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第196話 〜2000/2/7〜

■祝辞 〜披露宴にて

 丈士君、典子さん、ご両家、ご親族の皆様、本日はおめでとうございます。
 新郎の丈士君とは約4年間。今の部署ができたときからのつきあいですが......
 <中略>

 今日は私事も交えながら、お祝いに言葉を述べたいと思います。ドラマなどを見ていると、主人公などに感情移入してしまうことがあります。私はもちろん、新郎と年が近いわけですが、この様な披露宴になると私は新婦のお父さんが気になります。実は私にも娘がおりまして、かと言って、今日明日に嫁に行くような年ではありませんが、15年後だろうか、20年後だろうか、いざ娘のときとなると自分も泣いてしまうのかな?。と思って胸がキュンとなったりします。

 さて、先程から二人は多くの方々から、「おめでとう」と祝福され、その度毎に「ありがとうございます」と返していますが、ここでこの「おめでとう」と「ありがとう」について考えてみたいと思います。日常の身のまわりにもおめでたいことは色々とありますが、私は誕生日が本当にめでたいのか疑問に思ったことがあります。生まれたときは確かにめでたいです。しかし、毎年ただ同じ日であるだけでプレゼントをあげたり、もらったりすることが必要かと思ったわけです。我が家では誕生日はちょっと違った意味の日にしようと思っています。まずは、母親に「産んでくれて、ありがとう」と感謝する日です。主役は誕生日を迎えた本人ではなく、母親なわけです。そして、育ててくれたお父さん、お母さんに感謝する日です。

 本当に今日はお二人にとって、この上なくめでたいのは間違いありません。しかし、今日の晴れの日を迎えたのは、自分の力や働きのみによって得られたものではありません。結婚相手は「自分で探した」と言うかもしれませんが、この日を迎えるために、ご両親や親戚の方、また今日会場に来て祝ってくれている皆さん。もちろんこれには私も含まれます。二人の幸せをまるで我がことのように祝って喜んでくれる、この方々への感謝の気持ちを決して忘れないで下さい。この人達のおかげでめでたい自分達がいるんだ、ということです。

 そして、もっと大切なことは自分達が今日めでたい日を迎える上で最も大切な人、それは、丈士君は典子さん、典子さんは丈士君、それぞれお互いに感謝する気持ちをこれからもずーっと忘れないことが重要だと思います。どうかこの気持ちを忘れずに、末永くお幸せに。ご静聴ありがとうございました。

 〜後輩の結婚披露宴用スピーチ予定原稿より

(秀)

2/12の本番を経て、加筆修正しました。
本番は食事開始直後だったため、みんな食べることに精一杯で、誰も聞いちゃいやしない。 トホホ。

from.Miyoさん

第197話 〜2000/2/8〜

■「8時だヨ!全員集合」の記憶

 ザ・ドリフターズが最近ブームになっている、という話を聞いた。どうも自分には実感出来ない。なにやら、昔のビデオのギャグが若者に受けているらしい。中には「あれ?。志村けんがいない」、「この人(荒井注のことね)、誰?」と言う人までいるらしい。このコラムの読者の中にも、そこまではいかなくても、その当時をリアルタイムに体験していない人がいるかもしれない。実は加藤茶がメンバーに入る前から、いや、いかりや長介がリーダーになる前からザ・ドリフターズは存在した。そして、、いかりやを除いた他のメンバーが最初からドリフターズではなかったことを私も最近知った。

 本屋で「8時だヨ!全員集合 伝説」という本があったので、買い求めた。当時のプロデューサーが書いたもので、私はこの本であることを確認しようと思ったのが購入の動機である。そのあることの1つ目は「8時だヨ!全員集合」が一旦終わり、この間にクレイジーキャッツが「8時だヨ!出発進行」という番組をやっていたが、これがいつ頃のことで、その間がどれぐらいであったかを確認したかったのである。意外とこの事実を知る人は少ないかもしれない。キャリアの面で言えば、ドリフターズは同じ渡辺プロダクションのクレイジーキャッツの弟分にあたる。映画では「無責任シリーズ」から一連の作品全30作。テレビでは「おとなの漫画」から「植木等ショー」(この辺はさすがに見ていない)や「シャボン玉ホリデー」と、クレイジーキャッツが当世きってのコメディアンであったことは間違いない。しかし、「全員集合」を始めてのドリフターズはクレイジーキャッツをしのいで、まだおつりが来るほどの勢いであった。

 ここで、資料を元にちょっと整理してみよう。まず、「全員集合」の放送開始は昭和44年のことで、番組終了は昭和60年のことであった。放送回数は803回。当初はコント55号(フジテレビ「世界は笑う!」)がライバルであったが、これを撃ち負かし、欽ドンの攻撃にも耐えたが、ひょうきん族にやられた、といった感じの歴史である。気になる「出発進行」は昭和46年の4月から半年間放送されたことが確認出来た。正直、「出発進行」は子供にはよく分からない内容だった。中身もよく覚えていない。この間、ドリフは日曜日の日本テレビで「日曜日だヨ!ドリフターズ!!」という番組をやっていたようだが、あいにく私の記憶にはとどまっていない。

 そして、調べたかったことの2点目は「ジャンボマックス」が出ていたのがいつ頃だったかということであった。身長3メートルのハリボテ人形の彼はコーナーのオチの時などにステージのそでから出て来て愛敬を振りまいていた。私の記憶では昭和51、52年のことだと記憶している。調べた結果は不明。この本にもあいにく記述がなかった。継続して調べることにして、今回書けなかった話題とともに、「全員集合」ネタをまた書くとしよう。

 ババンバ、バンバンバン。「コラム読めよ。また明日」。

(秀)

参考書籍:「8時だヨ!全員集合 伝説」居作昌果:著 (株)双葉社
ドリフ関連Web:
 
我が青春のドリフターズ
 ザ・ドリフターズ


第198話 〜2000/2/9〜

■学級閉鎖

 我が家にもインフルエンザがやって来た。先日自分が「インフルエンザだ」と騒いでいたのは今思えば単なる風邪に過ぎなかったようだ。前日まで元気だった長男もその日、「学級閉鎖のお知らせ」という学校からのプリントを手土産に家に帰りつくや寝込んでしまったらしい。掛かりつけの医者に連れて行くと、「学級閉鎖はボクのクラスだったか?。学級閉鎖は私が決めたんです」と先生が言ったそうだ。プリントに書いてあった「校医の先生と相談して...」ということらしい。たまたま、インフルエンザワクチンが入荷した直後だったようで、「良かったね、今日で」と、慰めにもならない言葉を掛けてもらったらしい。

 昔はピークになる前に年に2回、インフルエンザ予防接種が行われるのが決りごとだったが、最近はそうでないらしい。体育館に集められて、問診、接種と列をなすのであるが、「あっ、太郎ちゃんのお父さんだ(お医者さんなのです)」と声があがったり、「校医(太郎ちゃんのお父さんは違います)はやぶ医者」、「さっき右の列の子が泣いていた」などと噂が飛び交う。その後の体育の時間が読書の時間になったり、「今日はお風呂に入れません」と先生が説明したりする。

 いったいクラスの何人が休めば学級閉鎖となるのか詳しい基準は知らないが、子供達の中では10人という説が信じられていた。朝、欠席予定者の票読みが行われる。いつも一緒に登校する○○君が今日は休むとか、昨日休んだ□□君は今日も来ないだろう、と。そして、チャイムが鳴った。空席を数えるとちょうど10人である。こんな時に限って先生の来るのが遅いのも「学級閉鎖にするかどうかを、決めてんだよ」と解釈する始末。そんなとき教室の戸がガラガラと開いた。慌てて席に着く横目で見たのは、マスクをし、マフラーをグルグル巻きにして現れた、クラスメイトだった。緊張が解けるとともに、彼への攻撃が始まる。「帰れ、帰れ。お前が休めば学級閉鎖だから」。なんとも子供は正直かつ残酷なのである。

 そんな中、先生が現れ、隣のクラスが即日学級閉鎖となって、慌ただしく下校していく騒ぎの中、自分のクラスではいつものように国語の授業が始まった。給食も良いけど、やはり隣のクラスがうらやましい。

(秀)


第199話 〜2000/2/10〜

■「なんだ、バカヤロー」 〜追悼

 「元ドリフターズの荒井注さん急死」。このショッキングなニュースに接したのは9日の昼休み、ZAKZAKのWebを見た時だった。「なんだ、バカヤロー」、「ジス・イズ・ア・ペン」。文字で書いてしまうとどこがおかしいのか、ちょっと変な気分であるが、これらは彼を語る上で重要なキーワードである。お笑い芸人の悲しいところは追悼番組でも、在りし日のお笑いのシーンが流されることだろう。しかし、そこまでも芸人なのかもしれない。197話に「『8時だヨ!全員集合』の記憶」を書いた直後のことだったので、私にとってその驚きは非常に大きかった。急に恐くなって、クレイジーキャッツネタや森繁ネタが書けなくなってしまった。

 まだ読み終えていない、「8時だヨ!全員集合 伝説」をめくってみた。そもそも彼らドリフターズはジャズバンドであった。彼のパートはピアノである。意外にもドリフターズに参加したのは一番後だった(志村けんを除く)。彼のドリフ脱退の理由は「激しい動きについていけない」からと言われている。昭和49年、齢45歳の時だ。この脱退をめぐっては少なからずメンバーや事務所との確執があったらしい。しかし、「全員集合」の最終回(昭和60年9月28日)の放送には、ステージにメンバーと並ぶ彼の姿があった。メンバーと違うスーツ姿でどこかよそよそしく、どこか照れた感じで、いかりや長介の横に立つ彼の表情が、一緒に並ぶメンバーの表情が、何ともすがすがしくて、良い感じなのである。その時の写真を先頃ある雑誌で見つけてそう思った。そして、今年の年初のフジカラーのCMには今のドリフのメンバーと一緒に彼も七福神の毘沙門天として参加していて、驚かされた。

 71歳。ショックで悲しさは尽きないが、「元ドリフターズ」という肩書きがさらに悲しい。そんな肩書きなんか彼には不要だ。彼はそのまま、荒井注(さん)で良い。ご冥福をお祈りします。合掌。

(秀)

追伸: 「クビチョンパ」って、覚えてる?。注さんのはレアかもね。

参考書籍:「8時だヨ!全員集合 伝説」居作昌果:著 (株)双葉社
ドリフ関連Web:
 
我が青春のドリフターズ
 ザ・ドリフターズ


第200話 〜2000/2/14〜

■秘密

 「秀コラム」もこれで200話に達した。別にこれで収入を得ているわけでもなく、さぼったところで誰かに迷惑をかけるでもないことを、日に日に続けて来れたのは単に私の一人よがりの結果かもしれない。しかし、せっかく書くからには人に読んでもらいたいと思っているため、読者数や読者からのメールが励みになっているのは事実である。読者諸氏には改めて感謝申し上げたい。

 さて、読者からのメールによく書いてあることで、「毎日書くには大変でしょう」というのがある。大きく2つの意味だろう。1つは文章を書くこと自体。そしてもう1つは、「書くネタがよくあるなあ?」、ということだと思う。ちなみに私は普通の会社員である。原稿は主に前日の帰りの電車の中で書いている。逆に机にむかってからでは調子が乗らない。このため、電車に乗らない週末明けの原稿には難儀している。金曜日の帰りに書けば良いようなものだが、このときはしばしの解放感を味わう時間としている。書くネタに困ることはあまりないが、書き出した文章が二転三転した挙げ句、支離滅裂な内容となって最後は放り出してしまうことがあり、これが一番辛い。実際、書き始める時には書き出しとオチの構成は決まっているのだが、それが不十分なときに書き始めるとこんな目にあってしまう。

 世の中には「公然の秘密」という言葉がある。一見矛盾した言葉のようだが、例を挙げるとなると枚挙にいとまがない。実は「秀コラム」がそうなのである。別に私が有名人で匿名で書いているというものではない。毎日こうしてコラムを書いていること、それをホームページやメルマガで公開していること、これらが家人への秘密となっている。かつて社用でコラムを書いていた時は入稿前にその出来栄えを評価してもらったりもしたが、次第に「家族をネタにするのはやめてくれ」、「次は何書くの」と言い始めて来た。「秀コラム」は社用では絶対書くことの出来ない、自分の好きなテーマで自分の好き勝手なことを書きたくて始めた。そして、それは身近な人間にも侵されたくないため、「秘密」でスタートすることにした。

 実は毎日書くことよりもネタを探すことよりもこの秘密を守り通すことが最も大変なことである。ある日突然、「秀コラム」が終わったとすると、それは書くネタに困ったからではなく、急に本業の方が忙しくなったか、いや、それ以上に秘密が家人にバレたからというのが理由としてはあり得そうな気がする。例え理解が得られたとしても、それが家人に読まれていると思うと恥ずかしいし、本当に書きたいことが書けなくなっては、それは直接的に私の執筆意欲に影響してしまう。みなさんは秘密の共有者である。今後も「秀コラム」が継続出来ること、すなわち私の秘密が家人にバレないことを祈って欲しい。

(秀)

from.Miekoさん
from.Miyoさん

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