\  \ 

第311話 〜2000/7/25〜

■「こころ」を読む(1)

 巷では夏休みである。いつまでも終わることないような夏休みもやはり終わってしまうし、いつまでも終わることないような学生生活もやはり終わってしまった。今回は、本コラムの読者で高校生の人向けに(そんなのいるのかな?)読んだ気になって感想文が書ける方法を伝授しよう。題材は夏目漱石の「こころ」である。

 この話は全体が三部で構成され、教科書で紹介されているのはクライマックスの三部の部分である。そこでは先生の友人Kの自殺が描かれている。下宿のお嬢さんに恋した気持ちをKから聞かされ、先生はあせってしまう。そこで先生は下宿のおかみさんに「娘さんを下さい」とKに先んじて行動を起こす。そして、先生とお嬢さんが婚約をしたことを知ってKは自殺してしまう。「Kは先生を恨んでいたのだろうか?」というのが授業で取り上げる際のテーマとなる。いろいろと討論などもやってみるが、答は「どちらでもよい」、と私は思っている。漱石がどちらであるかを示しているわけでもないし、それ以上に人それぞれの感じ方だと思う。一方、「先生はずるい人か?」というテーマもある。ここでは紹介しきれないが、先生はKのためにいろいろと精神的な支えとなってきている。Kがこのことに感謝していたのは間違いない。

 冒頭のシーンでは私と先生の出会いが描かれている。ある日私が先生の家を訪ねると、先生は墓参りで留守であった。そこに出て来る奥さんが、三部で下宿のお嬢さんとして出て来る女性である。そして、墓参りとは同じく三部で出て来るKの墓であった。冒頭からこのような伏線が張られている。一部についてはこの程度を抑えておけば良いだろう。二部は私が田舎に戻ったときの話で全体のストーリーには影響がないように思えるが、もう一つの大事な伏線が隠されている。それは明治天皇の崩御とそれに合わせた乃木大将の殉死である。乃木将軍は日露戦争での失態により自害しようとするが、明治天皇に諫められ、生き長らえる。しかし、その天皇も亡くなったので自分が生き長らえる理由がなくなったとして妻と一緒に天皇の大葬の日に殉死した。

<次号へ続く>

(秀)

from.ぺんさん

第312話 〜2000/7/26〜

■「こころ」を読む(2)

<前号からのつづき>

 第三部は先生から私あてに手紙が届き、それを読み進む形で話が進む。この三部では先生が「私」という一人称で語られ、話が展開される。そこで、これまで先生が私に話していなかった学生時代の話が出て来る。Kを下宿に呼んで一緒に暮らすようになったいきさつ(Kは当時、情緒不安定な状態であった)、そしてKの気持ちを知りながら、お嬢さんとの婚約を決めたことなどが書かれている。先生は婚約のことを自分の口からはKに伝えられず、Kはこの事実をおかみさんから聞かされた。

 そして最後のくだりで、「この手紙をあなたが読む頃には、私はもうこの世にはいない」由の言葉が記されていた。結果先生も自殺してしまう。この理由に第二部での乃木大将の殉死が大きく影響している。本当はKの自殺により、先生は「いつ死のうか、いつ死のうか」と思っていたが、勇気がなく生き長らえていた。しかし、乃木将軍の殉死を知って、生き長らえていたことに恥じたか、心の区切りができ、先生も自ら死を選んでしまった。この第三部のタイトルは「先生と遺書」である。ここまでが「こころ」の要約である。

 さて、読書感想文の書き方であるが、私はK(の自殺)をめぐる、その時点での先生の心情を考察するよりも、第二部からのつながりで、先生が自殺を選んだ心情についてまとめるのが良いと思う。一見不要に思えた第二部が伏線として生きていることを読み取った事がこれにより採点者に伝わる。それと、この話の主人公は先生である。最初に私として登場してくる人物は普通であれば主人公として描かれるであろうが、結局のところ、彼はストーリーテーラー(物語の語り手)にすぎない。このあたりの設定の妙について触れるもの採点者に対しては好印象だと思うのだが。とりあえず、第三部だけでも読めば本稿を元に感想文が書けると思う。

(秀)

おことわり:
 本稿(前話も含む)は執筆の時点で原作を調べて書いているわけでないため、一部では私の記憶により再構成して記述しています。このため、ニュアンスにおいて大異はないものの、具体的な表現は原作の通りではありません。


第313話 〜2000/7/27〜

■ケータイの心理

 これまで、本コラムでは「携帯」と表記してきたが、今回は敢えて「ケータイ」と表記したい。ケータイが大きく普及した原動力は、「いつでも、どこでも」といった、まさに携帯性が評価されたためであることは疑うまでもない。しかし、それだけの理由ではやや説得力に欠けるところがあると私は思う。そのもう一つの大きな要素とは「個人の電話」という側面である。これは単に携帯できる個人所有でない電話を想像すれば良く分かる。会社で社用に購入した備品の携帯電話数台を数人(電話の台数より多い)で使い回していた(外出する人が持って行く。いつも決まった携帯とは限らない)ときは、結構不便であった。

 さらに、現実には存在しないが、仮にこんな設定を考えてみた。「みんなが持ち歩いているケータイが実は家庭用電話のワイヤレス子機だったら」。プルルルルー、プルルルルー。「はい、もしもし」。「(やばっ、オヤジ出ちゃったよ)」。「もし、もし」。「あのー、○子さんはいらっしゃますか?」。彼女への電話に親父が出てしまった。「君は誰なんだ?、娘とはどういう関係なんだ?」。「-----(無言)」。ガチャン。たとえ、通話料が3分10円であろうと、家族での内線通話でタダになろうと、これでは普及への道程は遠い。

 やはりケータイは必ず本人が出る電話でなければならない。掛ける側は相手本人が出るものと思って掛けているし、受ける側も発信者通知で相手が分かることで、この関係は成り立っている。親父が出ない、奥さん(旦那)が出ない電話。ケータイを忘れて外出したときに、その不便さよりも自分の秘密を家に置き忘れたことに不安を感じた人も少なくないだろう。便利な「リダイヤル」機能も、ときとしては危険な証拠として置き忘れられていたりする。

(秀)


第314話 〜2000/7/28〜

■ぼくのなつやすみ

 暑中お見舞い申し上げます。

 本当ならば、今時分は会社を休んで一足早く、夏休みを迎えていたはずであった。ここ数年、子供達の夏休みにあわせて、海の日から一週間は夏休み第一弾を取ることにしている(第二弾は八月の旧盆あたりにまた一週間)。この時期に同様の理由で休みを取る人(第二弾がある人は少ないだろうが)は結構多いようだ。京葉線で舞浜駅(ディズニーランドの最寄り駅)を通り過ぎる度に満杯の駐車場がそのことを裏付けているようだ。ところが、である。詳しくは省略しよう。とうとう第一弾の休みは取れず、帰りの電車の中でいつものようにコラムを書き続けている。

 まあ、夏休みと言っても特にやることなど決まっているわけではない。ラジオ体操とプールに昼寝。きっと健康な毎日を過ごしていることだろう。子供の頃は一日のタイムスケジュールを作らされたりしたが、そのようにいった例がない。毎年、怠惰な日々を送って、残り僅かの日数で宿題を片付けることの繰り返しであった。それでもやはり夏休みが楽しいものであったことには変わりはない。そんな自分も「ぼく」となって、あのときの夏を疑似体験してみることにした。

 「ぼくのなつやすみ」とはプレステのゲームのことである。ロールプレイングのように何かの目的があってゴールを目指すわけでもなければ、得点を競うものでもない。ただ単に夏休みを色々と有意義に過ごせば良いし、夏休みの終わりとともにゲームも終了する(はず)。設定はこうである。ときは25年前、主人公の「ぼく(これがゲーム中の名前)」は小学三年生。ぼくのお母さんが臨月を迎えたので、田舎に住む、おじさん(正確には、お父さんの妹の嫁ぎ先)の家に一ヶ月間預けられることになった。25年前の三年生と言えば、私と同じ年である。きっと、私ぐらいの年代の人々が買い求めていることだろう。私ももちろん買った。本当はそれほどのゲーム好きではないのに。

 ゲームの発売を記念して、このソフトの作文コンテストを実施しているようだ。力試しにひとつ挑戦してみるか?。さて、ゲームの進行状況であるが、ほとんどまだやっていない。ゲームの中のカレンダーで二日経過したに過ぎない。何故なら、夏休みにやろうと思って買っていたが、冒頭の通り、休みがなくなってしまったからだ。本当なら、「ぼくもなつやすみ」だったのに。

(秀)


第315話 〜2000/7/31〜

■同窓会2000

 今年もまた、同窓会の季節がやってきた。高校の時の同窓会がここ数年、恒例化してきている。そもそもは三年前に学校全体の同窓会の幹事(学年別に持ち回り)を翌年に控え、学年での同窓会が行われたところから、今年で四年連続開催となっている。学年単位でこれほど毎年続けているのは珍しいことだと思う。私もできるものなら参加したいが、三年前の会には参加したが、それ以降、夏休みには帰省すらしていない。

 思うに、参加者の顔ぶれは地元に残った連中を中心に、ほぼ毎回同じメンバーが集まっていそうな気がする。三年前を例に取ると出席者は全体の約四分の一ぐらいだったと思うが、地元か近県で働いているものがほとんどだった。驚くことに名刺を持っていない者もいる。教師や公務員というのはどうやらそうらしい。今年は8月12日に開催する旨の通知が来たが、あいにく今年も帰省の予定がないので、欠席の返事をした。家人にも同じ日に同窓会があると、友達が電話をかけてきていた。結構この日は盆休みの土曜日として、同窓会の得意日のようだ。何だか株主総会ラッシュの様でおもしろい。

 今年の我が学年の同窓会の話題の中心は概ね想像がつく。ゴールデンウィークに私の郷里(犯人の出身地&バスの出発地)で起きたバスジャック事件である。マスコミが公にしなくても、地元の人はきっといろいろと知っていることだろう。テレビで映し出された彼の出身中学校がボカされてはいたが、同郷出身の家人にはそこがどこかすぐ分かり、私に教えてくれた。私の出身校でも妻の出身校でもなかったが、そこの卒業生は同窓生の中にも相当いるはずである。そして何よりも三年前の同窓会の時のクラスメイトのことを思い出した。彼はそのときその中学校で社会科の教諭をやっていた。まさに彼がその中学校に在籍していたときである。痛ましい事件であり、不謹慎かもしれないが、この友人が同窓会で一躍、「ときの人」となることは間違いないだろう。

(秀)


 \  \