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「好みのタイプは?」という、答に窮する質問がこの世には存在する。「どんな人が好きですか?」というのも同じこと。「好きになった人が好みの人」と答えるしかない。しかし、この答が必ずしも正しくないことを私は知っている。冒頭のような質問をする人は具体的な答を求めている。例えば、「髪の長さ」。そんなものはどうにでもなることにも関わらず、「長いのが良いか、短いのが良いか」などを気にしている。仮に20個のチェック項目が存在したとしよう。そのうち、15個以上をクリアした場合が「好みのタイプ」だと定義してもそれはほとんど意味を持たない。そんなことにこだわる人は恋人紹介所でコンピュータにでも相手を選んでもらえば良い。
所詮、コンピュータはデジタル化された情報からの検索しかできない。数学で習った「集合」の概念を思い出してみよう。集合とは「要素が明確な集まり」ということになっている。明確であることが重要である。「優しい」なんて条件を挙げる人は多いが、そんな条件でデジタルに人を判断することができない。「や」の付く自由業の人なんか家族や身内には堅気以上に優しい(らしい)。けど世間一般は彼らを優しい人だとは判断しない。
それでも好みのタイプは存在する。表現は難しいけれども、パーツというよりも全体として、結果として、そうであることが多い。自分の記憶をたどると小学生の頃、同じクラスの女の子の2つ年上のお姉さんがそうであった。それから何度も好みのタイプの人を見掛けたが、その女性は向い側の電車の中にいたり、対向車線の助手席に座っていたりする。
(秀)
スカイラインは独特の雰囲気を持った車である。
そもそもこの車はプリンス自動車という会社が作っていた。それが、昭和41年に日産に吸収合併され、それ以降、日産スカイラインとなったのである。販売会社の日産プリンスはその名残だ。ここで売られているグロリアも同じくプリンス自動車出身で、今はセドリックの双子車に甘んじているが、かつてはセドリックよりも味のあるオリジナルの高級車であった。スカイラインはこのような故郷を持つ車であるが、そのような話を知らない人は多い、それもその筈、人々がスカイラインと思いつくのは「箱スカ」すなわち3代目からのことで、それはまさしく日産スカイラインの歴史である。それまでのプリンススカイラインはスポーツカーというよりも高級小型車といった感じの車だった。
こんなスカイラインが持つ、独特の雰囲気とは、実車とは別にイメージ化された「スカイライン」というブランドが多くの人に浸透していることである。しかし、これはスカイラインに限られたことではない。ただ、実にいろいろの神話というものが存在し、またそれが似合う車はこれだけであろう。
スカイラインが好きな人は車選びにおいて排他的な傾向が強い。それはブランドとしてイメージ化されたもの「スカイライン」の存在によることが大きい。具体的な善し悪しを比較することなど必要なく「スカイライン」が好きなのだ。ある意味、子供っぽい。モデルチェンジのたびにスカイラインを乗り継ぐ人も結構多いだろう。中には年配の人もいる。ずっと、スカイライン愛好者か。しかし、むかし買いたかったけど当時は買えず、今になって夢が叶ったという人もスカイラインにはありそうな話だ。
かく言う私も初めて買った車はスカイラインだった。あまりにも安い中古車であったため、トラブルも多く、マイナスイメージにより、その呪縛からは抜け出た様な気がしたが、やはりモデルチェンジのたびに気になってしまう。「いつかまた乗りたい」と思っている。
(秀)
from.カバティ
私は肩こり性だ。1日中デスクに座って、おまけに電磁波を浴び続けているからなのかは不明だが、慢性の肩こりである。体調が悪いときなどは決まって症状が現れ、風邪の引きかけなどは最も顕著な自覚症状となる。しかし、これが出たときには時既に遅く、後を追うように悪寒が走り、発熱への秒待ち状態となる。
ときには、朝起きた時点から肩が痛い時がある。借金のせいで首が回らないのかもしれないが、「枕のせいか?」。そのとき使っていたのは、パイプ枕だった。固い枕でないと嫌なのと、ザクザクというパイプの感触が心地好く、パイプもたくさん入れて、高い状態で使用していた。横向きに寝た時には肩を圧迫しないように片方の辺にカーブが切ってあるのも好きだった。しかし、起き抜けから肩が凝っているというのは、「やはり枕が原因だろう」と枕をかえることにした。
新しい枕を探す過程において幾つかの情報も入手した。そもそも痩せている人や首の長い人は高い枕はダメらしい。なるほど、寝た状態で枕を高くしたという想定で顎を引いてみると、肩の筋肉が引っ張られるのが確認できる。新しい枕は洋梨を縦に半分して、更に半分にした断面の形をした、段違いの2つの山を持ったものである。頭をそのくぼみに置いて、高い方の山が首を支え、首への負担をやわらげるタイプである。高さも少し低いものにした。けど、値段は5,000円と高かった。
確かにこれで肩こりは多少は改善された。しかし、新しい枕の効果かは疑問である。何故なら、上を向いた状態で寝てる時間がほとんどないのだ。10分経てば、横を向き。更に10分でうつぶせになっている。そして、枕は頭を外れた状態で朝を迎えることがほとんどである。
ピロートークとは、ピロー=枕、トーク=話、という2つの単語から構成され、ベッドで交わす「寝物語」という意味である。しかし、案の定、ピロートークは文字どおり、「枕の話」になってしまった。一人寝のせいか、寝物語は独り言でしかない。
(秀)
from.ようこさん
マンガを卒業してからどれくらいが経つだろうか。就職当時は月曜日となると少年ジャンプを携え、出勤していたものである。それからしばらくして、読む雑誌の嗜好は一変し、金を出してまでマンガを読むことはなくなってしまった。
「遥かな町へ」というのは最近読んだマンガのタイトルである。少年用のマンガではなく、そもそもはビッグコミックに連載されていたものらしい。それが上下巻のコミックになり、幾つかの雑誌で紹介されていた。「あの日に戻りたいなあ」と思うことはよくあるが、実際にそうなった場合の話である。主なあらすじは次のようなものだ。
主人公は48歳の男性。出張の帰りに故郷の近くを訪れるが、電車を間違え、故郷の駅に降り立つ。久しぶりに母親の墓前を訪れるが、そのときに気を失い、気がついたら14歳の姿となっていた。町もその当時の面影のまま。とりあえず、自分の実家に戻るが、家族も当時そのまま、亡き祖母や母親に接する。元に戻る術も分からず、主人公はそのまましばらく、この時代で暮らしてみようと思う。中学生になっても記憶は残ったままのため、急に優等生になり、かつてあこがれていた同級生との恋が始まる。そんな中、両親の結婚の秘密を知る。そして、その年の夏休みの最後の日に父親が蒸発してしまうことを思い出す。「今の自分には止められるかも」と駅で父親を待つ。しかし、48歳の大人として父親の話を聞くと止めることはできなかった。やがて最初にタイムスリップした墓の前を訪れることで主人公はタイムスリップしたタイミングに戻る。慌てて帰途につくと、途中電車の乗り換えるときに蒸発した父親らしい男性を見掛ける。しかし、ホームを歩く老人をよそに、無情に自分の乗った電車は走り出す。
クライマックスは父親の蒸発を止めようとする時のやりとりである。主人公が何故父親の蒸発を止められなかったか?主人公をはじめ、我々の多くが「あの日に戻りたい」、「もう1度やり直したい」と思う気持ちを、時間こそ取り返せないが父親はその選択肢を選んだのである。それが許せるか、許せないか、人によって、特に男女によって分かれるかもしれない。
(秀)
※「遙かな町へ(上・下)」谷口ジロー 著 小学館 各800円
九州では「とんこつラーメン」なんて言い方をしない。一部を除いてほとんどの場合がそうであるから、「ラーメン」としか言わない。中華屋はほとんどなく、多くはラーメン屋として商っている。そのため、メニューは至ってシンプル。「ラーメン」、「大盛りラーメン」、ちょっと気の利いた店で、プラス「チャーシューメン」程度である。ラーメン&ぎょうざのオーダーができる店など専門のちょっと高級な中華屋でしか実現しない。もっともそんな店でラーメン&ぎょうざを食べるのは野暮としか言いようがない。ぎょうざを食べたければぎょうざの店に行く。数も5、6個ではなく、10個で一人前というのが標準である。チャーハンもない。また、ラーメン専門店の多くは「冷やし中華」には目もくれない。
ついでを言うと、そば屋はない。うどん屋である。中華屋のかわりと言ってはなんだが、あまり節操のない、食堂の存在は大きい。ラーメン、うどん、ちゃんぽん、カレーライス、焼飯(チャーハンとは言わない)、etc...。こんな節操のなさぶりである。しかし、サイドメニューには乏しい。このため食堂でぎょうざを口にすることは皆無に等しい。
さて、とんこつラーメンであるが、麺は細麺、ストレートと決まっている。色も白い。ネギは地元では小ネギと呼ばれており、あおい所だけを使用する。紅しょうがは、とんこつスープの匂い消しとしての効果がある。東京には「とんこつラーメン」の看板を上げた店も多いが(九州には「とんこつラーメン」の看板は前述の通り、ほとんどない)、東京人に迎合しているのか、本場の味とは違う。とりあえず、東京では恵比寿の「香月」のラーメンが最も地元の味に近い。
ところで値段の話である。ラーメンが仮に600円だとしよう。そうなると、そばやうどんはいくらだろう。感覚的にラーメンより高いのは許せない。ピザとお好み焼き。ピザの方が高価なような気がする。この感覚はどこから来るんだろうか?
(秀)
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