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中学校で習った、数学の話を思い出してみよう。私が習ったのは中一の3学期であったが、今はどうなのだろうか?。「代表値」という単元である。ある数字の母集団を代表する値の考え方である。平均値というのが考えの上では最も合理的かもしれないが、実際に平均値を求めることは簡単でない場合が多い。
わざと、背の高い生徒に先生が尋ねる。「あなたは『背の高い人集まれ』と言われたら、集まりますか?」と。その生徒は「集まります」と答えた。先生は質問を変える。「あなたはクラスの身長の平均値を知っていますか?。どうして、高いと分かるのですか?」。「背の順で並んで後ろの方だからです」と、生徒は答えた。母集団のちょうど真ん中の数字をその母集団の代表値とするものである。この値のことをメジアンと言う。
そして、もう1つの代表値として用いられるのがモードというものである。「自分が小遣いの値上げを親に要求する時、あなたはどう言いますか?。平均がいくらではなく、『誰でも○○円、もらっている』と言うでしょう」。先生はそう説明した。母集団の中で最も度数の多いものをその母集団の代表値とするのがモードである。
ここまではあくまでも数学上の話。実生活では平均値よりもメジアンやモードを代表値として使用していることが多いことに気が付く。数学以外でも「誰でも○○」というのは日常的に使用している。しかし、この「誰でも○○」というのは結構厄介である。悪いことも横並び、善悪の判断が希薄化してしまい、その言い訳に使われる。良いことの横並びなど残念ながら見たことも聞いたこともない。ガングロ、メッシュ、厚底靴。最初始めるときに彼女達は「みんなやってるから」と言ったに違いない。ブランド品に群がる、「みんな持っているから」という心理。本当に大多数がそうであるかの疑問の奥で、多数派が本当に正しいのか、という疑問もある。
と、ここまで書いて「徳島河口堰住民投票」の結果を知らせるニュースが飛び込んできた。この話題にも触れたいので、このコラムは明日に続く。
(秀)
前話の締めをどうしようかと思慮している時に、徳島市で行われた、「吉野川稼動堰住民投票」の結果を知らせるニュースが飛び込んできた。そもそも投票数が50%に満たなかった場合は、住民投票を無効とする限定付きの投票だったようだ。結果、投票数は約55%に達し、開票の結果は反対票が90%を占めるに至った。投票率が50%を越えた場合は反対派の勝利が予見されており、問題は投票率だというのがおおかたの見方であった。
さて、ここからが秀コラム的分析である。まず、反対票が投票数の中の圧倒的多数であるのは紛れもない事実であるが、市民の90%が反対を表明したわけではない。賛成派はそもそも勝負に勝てないと判断して棄権を選んだのである。このことは新聞でもフォローしてあり、「反対票は全有権者のほぼ半数」と紹介している。面白いのはこれをまた逆説的に考えることである。賛成票は9,367票であった。これと無効票(1,870票)を足した数を投票数から引いてみよう。もう分かった人がいるかもしれないが、反対の票数が全体の過半数に達していないと言うことは、賛成に票を投じた人やわざわざ投票に行って白票を投じた人々が投票に行かなかったならば、この投票は不成立で、実質賛成派の勝利となっていたということである。地元の人々はこんな計算もやるだろうが、新聞やニュースではここまで伝わって来ない。変な話であるが、賛成派は「もっと熱心にボイコットしておけば」と、さぞ、悔しがったことだろう。
そもそも投票率が50%に満たないと開票しないというルール自体が卑怯であるが、ことあるごとに法的拘束力のない住民投票を行うのはいかがなものかと思う。本来その様な住民の意志は選挙で示すもので、住民投票で決めるようなら政治家はいらないし、政治家の責任がますます曖昧になってしまう。そして、選んだ側も無責任と言える。「首相公選制」というのは確かに聞えは良いが、その後の政情を思えば甚だ不安である。今回の例では反対派は議会の解散と市長のリコールというのが民主主義の手続きとしてはもっとも正当な手法だったと思う。開票後の記者会見で市長が「市民の意思として、反対」を表明したが、建設省からの天下り市長が選挙で支持してくれていた賛成派を裏切ったわけで、かと言って反対派が今後この市長を支持するのかは疑問である。結局、一番の痛手を負ったのは政治生命を断たれた、この市長だったかもしれない。この市長も選挙で選ばれたからには、かつては多数派であったはずだ。正しいことが数の論理でそう簡単に変わるものかと不思議でたまらない。本質はもっと根深いのだろう。きっと。
(秀)
【おことわり】
私は吉野川稼働堰の是非について述べるほど、事態が理解できていません。市民
活動をはじめ、地元でどのような活動が行われていたかも把握しておりません。
本稿はマスコミで伝えられている範囲の情報を元に書いています。
朝、会社の通用口のところで労働組合がビラを巻いていた。また例年の如く、賃上げ交渉の時期がやってきたわけである。やっている当事者は非常に一生懸命であるが、一般社員はどこか冷めている。このような経済状況でも幸運にも危機感を感じることなく日々過ごしているわけで、どこかで、今の政治に対する無関心状態の延長のような気がする。さすがに今年の賃上げやボーナス交渉にはあまり期待している人も少なく、やや諦め感もある。これも政治への不信感や無関心と共通している。
ところで学校の多くにはPTAという組織がある。小学生の時は授業参観=PTAと思っていたが、正しくは授業参観というのはその後の会議への参加を促進させるエサでしかなかった。PTA(Parents & Teachers Association)の構成要素はその名の通り、父母と教員である。会の目的は「子供達の幸福のために教育環境等の整備のために活動すること」である。ここまでは非常に分かり易い。しかし、具体的な数値目標や活動の対象が曖昧なのである。例えば会社であれば「利潤の追求」が最優先で、そのために予算があり、競合他社としのぎを削るのである。一方、PTAはどうだろうか。数値目標などそもそも設定出来ない。隣の小学校と戦うようなこともない。任意団体として似たような性格かなと思って比較してみたが、労働組合には団体交渉権があり、経営陣とわたりあう機会があるが、PTAは校長や教頭も構成員であるため、対学校との団交もないし、校長を飛び越えての教育委員会との交渉も保障されていない。
それよりも何よりも最大の謎はこんな私が現在、小学校のPTA副会長をやっていることだろう。私の使命はただ1つ。何かと「教育上、良くない」と言って、「8時だヨ!全員集合」のような娯楽番組を俗悪番組に指定したり、仮面ライダースナックを生産中止に追い込むような、おばさん達と戦うことであった。幸か不幸か今のところ、そんな出番はない。
(秀)
それは、'76、77年頃の話だったと思う。テレビで軽快なステップを踏む黒人の少年が現れた。クラリオンという音響メーカーのCMに出ていた彼、エマニエル坊やの人気はCMが流れるや爆発し、母親とともに来日して、数本のテレビに出る一方で、「リンリン、電話がほにゃららー(「ほにゃららー」の部分は筆者の失念によるものではなく、著作権の関係でごまかしている)」と日本語で「シティコネクション」という曲を出すまでのブームとなった。彼のいでたちはオーバーオールにスタジアムジャンバー、頭のキャップはひさしを上に曲げてかぶるのがおきまりであった。愛くるしいドングリ眼(まなこ)も重要なキーポイントの1つとして忘れることができない。
その後、彼をめぐって、「注射で成長を止めている」や「今も小さいままである」などという、色々な噂が出まわった。そして、ブームが下火になってからだと思うが、友達が私にエマニエル坊やのジグソーパズルをくれた。何故くれたのか、何故もらったのか(私はジグソーパズルはやらない)は分からないがくれた相手が吉田君だったのははっきり覚えている。箱の横には彼の身長、体重、生年月日などのプロフィールが印刷されていた。詳細は覚えていないが、彼は'70年頃の生まれだったと思う。
彼ももう年の頃は30歳になるはずだ。ちょっと前になるが、「あの人は今」のような番組で、彼はアメリカで実業家になったと近況を報じていた。たいそうなお金持ちだろう。カーワックス会社の社長として働いている彼の姿がテレビに映し出されると、あの当時よりは大きくなってはいるだろうが、やはり背は小さいままで、ドングリ眼も昔のままだった。さすがに、顔は老けて坊やと呼ぶにはやや違和感のある風貌であった。
かつてのブーム当時は彼もこのようにもてはやされたが、人種問題がシビアになり、「サンボ」の本が街角から消えた今日、彼をテレビに出して面白がることなど到底許されないことだろう。「ブラックユーモア」と言っても洒落にならないだろう。そういう意味で彼は時代の産物であった。
(秀)
世紀末、もとい聖飢魔
社外の人とのメールのやり取りで、「ところで、....」、なんて書き出しで仕事に関係ないことを書き始めたり、もらったりすることで、その人の普段とは別の一面を発見するようなことがある。ある人には名刺交換をした翌日から、いきなり「秀コラム」が送り届けられたりする。しかも毎日。そんなある日、その彼女のメールには「聖飢魔
そしてまたある日、その信者さんから「SkyPerfecTV!に入っていますか?」という質問メールがやってきた(誤解なきように付け加えるが、こんなメールのやり取りばかりをしているわけではない)。聖飢魔
年が明け、ビデオテープを送るとお礼のメールがやってきた。その中には「テープ代はいくらですか?」と書かれていた。また、「永久保存版にして、大事にします」とも書かれていたので、「テープ代は結構です。いりません」と打って、「嫁入り道具にして下さい」と打った。仕上げは「ご祝儀前払い」と。しばらくすると、そのまたお礼にあわせて「嫁入り道具に持って行きますが、まだあてがありません」と記されていた。洒落です、洒落。
(ひで〜もん)
from.恩ちゃん
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