティングはぴったりだった。聞いた話では、最終公演では感極まって演者が劇の途中で既に泣いてしまっていたらしい。きっと、修学旅行以上の高校生活最大の思い出になったことだろう。受験勉強なんかよりも、今を一生懸命に生きようとして、好きなことに没頭している彼らを私は支持したい。

(秀)


第1780話 〜2010/9/16〜

■遊廓跡

 落語に廓噺というのがある。江戸落語の場合、その多くは吉原を舞台としたもので、一部は吉原以外に品川などを舞台にした廓噺というのがある。かつての吉原は公的な廓で、それ以外の場所は非公認な場所とされていた、らしい。吉原は遊女三千人御免の場所、とあって、女郎が3,000人いて、そこを目指して日々多くの男が現れたとある。江戸の街は圧倒的に男性が多い社会とあって、一方で吉原などの今で言う性産業の場である廓がこのバランスの調整役として、機能していたのかもしれない。

 さて、私の出身は佐賀市で、家は市内の中心部からは2キロぐらいのところにあった。江戸時代は城下町で、お城までは約1キロといったところの、城下町の入り口に近いところで生まれ育った。その家のすぐ近くには、かつての遊廓の跡があって、その実態は知らないまでも、「ゆうかく」という言葉は子供の頃から何気に聞いていた。住所地番ももちろんあるが、周りの大人達はその地域をずっと、遊郭とか、「元、遊郭があったところ」と呼んでおり、それで通じていた。

 おそらく、江戸時代からそこは存在し、昭和33年の売春禁止法の施行まで、そこは遊廓として栄えていたことだろう。今はすっかりその跡形も無いが、かつて私が子供の頃には遊廓の建物がそのままいくつも残って、一角を成していた。遊廓としての後は、住居として使用されており、各座敷に一家族といった感じで、数世帯が文字通り、同じ屋根の下に住んでいた。共同トイレで、風呂はなく、ここに住んでいる人達とは近くの銭湯でよく会った。家賃が実際にいくら位だったかは分からないが、貧しい感じの住まいだった。

 外側は格子になっていて、その格子越しに当時は顔見せをして、相手を見立てる場所だったのだろう。その建物に、友達の友達が住んでいて、何度か建物の中に入ったことがある。重厚で立派な建物であるが、既に掃除や手入れはいい加減で、所々が傷んでいたが、修復する気もなく、放置された感じだった。妙に幅が広く、立派な階段が印象的で、廊下は日中でも暗かった。

 その集合住宅として使用されていた当時、いったい誰がその建物の所有者だったのだろうか?。建てられてから随分時間が経っているし、その建物を修繕しながら維持していく程の家賃収入があるとも思えない。老朽化がひどく、安全性の問題もあったのだろう。数年前に帰省した時に、その場所を見に行ったら、既にそれらの建物は取り壊され、いくつかの低層アパートに建て替わっていた。

 教育的ではないが、文化的には残して欲しいものだった、と今更ながら思う。Webで誰か、この佐賀市の遊郭跡について書いていないかと探してみたが、見つからなかった。ちょっと研究心が騒ぐ。

(秀)


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