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じゃんけんの出目を数学的に考えればそれぞれが、33.3%ということになるが、実際にはそうきっちりと1/3にならないことが多い気がする。数学的に33.3%であっても心理学的な要素が加わると、その出目が多少変化することも有り得るかもしれない。ある人がこんな話をしてくれた。「じゃんけんに勝つコツがある」と。その人のじゃんけんの理論は「最初の一手にグーを出す人が多い」というものである。なぜなら、「パーはあまりにも無防備すぎ、かと言って、チョキはとっさに出すには形が複雑」だかららしい。よって、一手目にグーを出す人が多く、それを狙ってパーを出すと33.3%を上回る確率で勝てるらしい。
確かにその人は飲み会の後のおつり争奪じゃんけん大会などでもめっぽう強かった。特に初対面同士やあまり親しくないもの同士だと、この理論がよくあてはまり、勝率も上がるそうだ。私も何度か意識して、じゃんけんの出目を調べたことがあるが、一手目は言われてみれば、グーが最も多く、チョキが少数だったことを記憶している。しかし、この理論も一手目で決着がつかない場合や大勢で一斉にじゃんけんする場合は効果が小さくなる。だったら、それは理論と呼んではいけないかもしれないが。
しかし、この理論を無力化するおまじないが存在することに私は気がついた。それは、「最初はグー」というおまじないである。一般的にこの掛け声は参加者同士がタイミングを合わせるために使用しているようだ。しかし、私の考えによるとこれは単にそれだけにとどまらず、一手目にグー以外の拳を出させるために、じゃんけんの神様がしくんだ動作のような気がする。「最初はグー」と来ると、その直後の勝負一手目にパーやチョキも出し易いし、かえってグーの二連発に抵抗を感じる人もいるかもしれない。じゃんけんの神様は常に勝率が平等であることを願って、こんなおまじないを我々に与えたと思う。
(秀)
from.莉香さん
佐野元春の曲の中に「ガラスのジェネレーション」という曲があるが、この歌詞で意味が今になってもどうも理解出来ない部分がある。冒頭、「ガラスのジェネレーション」で始まり、その後に「さよならレボリューション」という歌詞が出て来る。ガラスのジェネレーションというのは彼やそれよりも若い世代を指しているのだろうが、その世代が変革を放棄し、保守的になったことを歌っているのか?。平和な時代が訪れたことを喜ぶには、時期も日本という環境にも馴染んでない。歌詞の続きは結局、恋の歌である。ビートルズの「レボリューション」という曲に対するメッセージなのだろうか?。気持ち悪いまま、十余年になる。
世間では易々と「革命」という言葉を使用しているが、大きな変化や変革の大きなものを革命と呼ぶのはその概念を正しく理解していないためであろう。それは、革命とクーデターの違いを考えると分かり易い。まず、クーデターは社会的な体制が変わることなく、支配者がその階級の中で武力等で交代することを指す。それに対し、革命は被支配者層が支配者層を駆逐し、力関係が逆転することである。要は支配されていた者達と支配していた者達の立場が逆転することを革命と言うのだ。学校で習った、市民革命などもまさにそうである。
一方、産業革命を簡単に表現すると、「手から機械への生産手段の移行」と言える。これまで、職人により支配されていた生産活動が熟練を要せず広く普及したことである。しかし、革命の概念を考えるとき、うがった見方をすれば、それは人間が道具を支配していたが、道具が機械となった途端に人間がそれらに支配されるようになったことを革命と呼んでいるような気がする。インターネットが第二の(第三次と言う人もいるが)産業革命などと言われているが、「インターネット革命」とは人間がインターネットに支配されることを言っているのかもしれない。
(秀)
バナナが病気の時にしか食べられない、という時代が30年ばかり前にはあった(らしい)。かと言って、イチゴやメロンを普段に食べていたわけでなく、果物自体がありがたい時代だったのである。ところで、皆さんはフルーツでは何が好きだろうか?。私はパイナップルと答える。メロンはきゅうりに砂糖を掛けて食べているような気がして、ありがたみを感じない。スイカも昔は随分、そう、カブトムシの如く食べていた記憶があるが、今はそんなことはない。
パイナップルは果物の王様である。理由は、「頭に王冠を載せているから」。そんなことを話したら、子供達に笑われてしまった。私はいまだに少年の心を持ち合わせているのだろうか?。それとも、ガキなのだろうか?。少年とガキ、同じようなことを言っているようだが、この差は結構大きい。しかし、子供の頃からそう思っているから、いずれでも良いのだ。それこそパイナップルとなると当時はバナナなんかよりもずっと珍しく、缶詰の外装にある印刷でしかその全体像を拝むことはなかった。それも分からない英語だらけのどこか異国情緒の輸入缶だったりして。初めて王冠を付けたその王様が我が家に現れたのは兄が修学旅行の土産として宮崎か鹿児島で買って来たものだった。母親もどう切りさばいて良いのか分からず、スイカのような切り方で食べたような気がする。
スーパーなどで売られているキャンディーに「パインアメ」というのがある。これを製造、販売している会社の名前が凄い。ズバリ!、「パイン株式会社」(他にも子供向けの商品を作っているようだが)。果汁も入って、形は律義に輪切りになったパインの形をしている。ずいぶん昔、子供の頃にも食べたような気がして、なつかしがりながら、「やはり、王様」と、少年のような気持ちになれる。
(秀)
※「パインアメ」の写真は例の如く、「激写王」のコーナーで公開中。
from.美恵子さん
「秀コラム」の目標に「いつか本にする」というのがある。ホームページやメールという手軽に公開出来て、多くの人に読んでもらえる手段がありながら、どうして出版にこだわるかと思う人もいるかもしれない。確かに本にしたところで、「金を出してまで読みたいか?」、「一度読んだものを本にしたところで、読み直したいか?」、という疑問の前に、その印刷冊数はメルマガを購読してくれている読者数やWebにアクセスしてくれている人数よりも少なくならざるを得ない。それでも私が本にこだわるのは、いつでも、どこでもという紙媒体の強みやインターネットを利用していない人にも読んでもらいたいという気持ち。それとなりより、あまたあるホームページやメルマガでリンクを紹介して、それにコメントを加えるだけの一過性のコンテンツとの差別化である。
今回は自費出版に向けての進捗状況を伝えよう。まず、原稿であるが、1話あたりの文量がだいたい原稿用紙2枚(400字×2枚)である。これが200話分として原稿用紙400枚になる。よくもまあ、こんなに書いたなあ、と思いながら、これをWebから読もうというのは相当辛いことだと改めて思う。本の体裁は文庫本と決めている。ハードカバーではコストが掛かり過ぎるし、私自身ハードカバーを通勤途中に読むのには難儀しているので、「どこでも」という媒体の強みはやはり、文庫本に尽きると思う。インターネットで「自費出版」というキーワードで検索をしてみた。
いきなり最初は同人誌を自費出版しているサークルのページも引っ掛かったので、「印刷」というキーワードを加えてさらに検索を行った。結構な数が検索出来、手当たり次第に料金表を掲示しているようなところをクリックした。自費出版の多くが俳句集や写真集、自分史の類のようで、原稿400枚で文庫本というサンプル例はどこにもない。それにしても、どこも思ったより遥かに高かった。同人誌を印刷しているところも見てみたが、確かに全体的に安く感じるが、ここにも400枚で文庫本というサンプルはなく、果たしていくらぐらい掛かるのか、なかなか見当がつかない。同人誌みたいにB5版の20ページというわけにはいかないだろうし。そんな中でWebで見積りを受け付けているところのいくつかに見積りをメールで依頼してみた。
今現在、見積りのメールが来たのは講談社のみである。「秘密」(第200話参照)のために住所や電話番号を入力しなかったためだろうか。実のところ、どこに頼んだかもはっきり覚えていない。講談社からのメールによると原稿400枚は文庫本で約272ページになるらしい。文庫本としては丁度良いぐらいの厚さなる。気になるお値段は100冊でざっと130万円(税込み)。1冊当たり何と1万3千円である。いきなり、椅子からずり落ちそうになった。私の希望値は1冊千円である。「秀コラム」のWebも見てもらっていて、「よくできたホームページですね。文章も毎日のように入れられているのには感心いたしました。これでは本にすることはないのではと思いました」とも書かれていた。誉めてもらったので、ここは素直に胸でも張って喜べば良いのだろうが、私なりにこれを深読みすると、「130万円も掛けて本にする程のものではありません」とも読めた。恐るべき講談社出版センター。
と、ここまでの話では自費出版など到底無理な雰囲気であるが、サラリーマンを10年もやっていると印刷会社の幾つかにつてはある。そこに起死回生の願いを掛けるとしよう。「星君、このコラムを読んでいたら、先日メールで依頼した見積りに対して、至急回答を返すように」。
(秀)
from.くどりん
金八先生がエンディングに向けて、急展開を見せた。まず、前々回の放送で、生徒とのトラブルでケガを負い入院していた、桜中学元校長の大西さんが肺炎を患い、死亡した。そして、前回の放送では、仮面優等生であった「兼末健次郎」が母親をナイフで刺して、警察に捕まってしまった。
彼の家庭環境は非常に複雑である。彼にはノイローゼ気味で引きこもりの症状を持つ、兄雄一郎がいる。父親は仕事優先で、雄一郎を避けている。母親は雄一郎の今の状況に対し、精神的に安定した状態にはない。そして、子供に過干渉である。家族はかつて優等生だった雄一郎のひきこもりを隠すために周りには「アメリカに留学している」などと繕っていた。まさに絵に描いたような家庭崩壊の環境と言える。健次郎が様々なトラブルを引き起こすのも、そんな家庭環境が原因だと、金八は気づいている。
雄一郎がノイローゼ気味になったのも母親の過干渉が原因のようだ。雄一郎はこんな母親に反発して家を出ようとしたが、それを止めようとする母親とトラブルになり、雄一郎はナイフを取り出す。そこに健次郎が仲に入り、二人を止めようとするが、雄一郎のナイフを奪った母親は雄一郎に対し、「お母さんと一緒に死んで」と話す。健次郎は母親からナイフを取り上げようとして、三人がもみ合った挙げ句、三人は床に倒れ、健次郎が柄をつかんだナイフが母親に刺さってしまった。
母親は救急車で病院に運ばれ、命は助かったが、健次郎は、全ての責任を自分とした書き置きを残して姿を消した雄一郎が自殺しはしないかと心配し、彼を探し回る。一方、救急車からの連絡で警察が傷害事件として動き出し、健次郎は容疑者として追われる。雄一郎と健次郎はかつてよく遊んだ水門の制御室で会い、警察に発見された。そこに金八っあんの登場である。健次郎を迎えに行った金八っあんは「助けてあげられなく、ごめんな」と彼にわびて、彼を背負い水門の制御室から階段を下りてくる。もちろん、お互いは泣いている。金八っあんもパトカーに乗せられた健次郎を一旦は見送るが、大森巡査の自転車を借りて、そのパトカーを追いかけるところで番組は終わった。
次週の番組の予告で金八っあんは健次郎の不幸を喜ぶ生徒たちに訴えていた。「悪はどこにありますか?。あなた方の心の中にあるんです」と。いつもながら、金八さんの泣くシーンには心が締めつけられる。放送回数は最終回も含め、あと3回。感動の卒業式はどんな形でやってくるのだろうか?。
(秀)
参考サイト:「3年B組 金八先生」のホームページ
http://www.tbs.co.jp/kinpachi/
| 関連コラム: | 第124話「金八先生の苦悩」 | 第141話「レフリー」 | 第178話「金八先生の危機」 |
from.Miyoさん
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