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「こんばんは、司会のおりも政夫です」。ドンドンドン、パフー、パフー。と、こんな感じで始まっていたが、そのうち田代まさしと桑マンが司会をするようになった。そして、ここ数年は見ていないような気がする。「芸能人水泳大会」の話である。「女だらけの水泳大会」と言った時期もあった。決まってお笑い芸人が紅白の羽織袴姿で応援団長なんかをやっている。そして、プールに落とされたりするのがお約束となっている。
ゲストは一見華やかなような気がするが、名前が分かるタレントはほんのわずか、20名程度に過ぎない。競泳種目で選手の紹介が行われるシーンがあるが、その個人名はもちろん、所属しているグループ名さえ知らない場合がある。もちろん、ゲストには格付けがあり、最上級は画面の全面で歌が歌える(口パクだが)し、多くのゲームに参加し、テレビにもよく映っている。次がゲームの途中で画面の角の小さなフレームの中で歌えるゲスト。これも、1コーラスしか歌わせてもらえない。
競技は色々とあるが、だいたい毎回同じ内容である。そしてクライマックスは何と言っても騎馬戦であろう。ダンプ松本やアジャコングがポイントゲッターとして大活躍するが本当の主役は彼女たちではない。ゲストタレントのほとんどがワンピース型の水着でありながら、中に数人ビキニ、しかも肩紐がみょ〜に細いビキニを着た選手がいる。もちろん、有名人ではない。彼女たちは「ポロリ!」要員である。このためだけにどこかのモデルクラブ経由でかき集められたのだろう。一家団欒がぶち壊しになる瞬間でもある。親父は咳払いをして、新聞を読む振りをするが、横目でテレビが気になったりする。
(秀)
花火の季節である。土曜日となるとあちこちで花火大会が催されている。以前私が住んでいた二子新地(ふたこしんち)というのはところは、多摩川を挟んだ神奈川県で、玉川花火大会の絶好のポイントであった。その日は平日にもかかわらず、会社からの帰りの電車は乗換駅で止まるごとに混雑が増し、朝の電車以上の混み具合であった。そして、二子玉川から二子新地への間(ここが河川岸で花火大会の会場である)では、鉄橋下の人だかりに驚いた。まるで合戦場に兵士達が集められたかの様にうごめいていた。きっと、何十万人という規模での群れであったに違いない。
最寄り駅でほとんどの人が電車を降り、流れに任せて改札に来た時点で「改札がない!」のが分かった。この日ばかりは改札自体(当時は自動改札ではなかった)が撤収されていた。何とか寮まで人ごみをかき分けたどり着いたが、一人で見る花火が楽しいはずもなく、ドンドコうるさい音響と振動が伝わる中、コンビニ弁当を部屋でつついていた。結局花火は見ていない。
そして今住んでいるところも花火大会の最寄りスポットになっている。今度は江戸川の花火大会である。ところで、花火大会を訪れる人々のエネルギーたるや全体としては相当なものだろう。浴衣に着替えて(この日のために買ったりもする)電車に乗って(行きも帰りも通勤電車並に混んでいる)、現地に着いても人混みが絶えない。もちろん暑いし、蚊に刺されるかもしれない。そこまでして花火が見たいのか?。いや、彼らは花火見物が目的なわけはない。花火なんか所詮言い訳ではなかろうか?。デートの口実。花火も花見もクリスマスも、所詮口実のためのイベントでしかないと思う。一人で花見に行く人もいないだろう。一人っきりでも花火を見に行く人がどれくらいるだろうか?。ナンパ目的?。もしそれで一人で出かけるとしても、花火ははやり口実でしかない。
(秀)
from.Miyoさん
岩倉具視という人をご存知だろうか?。公家出身で明治政府で活躍した人である。「岩倉遣欧使節団」という言葉を習ったような気がする。それとも、「五百円札の人」というのが分かりやすいだろうが、何故彼がお札に載るほどの人物かを学校ではあまり詳しくは教えてくれない。お札の肖像は妙にけわしく、不機嫌な顔だったと記憶している。
週末に芝居を見てきた。冒頭に出てきた、岩倉具視が出て来る。かと言って小難しい芝居ではない。いわゆる、コメディの新劇である。舞台は明治五年の横浜。木戸孝允や大久保利道も出て来る。現代劇であれば登場して来る人物の設定や相互の関係は話の中で読み取れば良いが、今回のような歴史劇ではそれぞれの設定は既にあるものとして、話が進んでしまう。脚本家はそのあたりの背景や考証まで十分に考えて本を書くであろうが、肝心の観客はそんな準備をしてまで芝居を見に来ているわけではない。前出の三名がこの当時それぞれどんな立場で絡んでいるか(ついでに板垣退助も出て来る)、正確に理解している人が世の中にどれほどいるだろうか?。また、そんな人ばかりがこの芝居を見に来るわけではない。話の善し悪しよりも、そもそもの設定が気になってしまった。
今回見た劇団は初めてのところであった。いつもはひいきの「ラッパ屋」しか見ていないが、そこの役者が客演するとのDMが届いたので、暇に乗じて足を運んだ。客演とは自分が所属している劇団(劇団に所属していないフリーの役者もいる)とは別の劇団の公演にゲストとして出演することである。自分の劇団だけでは年に一、二度の公演しかないため、駆け出しのプロ役者の客演というのは結構多い。受入れる側も、ひいきのお客を連れてきてくれるだろう、との読みもある。まるでホームページの(相互)リンクのようなものだ。
ついでに会場では他の劇団の公演チラシが配られる。これもお互いの助け合いというか、これまた相互リンクのようなものだ。芝居見物というのは私にも非日常的なイベントであるが、それらが客演やチラシでリンクしている。非日常のリンクというのはホームページのリンクとは比べものにならないほどのドキドキ感が潜んでいると思う。それが芝居小屋まで足を運ぶ、いくつかの理由の一つとなっているのは確かだ。
(秀)
通勤で新橋駅で乗り換えをしている。地下鉄からJR線へ。帰りの時刻がわりと早い時には、結構しっかりとメイクをした女性を見掛ける。そして、ちょっと良い感じの香水の匂いがする。ほんのごく僅かの可能性でこれから合コンに行く女性かもしれないが、やはり大部分は水商売のお姉さん達である。ご出勤の時間帯だ。いくら勝負を掛けた合コンでも、仕事帰りに背中がパックリと大きく開いた服を着て出かけるOLはいないだろう。一般人がやると、結婚披露宴の出席者みたいになってしまう。おそらく彼女達の勤め先は新橋駅近辺の店であろう。住所地番は銀座○丁目で「銀座でお勤め」なのかもしれないが、最寄り駅が新橋というところも多いはず。景気が良い時はタクシー通勤なのだろうが、このご時勢では電車通勤というのもやむなしか?。
そんなある日、いつものように私が新橋で地下鉄を降り、改札に向かう途中で数人の浴衣姿の女性を発見した。非常に品の良い浴衣である。すぐに、「今日は、ゆかたデーなんだ」と思った。平日夕方の新橋で浴衣、しかも品の良い浴衣、となると勘の良い殿方は誰しもが「ゆかたデー」であることに気が付くだろう。蛇足ながら、勘の悪い方(土地勘のない方も含む)やご婦人のために解説すると、新橋では週末であろうと平日であろうと、花火大会や盆踊りをはじめ、お祭りの類はない。それなのにわざわざこんな時間に(品の良い)浴衣を来て新橋駅で電車を降りるのは、やはり水商売関係者でしかあり得ない。しかも銀座の外れにあたる新橋ではお姉さんも楚々としていて、ガングロメッシュの花火見物浴衣とは雰囲気からして違う(ついで年齢層も)。
ここで、読者の中には幾つかの疑問が生じている人がいるかもしれない。ひとつは「ゆかたデー」って何?、ということ。これは店が日を決めて、ホステスのお姉さん達が全員浴衣姿で仕事をする日のことである。もちろん、常連客にはこの日が「ゆかたデー」であることは電話かなにかで連絡されている。この浴衣だけの理由で店に来る客もいるらしい。だからわざわざ、「ゆかたデー」なるものの存在意義があるというもんだ。そしてもうひとつの疑問が生じているとすれば、何故このような話を(秀)が知っているのか?、ということだろう。
(秀)
「まぐまぐ」のサーバメンテナンスに乗じて、しばらくコラムの執筆をお休みした。随分しばらくぶりのような気がするが、土日を除くと実質は三日の休暇でしかなかった。それでも本業の方の休暇は週末一杯まで続くので、しばらくはまだのんびりとできそうな気がする。とりあえず、コラムの執筆からコンディションを整えていくことにしよう。
先週末からは結構のんびりと過ごしている。休みになったらやろうと思っていた「ぼくのなつやすみ」もいざとなると、気乗りがせず手付かずの状態。まとめて本を読もうかと思ったが家ではどうも落ち着かない。結局、子供達の宿題に付き合わされている。まずは工作を片付けた。まるで、ノッポさんのように。そしてこれからは読書感想文の指導のために、彼らの本を読まなくてはならない。ところで、小学生の子供のいる家庭はどこもこんな感じなのだろうか?。あまりにうまくこなしてしまうと手伝ったことがバレバレで良くない、と思いながらもその加減がなかなか難しい。
毎年恒例の「アイデア貯金箱」では、去年長男は「ボーリング貯金箱」を提出した。コインが転がり、ピンに見たてた弁当用醤油ビンが倒れる(倒れない時もある)仕組になっている。そして、倒れたピンも紐を引けば揃って立ち上がる機能も着いている。果たしてこのようなアイデアを小学一年生が考えつくであろうか?。校外の作品展に出品するには、「本人が作った」旨を校長が証明し、その証明書が添付されなければならない。官職を付して、公務員が発行する書面だからと言って、公文書とまでは大袈裟でなくても、教師生活何十年という目はそう簡単にはごまかせないようだ。
さて今年の長男のアイデア貯金箱はロボットである。あまり早くに出来上がってしまうと、いろいろといじり回して、提出を待たずに壊れてしまいやしないかと、ちょっと心配している。作品のサイズに規定があるため、当初より腕を短くした。そして身長はその仕掛けから上半身を調整することは出来ず、ちょっと短足なロボットになってしまった。まあ、それはそれ、子供らしさということでご愛敬。
(秀)
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