\  \ 

第241話 〜2000/4/12〜

■ライオンワオワオショー

 田舎に住んでいると、芸能人に会うことなどまずない。耳鼻科の待合室で菅井きんが隣に座って来ることも(田園調布にて)、牧伸二の奥さんが近くのクリーニング屋にやって来ることもない(別に、奥さんは有名人でないけどね)。歌手のコンサートとなると、街中にポスターやステ看が現れ、街宣車が街に繰り出す始末。演歌歌手の営業となると、テレビでスポットCMが流れることもある。前回帰省したときには美川憲一のディナーショーというのが流れていた。静止画の金を掛けないトホホな内容だった。田舎で育つ最大の不幸はこれらを普通のことだと思ってしまうことである。地方紙に載っていることがこの世の全てだと錯覚してしまうことである。

 コンサートに来る歌手もご想像の通りである。全国ツアー50ヶ所。こんな感じの大ツアーでなければやって来ない。売れない頃は来てたのに、化けた途端に来なくなった歌手は限りない。そんなわけで、私が芸能人を初めて見たのは、「ライオンワオワオショー」であった。ふざけた名前であるが、確かこんな名前だったと思う。ライオン提供の歌手を呼んでのイベントである。私の住む街までやって来たところからすると、きっと全国規模で巡回しながら開催していたのだろう。洗剤とか歯磨きとかを買って応募するのか知らないが、姉がそのチケットを入手して、連れて行ってくれた。姉と言っても私とは11才も離れている。当時私は5才くらいだったと思う。小さくてチケットがいらないから連れて行ってくれたのかもしれない。

 ワオワオショーは試供品の配布で始まった。いかにも販促イベントらしい。そして、いよいよ歌手の登場である。しかし、この部分の記憶がはっきりしない。唯一覚えているのは、にしきのあきらがいたことである。オールスター運動会では大活躍で、その当時はまさにスターだった。彼は「空に太陽がある限り」を歌った。

(秀)


第242話 〜2000/4/13〜

■訂正人語

 誤字ではない。これは本のタイトルである。そもそもは想像の通り、朝日新聞の「天声人語」に対する洒落である。これは、新聞や雑誌の訂正記事だけを集めて本にしたものである。「噂の眞相 編集部」の発行とあって、B級路線と言うか、サブカルチャーの匂いであふれている。

 マスコミが日々たれ流している情報量は膨大であるため、その中に多少の間違いが含まれているのは、それ程驚くべきことではないし、笑える度合も大したものでない。しかし、この本のようにその部分だけを寄せ集め、しかもその中から笑える間違いをピックアップして本にするわけだから、これは単純に笑える。比較的軽いところでは、存命の人を故人としてしまうケースがある。「○日付けの□□という記事の中で、△△氏を故人と記載しましたが、△△氏は存命でした。ご本人ならびに関係者の方にご迷惑をおかけしました。お詫びの上、訂正いたします」、という感じの訂正文が掲載される。この関係者というのがミソである。この手の記事の間違いに気が付くのは本人ではなく、その周りの人であることが多く、その発見・通報者にも「関係者」という言葉で詫びているわけである。

 真面目なところでは、交通事故の加害者と被害者を間違えるケースが稀にあるらしい。道路交通法違反で逮捕されれば、容疑者という扱いになるのだが、「○○容疑者は□□容疑者の間違いでした」という訂正を見れば、○○さんは事故で被害を受けながら、新聞では容疑者扱いをされたと推測される。さすがにこの場合、記者は始末書ものらしい。写真を間違えて掲載してしまうことも相当あるようだ。

 ひどいものには記事自体を無きものにする訂正もある。こんな感じだ。「前号、○○の記事の内容は、そのような事実がなかったことが確認されました」。本当にあった具体例を挙げるとすると、「『人気ロック歌手 相川七瀬にランパブ嬢の過去の噂』の記事中、事実と異なる部分があり...」、「『ジャニーズ事務所 東山紀之氏が代表取締役に』の記事は事実と異なっていました」というのがあった。これではインターネットにあふれている人騒がせな噂と同レベルである。

(秀)

「訂正人語 おわびスペシャル」 (株)ティ・アイ・エス刊
 本体 1,000円


第243話 〜2000/4/14〜

■ネットバブル

 私が大学で経済学を学んでいるときに、世はまさにバブル経済の真っ只中であった。その頃に「バブル」という言葉はなかったが、この経済事象についてはゼミなどでも検討を行ったりした。一般に一国の経済成長を計る指標としてはGNP(国民総生産、今ではGDP=国内総生産)を使用する。この指標によれば、その値は間違いなく、伸長している時期であった。しかし、「価値の源泉は何か?」という観点からこの事象を見てみれば、この指標の伸長が異常であることは、バブルが弾ける前から予測出来ていた。

 「価値は労働により、生産物を生産することで発生する」。これが出発点である。生産を伴わない労働では価値の発生は有り得ない。流通は価値の移動でしかない。流通により利益を得ることは可能であるが、誰かが得をしていれば、誰かが損をしていることになる。麻雀を例に取ると、4人の中でお金が動き、儲かったり、損をしたりする人がいるだろうが(掛け麻雀はいけません)、4人の所持金の合計が増えることはない。経済活動が流通のみであれば、本来は国内の価値の総和は増えることがない。

 昨日まで100万円だったものが、今日は200万円ということが本当にあった時代である。すると、その差額の100万円はどこから生まれたのだろうか?。不良債権として今頃になってみんなで支払っているような気がする。また、あのころ高騰したものは生産活動によって作り出されたものではないものばかりだった。土地も証券も。逆に生産活動によって価値の裏付けのあるものはそう易々と高騰するようなことはない。

 皆さんも良くご存知であろう、ネット長者の某氏がテレビでこんなことを言っていた。「(今のIT産業の状況を)バブルだ、バブルだ、と言う人はいますが、自動車産業でさえ100年前はそう言われていたんですから。間違いなく21世紀はインターネットの時代です」。私が思うに、彼の話は半分当たっている。確かに自動車産業も100年前はそんな感じだったかもしれない。しかし、自動車は生産物である。これから数年間にインターネットをめぐる経済環境は大きく発展するだろう。しかし、インターネットは物を作ることも畑を耕すこともしない。新しい価値の創造なく、誰もがハッピーになれるような夢のような世界があるとしたら、それはバーチャルの中にしか存在しない。

(秀)


第244話 〜2000/4/17〜

■あれ、どうなった?

 「あれ、どうなった?」。日々の生活の中で、ふと、こう思うことがしばしばある。事件報道も最初は華々しいが、次第に世間の感心は次の事件に移ってしまっている。実際に事件が起きても最終的に裁判がどう結審したかはほとんど知らない。あまりにも裁判に時間が掛かり過ぎるのと、次々に事件が起きることで人々の記憶の中からも忘れられてしまっている。

 何も事件報道だけの話ではない。会社ででも、「頼んでたあれ、どうなった?」と上司に聞かれたりする。「あれ」が「どれ」なのか、とっさに判断つかないときがある。「それじゃなくって、あれだよ、あれ」。「あれ」、「これ」、「それ」、で会話をするようになるとおじさんらしい。部長と課長の会話なんか指示語だらけで、二人が別のことを話していたり、禅問答をやっているかのように聞こえるときもある。

 読者の中にも私に対して、気になっている話題があるかもしれない。「あれ、どうなった。金八?」。最終回の話を書こうと思ったりもしたが、予想通りの結末だったので、やめることにした。このほかにもコラムの中にはいくつか、「また別の機会に」と書いたまま、何のフォローもない話題があった。「駄菓子屋」、「オスカーバルナック」、「ダンス☆マン」。これまでのコラムを読み返して気が付いた。

 「あれ、どうなった?。書籍化計画」。こちらは、ようやく入稿できて一安心といったところである。本当にその後のフォローをどうするかは別にして、「また別の機会に」という言葉はコラムの締めとしては便利な言葉である。それでは書籍化計画の進捗は、また別の機会に。

(秀)


第245話 〜2000/4/18〜

■お受験

 日本映画もまんざらではないなあ、と思った。昨年公開された松竹映画の「お受験」をスカパーで見た。お受験というタイトルが付いているが、矢沢永吉演じる、中年サラリーマンのリストラによる家族の変化を描いた作品である。主人公の富樫は実業団のマラソン選手として健康食品会社に勤務している。年齢的にもそろそろ引退の時期であるが、生涯の最高成績が福岡国際マラソンの3位であるため、1位でゴールテープを切ることにこだわりを持って、現役にしがみついている。一方、会社は折りからの不況で子会社への出向など社員の大幅なリストラを始めている。そんな彼にも子会社への出向の話がやって来た。しかし、普通と違うところは常務としての出向で、実業団選手としての身分も保証されていた。

 彼の妻を田中裕子が演じている。専業主婦で、一人娘の小学校へのお受験に熱心である。富樫は常務として仕事にもやりがいを見つけていたが、程なくしてその子会社は倒産してしまった。役員としての経営責任のため、退職金も貰えず、会社にも戻れず、しかし、そのことを家族には打ち明けられない。受験塾での模擬面接のときである。試験官の「ご職業は?」という問いに、ついに富樫は「無職です」と語りだす。妻が墓石のセールスや実家の建設会社の事務で生活を支え、富樫が専業主夫となる生活が始まった。彼女はそのことを全く厭わなかった。

 やがて、親会社の陸上部も廃部となり、部員達もそろって首を切られた。それでも走ることにこだわるメンバーが、「今度の湘南国際マラソンに出よう」と言い出す。既に実業団でもなく、「素人と一緒に走るのか?」という意見も出るが、富樫も最後は自分のために走りたいと出場への腹を決める。しかし、この日は娘の受験の面接の日であった。妻はもちろん、「どっちが大切か?」と反対する。富樫は「お受験はお前の退屈しのぎだろう。今は身の丈にあった生活をしよう」と、マラソンに出場した。

 最後は自分のために走ることを目的として参加したが、給水所で急に立ち止まる。同僚が「どうしたんですか?」と尋ねると、「最後のゴールは自分で決める」と言い残して、コースアウトしてしまう。目指すは娘の受験会場である。走って、ようやくたどり着くと、まさに自分達の面接の番だった。ユニフォームのまま、会場に転がり込むが、娘が何よりも彼の到着を喜んでくれる。「おとうさんは、1とうしょう」。面接が和気あいあいとした雰囲気で進むところで映画は終わるため、肝心の合否の判定結果は分からないが、リストラにも負けない、お受験でもすさまない家族愛があれば、何よりも幸せなのであろう。

(秀)


 \  \