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第1791話 〜2010/11/16〜

■死刑判決の蛇足

 横浜地裁で行われていた裁判員裁判で、初めての死刑判決が出た。裁判員裁判初の死刑判決とあって、報道も熱心だ。被告人は二人を殺害し、強盗殺人罪などで起訴されていた。死刑の求刑は裁判員裁判としては2人目だった。

 死刑判決をめぐる判例としては最高裁が示した「永山基準」というものがあり、これが死刑か否かの判決を出す上での基準となっている。別の経験則に基づく基準としては、3人を殺害すれば、ほぼ間違いなく死刑。1人の場合、基本的に死刑になることは少ない。問題は2人を殺害した場合に判決が分かれる。よくドラマや映画で犯人が逆上し、「一人殺すも二人殺すも同じだ!」と銃を乱射するようなシーンを目にするが、殺害した人数は判決に大いに影響する。

 今回の裁判、おそらく最終弁論と思われるが、被告人の弁護人は「わずかでも死刑をためらう気持ちがあれば死刑にしてはならない」と情に訴える策に出たようだが、これはそれほど積極的に死刑を回避すべき材料がないということを表しているようにも思える。それにしても、いざ一般市民が死刑の判決を出すには計り知れない苦悩があるだろう。「知る権利」なんていった野次馬根性ではなく、正しい判断をするために、証拠品を見ないといけない。その中には遺体の写真もあるはず。そのような精神的な苦痛を感じながら、合意に基づいて出された死刑判決である。

 ところが今回の死刑判決を言い渡した裁判長は主文の後に「裁判所としては被告に控訴することを勧めたい」と発言したらしい。これが裁判員と裁判官の総意なのか、単なる裁判長の個人的な考えなのかは分からないが、せっかく出した判決を自ら否定するような発言はするべきでない。裁判員に対して失礼だし、何よりもそんな無責任な形での死刑判決を言い渡された被告人に対して失礼だ。

 来年、3年目を迎える裁判員制度だが、私の身近に裁判員候補の通知が最高裁判所から先日届いた。

(秀)


第1792話 〜2010/11/22〜

■日本一のひや

 現役若手落語家二人とともに、とある企画の作戦会議の席での落語談義。「分かりにくいサゲってあるよね」という話になった。私が思うに、大ネタで通常は全編通しではなかなか口演されない演目に多いような気がする。「品川心中」、「居残り佐平次」、それに「らくだ」。

 私はこの「らくだ」が結構ひどい噺であるが、好きである。落語で実際に聞くよりも前に映画の設定として、死人に「かんかんのう」を踊らせる噺であることを知っていたからかもしれない。落語は図体がでかく、らくだとあだ名されていた馬太郎がフグの毒に当たって死ぬところから始まる。らくだは粗暴で金払いが悪く、近所の者たちから嫌われ迷惑がられていた。

 らくだの兄弟分が弔いを出してやろうにも金がない。通り掛かった屑屋が巻き込まれ、通夜の酒と煮しめをケチる大家のところに、らくだの死骸を担ぎこんで、死人にかんかんのうを踊らせて迫るところが前半のヤマ場。この後、大家からせしめた酒を飲みながら、酒癖が悪く、大トラになった屑屋と兄弟分の立場が入れ替わったところで前半は終わり、普通はここまでで噺家は高座を下りる。

 この噺には続きがあるが、時間の関係から、後半まで語られる事は少ない。前編から通さないと意味が無いので、「子別れ」のように後半だけ掛かることはない。その後半であるが、兄弟分と屑屋がらくだの死骸を当時火葬場があった落合まで担いで行く噺。早桶(棺桶)など買う金などないので、これまた死人のかんかんのうで揺すり取った菜漬けの樽で代用している。たらふく酒を飲んだ二人はベロベロに酔って、途中転びながら、肩を換えて、どうにか火葬場に着いたは良いが、棺桶の底が抜けてしまっていて、らくだの死骸を途中のどこかに落としてしまっていた。

 慌てて二人で死骸を探しに行ったところ、願人坊主(がんにんぼうず)と呼ばれる、これまた酒に酔って道端に寝ていた、ニセ坊主のホームレスをらくだの死骸だと間違えて、菜漬けの樽に入れて、火葬場へと戻る。「やけに赤い仏だなあ」とか「さっきよりでかくなってないか?」という疑問はあるものの、火加減をみて、この願人坊主を火葬しようとする。

 ここで、これまでの通常のサゲでは、火に投げ込まれるときに、願人坊主が目を覚まし、「ここはどこだ?」と尋ねると、「日本一の火屋(ひや)だ」と答える。当時、火葬場は火屋と呼ばれており、落合は江戸の外れにあって、日本一の火屋だったのだろう。「ん?、冷や?、あ〜、冷やでも良いからもう一杯」という台詞がサゲである。けど、自分が焼き殺されそうなときに、酒をねだっている場合ではないだろうというわけだ。

 最近はこれをアレンジし、願人坊主を火に放り込み、願人坊主が慌てて跳び起きて暴れている姿を見て、「仏さん、かんかんのう覚えちゃったよ」と周りが言うサゲもあるようだ。元サゲに比べると、こっちはさらにブラックであるが、落語的には面白いかな、という気がした。さて、目の前の若手はこれからどんな演じ方をするのだろうか?。

(秀)


第1793話 〜2010/12/13〜

■落語探偵団

 ここのところしばらくコラムの執筆が疎かになってしまっていたが、この間にちょっと暗躍をしていた。実は、私が仕掛け人となって、現役若手落語家による「落語探偵団」なるユニットを組織した。現役の若手落語家(落語協会所属の若手二ツ目)が探偵となって、各回ごとのテーマに対し、落語の噺の実際はどうであったかなどを掘り下げて調査し、所在地の特定や登場人物のプロファイリング、時代考証などを検証していくWeb企画である。

 メンバーは、
 ・金原亭馬治
 ・三遊亭時松
 ・古今亭志ん八
 ・古今亭駒次
 ・柳家ほたる
 ・三遊亭粋歌
 ・柳家小太郎
の7人。少年探偵団にちなんでこの7人でスタートした。手前味噌だが、なかなか個性的で面白いメンバーが揃ったと思っている。

 月一ぐらいのペースでメンバーにミッションをこなしてもらい、その演目に合わせて定期的に落語会を開催していく予定で、調査を担当した探偵メンバーが口演することになっている。このため、いくら面白い企画があったとしても、そのネタを持って(習得して)いなければ、その回の企画を担当することができない。あるメンバーは「反対俥」という演目をテーマにそのリアル感を獲得するために、実際に人力車を引いてみたいと申し出てきた。浅草あたりで実施すれば、実際に宣伝効果も高く、面白い企画と言える。ところがその発案者自身が「反対俥」を持っていなかった。「稽古に行きます」。この態度が実に気持ちいい。

 まず1回目のミッションとして、「時そば」に「できますのは、『花巻』に『しっぽく』」という蕎麦のメニューが出てくるが、ほとんどの蕎麦屋には無いメニューで、ほとんどの人がどんな蕎麦なのかを知らいないはずなので、それを探し出し、食べてこようという調査取材を実施した。既に、その時の調査レポートをWebで公開している。

 この他に今考えている企画としては、
・「茶の湯」を再現!飲めるか?
・「井戸の茶碗」を探せ!
・「なめくじ長屋」を探せ!
・天狗の足跡と伝承を追え!
・落語の心霊ポイントを検証せよ!
・「黄金餅」の言い立ての起源を探れ!
・昔はそんなに寄席が多かったのか?
・「文七元結」を原作で再現!
・「芝浜」のリアル感を検証!
なんてのを計画している。

 このユニットのポリシーは「テーマに対し、単にネット等で調べるだけにはとどまらず、実際に現地を訪ねるなど、自ら体を動かしての調査を行います」、「落語家の落語家による、けど落語ファンのためのサイトづくり」、「全ては自らの芸道の精進のため。成果は高座で披露します」、「いくら面白そうでも、先輩の噺家や関係者の迷惑となる行為は自粛します」となっている。

 「落語探偵団」で検索エンジンからも検索ヒットするようになった。
 http://rakugo-tanteidan.jp/
 自分にとっては、ここ数年で最も大きなイベントとなった。やっている方もなかなか面白い。いずれメンバーを48人まで拡大し、「RKG48」を結成して、プロデュースするのが夢。

(秀)


第1794話 〜2011/1/5〜

■新年に思う2011

 新年明けましておめでとうございます。
 今年も「秀コラム」をどうぞ宜しくお願いします。

 さて、新しい年の始まり。皆さんは着物姿の女性をこの正月に見ましたか?。初詣や寄席にでも行かない限り、そうそう見ることがないのではないか。そしていざ仕事が始まってしまうと、「おめでとうございます」なんてのは口先だけで、正月らしさは吹き飛んでしまった。テレビもなんかつまんなかった。そんな年明け。

 それにしても年を追うごとに時間が経つのを早く感じる。今のところ、去年がその最高記録で、きっとこのままだと今年はその記録を更新することだろう。かつて人生50年などと言われていた頃ならば、私の人生はもう終焉に近いが、幸いなことに今はそれがざっと30年間延びてしまっている。龍馬伝を見ながら、「自分はこの年になっても、まだ何も成し遂げていない」とため息をつく。もっとも、龍馬と自分を比べる、出発点からおかしいのであるが。

 例えばまだ40年もあると思うと、「今日がダメでも明日があるさ」という気持ちに流されてしまう。リラックスする上では良い考え方かもしれないが、今日できなかったことは翌日にもできないことが多い。そしてそんなことが何度も繰り返され、けど時間だけは規則正しく過ぎて行ってしまう。

 いざ年を取っても毎日や毎年がこんな感じで過ぎていくのだろうか?。いやそうではないような気がする。あれもやろう、これもやろうと思えば思うほど、時間が足らず、その結果、時間が経つのを早く感じるようになるのではないかと思う。年を取って、いろいろとやりたいと思う気持ちが萎えてしまえば、時間が経つのを逆にゆっくりと感じるのではなかろうか。

 そして、やりたいことを確実にこなしていくならば、時間の流れを早いとは思わないのではなかろうか?。龍馬のあの短かった人生。きっともっと生きたかっただろうが、彼は時の流れを早いと感じたろうか?。ただ、その答えは分からない。きっと多くの人は日々何となく流されて生きているのではなかろうか?。具体的にどうしようと言うわけではないが、私は、日々何となく流されて生きていく事だけはやめようと思っている。

 この1年を早く感じるかどうかは自分次第。もちろん、萎えてしまってはいけない。年の始めにそう思い、自戒を込めてのコラム初め。

(秀)


第1795話 〜2011/2/15〜

■道灌

 東京の落語家の階級は上から順に、真打、二ツ目、前座となっているが、この前座の前にも公式ではないが、見習いなどと呼ばれる時期がある。最大手である落語協会の場合は、6ヶ月ルールというのがあって、まずは師匠に入門してから見習い期間としての6ヶ月間を経てからようやく協会に前座として登録が許されるようだ。まあ、いろいろとしきたりがあるようで、前座の時は年中無休で師匠の家の手伝いをしたり、寄席に通って裏方をしたりして約3年を過ごす。多くの噺家がこれまで一番嬉しかったのは、「二ツ目に昇進したとき」と答えている。真打になった時よりも二ツ目になった時が嬉しいというのは、前座修業からの解放によるところが大きいのではなかろうか。

 前座が実際に高座に上がる機会は非常に限られている。定席と呼ばれる寄席で開口一番として高座に上がるにしても、昼の部と夜の部でそれぞれ一人ずつ。半人前ということで、その日のプログラムに名前が載ることもない。そして習ったいくつかの噺から、さらりと1つを披露して、また裏方の仕事へと戻る。だいたいが前座噺と呼ばれるもので、「寿限無」や「饅頭こわい」、「つる」といった簡単な噺が多い。年始には「子ほめ」を大量に聞くことにもなる。

 当の前座にとっては緊張の大切な高座であろうと、観客は冷ややかなもので、聴き慣れている噺のせいもあるし、まず笑わない。それがまあ前座にとって修行の一つとも言えなくもないが、ただ淡々と話しをして、時間が来たら引っ込むまでである。前座の分際でマクラで面白いことを喋ることも許されず、だから彼らは観客の反応などお構いなしで、淡々と喋るしかない。じゃあ同じ噺を真打がやったらどうかと言うと、それはもちろん面白い。

 前座噺の基本スタイルはご隠居などとの会話噺である。喋る人の立場によって首の向きを変え、上下(かみしも)を切る動作の練習がこれに含まれている。あとは「寿限無」に代表される口馴らしのトレーニングである。基本的にそれほど面白いわけではなく、こじんまりとした地味な噺ばかりだ。

そんな中の1つに「道灌」という噺がある。道灌とは江戸城を築城した太田道灌のことであるが、これまた地味な噺だ。道灌が狩りに出掛けた際に急な雨に降られ、近くの民家に簑を借りようとしたしたところ、その家の娘が山吹の花を差し出したという逸話を噺に仕立てたものである。しかし、この噺には落語を演ずる上で必要なエッセンスが盛り込まれているそうだ。

 隠居さんとそこを訪ねてきた八っつあんとの会話を通じて、その目線で距離感を表現しないといけない。重要なアイテムとして道灌の掛け軸が出てくるが、向き合った二人から見て、それがどこにあるのかをきちんと定めておかないといけない(向き合った二人にとっては、それぞれ左右が異なる)し、部屋の広さも意識した上で、演じないといけない。稽古中、師匠からは、「掛け軸はどこにある?」とチェックを受けるらしい。

 そう言われれば、他の前座噺にはそこまでの設定や技量を求める内容は見当たらない。会話がスムーズであれば、何となく形になってしまう。しかし、道灌はそうもいかない。いたって地味な噺であるが、奥は深い。彼らは視線で相手との距離感や空間の広さまでも演じている。そう分かると、前座の噺の聞き方もちょっと変わるかもね。

(秀)


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