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第181話 〜2000/1/17〜

■コタツパソコン

 やはりコタツは良い。冬はやはり炬燵が最高に気持ち良いのだ。書斎にはそこそこのスペックのデスクトップ「(もう)買うな、買うな」と言いながら、見ていたようだ。のマシンがありながらも非力なノートPCをコタツに持ち込み、原稿を書いている。日本でノートPCが歓迎されるのは、書斎がない、机がない、といった住宅事情よりもコタツでパソコンを使いたいからではないかと勘ぐってしまう。夏に気温とビールの消費が関係あるように、各家庭でコタツを出すタイミングとノートPCの売れ行きに何らかの相関関係があれば私の仮説は証明されることだろうが、あまりにも下衆な仮説のため、先進的なパソコンのマーケティングにはあまり馴染まないようだ。

 家電品は季節感があるものとそうでないもの(当たり前)とに分類できる。コタツにストーブ、クーラーに扇風機が前者の代表例だ。一方、テレビにビデオ、炊飯器に洗濯機が後者の代表例だ。生き物のリズムというものは日単位、次いで年単位と言える。これは天体の動きという、極めて自然的なリズムだ。それに対して、週や月という単位は極めて社会的で人間的なもので、生物の生理としてではなく人間のみが持ち合わせた、社会的慣習(代表例は宗教)に基づいたものと言える。

 ここで、家電品と時間単位の相関を考えてみよう。すると、季節感のないものは毎日使うもの。季節感のあるものは年単位で出したりしまったりするものと判断される。いずれにせよ基本は日単位である。家電品とは極めて人工的なものだが、その人工的な時間単位である、週単位や月単位で使用するものがないことに改めて気がつく(休日にまとめて洗濯・掃除を行う人を除く)。かろうじてテレビのコンテンツ(番組)が週単位ということだが、それとは関係なく、毎日テレビは点けられる。

 毎日あるいは毎年、何気なく使用されている家電品が動物的時間単位を考えて作り出されたものとは思わないが、結果として生活のリズムと合致し、生活に取り入れられて使用されているわけだ。それはこれまでの生活で必要な道具を電子化したにすぎないため、これらの受け入れは比較的容易だったかもしれない。それに対し、パソコンはこれまで生活の道具としては存在していないもののため、日常生活に受け入れられるに困難が伴う。パソコンが家庭で使用されるには、何らかの日常生活の道具の電子化というスタイルを取るのが最も有効だろう。比較的新しい電話やテレビは昔から存在するコミュニケーションメディアの電子化と考えられる。パソコンもその延長上にあると考えると、次世代の家庭用パソコンの姿が見えてくるかもしれない。できればそのパソコンも、冬にはコタツで使いたいものだ。

(秀)


第182話 〜2000/1/18〜

■いつから?

 フランス小噺にこんなネタがある。ある男が精神科を尋ねて来て、医者にこう言う。「先生、わたし犬になったようなんですけど」。外見は全くおかしくない。医者が尋ねる。「それはいつ頃からのことですか?」。すると、男は「子犬の頃からです」というオチである。先日、「笑う犬の冒険」を見ていたら、このネタをパクったコントをやっていた。ネプチューン原田が「ニワトリになった」と内村扮する医者の元に現れるのだが、予想通りの「ヒヨコ」というオチで、かなりがっかりしてしまった。

 さて、(秀)はいつから(秀)なのだろうか?。小学生の頃から、ひでちゃんと呼ばれていた。キャラクターもあまり変わっていない。同窓会で「この人、誰?」というタイプが居たりするが、私はその全く逆である。その当時から老けていたわけでもない。こんな席で久しぶりに会った友達に何と言うべきか困る時がある。「お前、変わったなあ!!」と言うと、相手の今か過去の人格を否定しているかのようで、例え、とびきりきれいになったからといって、そう易々と女性に向かって言える言葉ではない。「お前、変わらないなあ!」と言うと相手が成長していないようで、これまた失礼である。

 さて、人間はいつから人間なのだろうか?。ざっと200万年前とされている。この事実を知って、少年(秀)には新たな疑問が生じた。キャラクターのついでに、着眼点や発想も今とあまり変わらない。理科の時間に先生に聞いてみた。「先生、サルが進化して人間になることはあるんでしょうか?」。いつの日か、動物園のサルが人間になる日が来るのか心配になった。さすがの先生も即答はできず、調べてくれることになった。答えはノー。進化の過程でサルと人間が別れた時点でそれぞれは別の道を辿り、変わることはないという説明だった。

(秀)


第183話 〜2000/1/19〜

■こんなテレビを見ていた

  昭和40年代後半〜50年頃/日曜日

 「昔どんなテレビを見ていたかな?」と、昭和40年代後半から50年頃の番組を思い出してみることにした。最初は日曜日の午後から。

 「大正テレビ寄席」。大正製薬提供の演芸番組である。昔は結構露骨なスポンサーが多かった。幕間では司会の牧伸二が「あ〜あ、やんなっちゃった」とウクレレで歌ったり、バカボンパパのような格好で、オークション形式のバーゲンセールというのをやっていた。それが終わると、「グリコ がっちり買いましょう」。漫才の夢路いとし、喜味こいしの司会で、ゲームは「10万円、7万円、5万円、運命の分かれ道」という決まり文句で始まる。値札の付いていない商品を自分達で値段を予想し、制限枠で買い物をする単純なルールである。出場するのは3チームで制限枠は前半のゲームの出来で決められる。クリアすれば、選んだ商品が全て貰える。画面には実際の金額がテロップで表示されるため、画面に向かって、「(もう)買うな、買うな」と言いながら、見ていたようだ。

 それからしばらくして、「ヤングOH!OH!」へと流れ、いつのまにか夕方である。「笑点」が点いている場合はそれを見ていた。もちろん当時の司会者は三波伸介である。6時からは「いなかっぺ大将」、「ガッチャマン」が放送されていた。サザエさんを経ての7時からのフジテレビの枠は「マジンガーZ」シリーズが数年間占拠していた。一方、裏番組では日テレが「びっくり日本新記録」をやっていた。フジではその後、「ハウス名作劇場」であるが、その当時は「カルピス名作劇場」だったと思う。ちょうど、「アルプスの少女ハイジ」や「フランダースの犬」をやっていた頃である。ただ、名作劇場を見ることはなく、親の都合で「すばらしい世界旅行」を見ることが多かった。久米明氏の独特のナレーションと「この木なんの木」の歌が非常に印象深いが、こんな原住民の生活のどこが「すばらしい」んだ、といつも疑問に思っていた。同じくこの時間帯の裏に後に「クイズ ヒントでピント」というのが登場するが、この時期は同じ象印の提供でものまね番組をやっていた。「象印賞」という言葉はこの頃からあったわけだ。

 8時からはチャンネルを日テレ系に切替え、青春シリーズ。「われら青春」や「飛び出せ青春」を見る。昭和50年からは「俺たちの旅」の放送が始まっている。9時台はどうしても思い出せないが、「東芝日曜劇場」は不動である。10時を過ぎると眠くなって来るのだが、それでも「ラブラブショー」と「パンチDEデート」はなんとか見ていた。

 こうして見ると、昔はスポンサーの冠が付いた番組が多かったなあ。番組に冠までは付けなくても単独スポンサーのものが多く、その情報も番組とセットで記憶に刷り込まれている。最近ではサザエさんも東芝の単独スポンサーではなくなってしまった。今回は何のオチもない話で申し訳ない。

(秀)

参考サイト:
 
http://www1.freeweb.ne.jp/~ronron/tv.html 「新・テレビ探偵団」
  「ちょ〜番組表again!」は【こちら】

from.カバティ
from.美恵子さん
from.なぎさん

第184話 〜2000/1/20〜

■運命の人

 インターネットでは相変わらず、占いものが流行っている。しばらく前は「前世占い」や「あなたの値段」というやつで、最近は「動物占い」や「運命の人」というやつである。聞くところによると動物占いのバリエーションで、性格を家電商品に当てはめる占いも登場しているらしい。繰り返しになる(第163話「幸運のキーワード」参照)が、占いと性格判断は別物である。サイトに設けられた質問に答えることで、「あなたはこんな人です」とはじき出された内容は性格判断で、これは心理学と統計学によって得られた科学的な結果であるため、当たっていることがしばしばある。しかし、それだからと言って、それ以外の部分まで当たることはない。

 全体的にウケている、このような占いサイトには診断対象や方法の奇抜さと診断結果のナンセンスぶりが共通の特徴として見られる。「運命の人」では、これまで出会った、あるいはこれから出会う人数が男女それぞれの数で出力されるが、その根拠となる質問などありやしない。そして、人生の絶頂期が80歳頃というのが結構多い。これから出会う運命の人が今どこで何をしているかなど分かるはずないにも関わらず、あまりにもその結果がバカバカしいので、そのバカバカしさを見てやろう、というのが大半の動機であろう。それでいて、性格判断のところが当たっていたりするので、占いらしさ(性格判断は占いではないけど)が整っているように見える。私の周りには現在四国に住む8歳の女性に人生をメチャクチャにされるらしい人がいる。

 ここで一つ注意を。ある雑誌に書いてあったが、占いを悪用した宗教の勧誘などがあるらしい。「もっと詳しい占いを希望する人は...」といって、診断に必要というもっともらしい理由で、氏名や住所を入力させるサイトには注意した方が良いと思う。もちろん、全てがそうとは言えないが。

 さて、私の診断結果をお知らせしよう。人生の絶頂期は85歳。運命の人は女性で現在47歳。滋賀県に住んでいて、職業は記者。私の師匠になる人らしい。滋賀県あたりの地方紙で「秀コラム」の連載が始まるという予言なのだろうか?。それまでは頑張って書き続けることにしよう。私の運命の人、運命の出会いである2005年と言わず、心当たりの方は至急連絡されたし。

(秀)


第185話 〜2000/1/21〜

■受験シーズン到来

 いよいよ受験シーズンの到来である。金八先生でも先発の推薦入試が始まった。本稿とは直接関係ないが、178話で紹介した、金八先生の体罰に対する処分は生徒達や周りの好意的な大人達のお陰で謹慎1週間と減俸10分の1、1ヶ月という形で決着し、金八っあんは平常通り教壇に復帰している。やれやれである。それにしても受験生にとっては大事な時期である。

 自分の場合、大学まで田舎で過ごしていたが、自分が通っていた高校では東京の大学を目指す者が結構いた。暇と金を使って上京するからには何校もの梯子受験も当たり前のことで、2月となると教室に空席がちらほら出だし、卒業式当日も欠席者の数が目についた。聞いたところによると早稲田大学の受験日と重なっていたらしい。大隈重信候の出身地であるため、とりわけ早稲田大学への記念受験というのがあるようだ。「何故、東京の大学か?」。これには色々な理由があるだろうが、中には夏休みに友達の兄貴が土産に持ち帰って来た、「オールナイトフジ」が録画されたビデオに感化され、上京を決心した者もいる。オールナイトフジは関東ローカルであった。とにかく、うまく東京の大学に受かった者は大学デビューを果たしたことだろう。

 しかし、田舎者にとって東京での受験というのはかなりのハンディキャップを覚悟せねばならない。そもそも乾燥しきったホテルでの数日間の暮らしが体に良くない。そして、都会に来ているという興奮で、浮き足立ってしまうことも十分考えられる。気持ちは既に東京ディズニーランドかもしれない。そして極めつけは交通手段。下見をしていたにしても、中央線のようにクリティカルな線がある。それにこの季節は雪のリスクも考えておかなければならない。電車が止まったり遅れたりした場合の影響は地元の人でも条件は一緒と思えるかもしれないが、「振替輸送」という事態を想定すれば、やはり地元有利は不動である。駅の放送で「○○線は電車止まっています。このため、□□線への振替輸送を実施しています」と流れた際に、その影響は大きく異なる。

 どうか受験生にはがんばってもらいたい。特に地方から上京して受験する者達に。と言っても、当人はこんなコラムを読んでいる時期ではないだろうけど。

(秀)


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