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第316話 〜2000/8/1〜

■単行本

 連日お伝えしているように、「秀コラム」の本が出来上がった。執筆を始めた当初、「いずれは自費出版ででも本にする」という目標を掲げたが、わずか一年という思いのほか早い時期にこの目標は達成できた。しかも、自費出版ではなく。実は自費出版には私にとって幾つかの問題点がある。第一に印刷代金を一旦立て替えねばならないこと、しかも結構な金額になる。そして二つ目の問題は配本を自分でやらなければならないことである。毎日注文のメールを確認し、せっせと宛名を印刷しなければならない。これでは日々の執筆もままならない。それに、「秘密」(第200話参照)もばれてしまう。

 まさに渡りに船であった。第219話で「自費出版への道」を発表の後に、今回お世話になった「千年紀書店」さんから、メールをいただいた。この219話を書いていかなかったら、未だに「いつかは自費出版」と言いながら、印刷代金と配本の件で頭を悩ませていたことだろう。正直なところ、この本が売れて私が儲かるようなことはない(かなり売れた場合は別だろうが)。別に金が欲しくてコラムを書いているわけではないので、これは一向に構わない。しかし、今後も二巻、三巻と書籍化を続けていけるか否かは今回の売れ行きで決まるため、読者の皆さんにはぜひとも協力いただきたい。

 書籍化するにあたって、やはり、「売れるかな?」という疑問が浮かんだ。元はメルマガで配信されている内容である。バックナンバーも(結構大変だが、)Webで読むこともできる。それにわざわざお金を払ってくれるか?。しかし、出版に向け、本の形になった原稿での校正作業を始めると、紙媒体としての面白さが加味されているのに驚く。それはWebの画面を印刷したものとは違う、漫画で言えば単行本の楽しさが出て来る。単行本を買う人の多くは週刊誌でその話を読んだにもかかわらず、単行本を買い求める。今回のコラム本もどうやら同じ延長線上にありそうな気がする。

   <話は明日へと続く>

(秀)


第317話 〜2000/8/2〜

■コラム本の楽しみ方

  <前話からの続き>

 最近、テレビに出ない歌手が増えたが、かと言って彼らの曲がCDでしか聞けないわけではない。やはり、ラジオやビデオクリップ、ドラマやCMなどで曲が流れないことには認知度の向上にもつながらない。それでいて、CDは売れる。また、そこには本来、形とならない音楽を「残す」という欲求も機能する。CDは媒体でしかないが、いつでも聞けるという心理が、その音楽の聴取権(そんなものはないかもしれないが、便宜上の語彙として)を所有しているような錯覚を起こさせる。コラム本もある種それに近いような気がする。漫画の単行本も同様。実際、メルマガやWebでコラムを読むことはできても、紙媒体の存在はやはり否定しがたい。まあ、音楽と読み物を同じものと考えるには強引すぎるか。音楽は何度でも聴くし、漫画は読み返したりもするが、読み物を何度も読み返すことはほとんどない。(けど、コラム本はもう一回ぐらいは読んでも面白いよ)

 基本的に各コラムの書き方は電子媒体であろうが紙媒体であろうが変わらないが、これを一体のものとしてリリースするとなると、多少の注意が必要となる。まず、Webで読む場合はランダムに読むことが多いために、以前の話題についても若干の説明が必要とされることがある。この場合、リンクは非常に有効である。一方、本の形では、最初から読むことを前提としての編集が求められる。しかし、それにあわせてコラムを書き直すわけにもいかず、本として読んだ場合に、同じことが繰り返して話に出てくる。逆にそこが私の「こだわり」の部分と言うことなのかもしれない。

 エッセイやコラムの連載をあとからまとめて本にしたものは結構ある。本でこれまでの連載を一気に読むというのは、前後関係が保たれており、話が飛んでいないので、かなり効果的な読み方だと思う。その上で書き手が配慮しなければならないことは主張の一貫性である。日頃から何の矛盾なく生きて行くことは困難であるが、これを文章にしてしまうと後生これを守らなければならない。今さら私が占いを信奉するような話は書けない。もちろん、そんな気持ちもないが。

 とまあ、こんな楽しみがお手元に届くわけだ。通信費を気にすることなく、ついでに時間と場所に縛られることもない。夏休みに、帰省中の電車や飛行機の中でいかがだろうか?。

(秀)


第318話 〜2000/8/3〜

■払い戻しとアンパン

 皆さんはJRの特急電車(新幹線も含む)が二時間以上遅れたら、特急料金(普通運賃部分を除く)が払い戻しとなることをご存知だろうか?。私は過去に二度、このルールの適用を受けている。そのうちの一件はまさにラッキーとしか言い様がない。出張で沼津に出かけた帰り、三島から東京まで、こだま号を利用した。行きも同様に新幹線を利用したが、折りからの台風接近の影響でこの時点でもダイヤは既に乱れていた。それでも何とか出張先には間に合ってたどり着き、仕事を終え、三島駅のホームに立った。既に駅頭でダイヤがその後大幅に乱れていることは承知していた。ところが運良く、すぐに電車はやってきた。そして、東京駅の新幹線改札で特急券を渡そうとしたところ、駅員が「払い戻しです」とスタンプを押して切符を返してくれた。どうやら私が乗った新幹線は三島駅にたどり着く以前に、二時間以上遅れていたようだ。ちなみに私がこの新幹線に乗っていた約一時間は予定通りのスピードで運行していた。しかも、この電車は待ち時間なく現れた。まさにラッキーな話である。

 別にこのことで味をしめたわけではないが、遅れが分かっていながら、新幹線に乗って帰省したことがある。同様にこの日も台風の接近で大幅にダイヤは乱れていた。とりあえずニュースで大幅な遅れがあるものの、運行自体は行われていることを確認して東京駅に出かけた。改札を通ったのは夕方の四時過ぎだったと思うが、駅員が「何時に着くか分かりませんよ」と言い、それを私が承諾したので中に入れてくれた。払い戻しと同様に、特急が大幅に遅延した場合はグリーン車を除き、座席の指定が無効になる、というルールもある。既に指定席を買っていた人は予定を中止したのか、指定席の車両の入口付近はガラ空きで、逆に自由席の車両の入り口付近に多くの人が並んでいた。もちろん私は座席の指定はないものの、指定席車両の入口に列をなした。

 通常、六時間あまりで博多駅にたどり着くのだが、予想通りに関ヶ原付近で何度も立ち往生し、十時間あまりを要して博多駅に着いたのは真夜中で、既に博多駅から移動する手段は絶たれていた。博多駅に近づくと社内アナウンスが流れた。既に在来線がないため、今夜は用意した車両の中でお休み下さい、という内容であった。指示されたホームに移動すると新幹線の車両が止まっていた。いつもは車庫に戻すものをホームに持ってきたようだ。ホームでは駅員より、アンパンと缶コーヒーが手渡された。皆さんも新聞やニュースで見たことがあると思うが、立ち往生した電車の中でパンを貰っている、まさにあの姿である。

 とりあえず、それで空腹を満たし、しばしの眠りに着いた。この車両やホームも朝は始発から稼動させるため、まだ始発には早い時刻に叩き起こされてしまう。それにしても、こんな未明にあれだけのアンパンをよく用意できたなあ、と感心した。きっと到着の大幅遅延が分かった時点で「アンパン手配」の指令が飛んだことだろう。

(秀)


第319話 〜2000/8/4〜

■思えば遠くへ来たもんだ

 今日は(ちょっと)古い映画の話題を。スカパーで「思えば遠くへ来たもんだ」を放映していて、本稿を書きたくなった。主演は武田鉄矢である。この映画は'79年に撮影され、'80年に公開されている。ということは、時期的には金八先生の第一回シリーズの放送前後に撮影されたことになる。彼の役どころは高校の社会科(日本史)の教諭で、九州から秋田に赴任してきた新米教師という設定で、これまでも「現代版『坊っちゃん』」などと例えられている。

 話は春に武田が秋田の高校に赴任して来るところから始まる。今では武田鉄矢の教師姿として金八先生が不動のものとなっているが、このとき彼が演じた教師はまったくの正反対のキャラクターである。いわゆる、面白い武田鉄也の生の姿が垣間見える。お説教もしなければ、悩むこともない。そして、ことあるごとに生徒達をひっぱたく。きっと金八先生を演じるにあたって感じていたストレスの反動から、本来の地のキャラクターで演じていたかのようだ。

 この話のクライマックスは最後ではなく、始まって約一時間後(全体は約100分)に訪れる、あべ静江との会話シーンである。彼が顧問を引き受けた柔道部に家の手伝いが忙しく、学校に出て来れず留年した生徒、ホンジョウ(漢字不明、村田雄浩が演じている)がいた。「引き受けたからには強い柔道部にしたい」と武田は足繁く、彼の家を訪ねる。そこの姉をあべ静江が演じている。先生の熱心な姿にうたれ、次第に彼女は先生に惹かれていく。そして、二人がデートする日がやって来る。彼女は数日前に見合いをしたことを先生に打ち明ける。「先生、私どうしたらいいでしょうか?」。これが精一杯の彼女からの愛情表現の言葉である。「あなたはどう思うんですか?」。これに対して彼女は、結婚することで家族が経済的に助かること、弟を普通通り学校に通わすことができるようになることなどを挙げる。

 「そんなことじゃなくって、あなたの相手に対する気持ちがどうかって聞いているんです」。先生が答える。彼女は「悪い人ではないみたい」と答えるしかできない。本当は先生に止めて欲しくて、彼女はこんな話を切り出したにもかかわらず、「だったら、良いんじゃないかな」と先生は答えてしまう。おそらく先生にも彼女の気持ちは十分伝わっていたに違いない。しかし、それを止めさせるほど腹が決まっていたわけでない。何度見ても、何とも切なく、じれったく、胸がジーンと来るシーンであった。

(秀)


第320話 〜2000/8/7〜

■蝉

 蝉の一生ははかない。じっと、七年も土の中で耐えながら、成虫となって地上に出てきても、わずか一週間でその命はついえてしまう。そんな話を風呂で長男とした。「お前と同じ年だ」。長男は七歳である。感慨ぶかげに聞いているが、実のところ、長男は生き物が苦手である。犬は小さいものでもダメで、昆虫にも触ることが出来ない。

 どこから飛んでくるのか、マンションの非常階段やベランダにひっくり返っている姿をよく見かける。なぜ、仰向けなんだろう。よく見ると、なるほどバルタン星人だ。生きてるものもいれば、既に死んでいることもある。かつては「とりもち」で取っていた蝉がいとも簡単に採集できる。たまたま地上に出てこれた蝉はまだ幸せだったろう。七年の間に地面がアスファルトで舗装されてしまった場合などは、あまりにも悲しい。文字通り、日の目を見ることが出来ない。

 話は変わるが、ここ一週間あまり、家人が子供と実家に帰っている。別に喧嘩したわけではない。しばし、単身赴任の生活を強いられている。やはりなにかと不便だ。ゴミを出そうにも色々と分からないことが多い。ペットボトルの回収はキャップを外して出さなくてはならないようだ。しかし、そのキャップはどうやって捨てれば良いんだろう。それと、子供からの言いつけで毎朝花に水をあげなくてはならない。ベランダに出ると蝉が仰向けにひっくり返っている。拾い上げると既に死んでいるようだ。早速、妻の実家に電話する。「燃えるゴミの袋はどこ(にある)?。ところで、蝉って燃えるゴミかな?」。

(秀)

from.Miyoさん

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