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誰もその姿を見たことはない。当たり前だ、作り話なんだから。けど、まあ今回はそんな龍宮城について考えてみたい。まず思いつくのは浦島太郎の話であろう。「絵にも書けない美しさ」と言いながら、絵本にはちゃんと絵が載っていた。あまり知られていない話であるが、浦島太郎の話は玉手箱を開けて年を取って終わりではない。原作の「お伽草子」では、その後に彼は鶴になって、かなた遠く飛んで行って終わる。以前も書いたがこの話には大きな疑問が残る。もちろん、海の中で彼が生活できたことやその間にかなりの時間が経ってしまっていたこと。それに、龍宮城の存在自体も確かに疑問ではあるが、それ以上に私が疑問に思ったのは、「絶対に開けてはいけません」と言いながら、何故乙姫は太郎に玉手箱を渡したか?、ということである。
龍宮城が出て来る話はもう一つある。「うみひこやまひこ」だ。弟の山彦が兄海彦の釣り針をなくしてしまい、それを探し求めて龍宮城にたどり着く。釣り針を取り戻すとともに彼は乙姫から青い玉と赤い玉をもらう(この展開がそもそものオリジナルかどうかは不明、未確認)。海彦が釣り針を返してもらっても、山彦を許さなかったときを想定し、洪水を起こし、こらしめる魔法の玉とその状態を元に戻す魔法の玉であった。結果、この兄弟は仲直りをするが、これを実話に当てはめると相当物騒である。そこには、兄を殺そうとした弟とそんなことをされてまでも弟を許す兄の姿がある。話の中では兄は悪者、弟が善者として描かれているが、冷静に考えれば逆である。
さて、このように龍宮城が出て来る話は複数存在する(この他にもマイナーな話が存在する可能性は大きい)。はたしてこれらに存在する龍宮城は設定上、同じものなのだろうか?。出て来る乙姫は同じ人なのだろうか?。こんなことを考え付く人はあまりいないだろう。ついでに、乙姫は何故天女と同じような格好をしているのだろうか?。約30年前に保育園のお遊戯会で「うみひこやまひこ」を演じたときの写真を発見し、こんな疑問を思いついた。主役の横で額に魚の面を付け、膝立ちした格好でその写真にはおさまっている。
(秀)
私が、みっともないと思うことの一つに「言い訳(をすること)」というのがある。子供達を叱っていると、必ず言い訳が登場する。兄弟喧嘩となると、必ず、「相手が先に手を出した」と言い出す。そうなると喧嘩の原因はさておき、私は「言い訳をするな!」と怒る。
上司から叱責を受け、無意識に言い訳を始めてしまうことがある。理由を説明しているつもりであっても、それを予見したり、回避したりすることができなかったわけではない。所詮、言い訳となってしまう。結果、叱責の原因を作り出したことや叱責を受けたことよりも、その時点で言い訳をしてしまったことを後悔してしまう。言い訳をしている間は人間は成長しないような気がするから。
申し訳なさそうに言い訳をするのならまだしも、中には胸を張って言い訳をする輩がいる。こんな人は仮にその言い訳の原因が解決したところで、うまくいくことは少ない。また、次の言い訳を探し出して、同じように胸を張るに決まっている。こんな人とは早く決別した方が良いだろう。
もし、私でも許せてしまう言い訳があるとすれば、それは三谷幸喜氏の脚本の中にある。エンターテイメントの域まで達した言い訳は聞いていて(見ていて)面白いが、いざ自分が同じ様な言い訳が出来るわけでもない。みなさん、前向きで行こう!。言い訳をする前に一つ大きく深呼吸してみてはどうだろうか?。正しい叱られ方というのもありそうな気がする。
(秀)
多分もう20年近く前になるが、日曜午後七時のフジテレビでは「おじゃまんが山田君」が放送されていた。その前が「サザエさん」で、同じファミリーを扱ったアニメにしてはその落差が面白かった。そして今、スカパーの「衛生劇場」で再放送されている。30分の放送時間は三話で構成されるが、各話のオープニングには別のショートコントが流れ、オチが着いたところで「おじゃまむし」のコーラスのもと、その話のタイトルが登場する。先日このショートコントがとても面白かったので、ここで紹介したい。
(ビルの屋上から殺し屋が向かいのビルのある一室を狙い、親分風の男を狙撃する。弾は窓ガラスを割って親分風の男の頭部に命中)
「あ〜あ、〜!」(親分、血を吹き出し倒れる)
「わーっ、わーっ大変だ、大変だ」(子分、慌ててオロオロする)
(そしておもむろに電話を掛け)
「もし、もし。ガラス屋さんですか?」
(秀)
今クールのドラマも残りの放送回数が2、3回となり、山場を迎える状況になった。Webでアンケートを行う際に数えてみたら、今期は8本を見ていた。ちなみに先クールは9本。結構見ている。今期はあまり展開でドキドキするものや、深く感情移入するような作品はない。結末の予想もたやすい(当たっているという保証はないが)。とにかく、役者や脚本家で話題になる作品がない。以前にも書いたが、やはりこの季節のドラマ制作には野球中継の存在が大きく影響しているようだ。
それでも個人的に好きなドラマはある。三谷幸喜脚本の「合い言葉は勇気」がそれだ。氏の作品はかなり細部にわたって凝った作りをしている。ただ、視聴率という観点で見た場合、当りはずれの差は大きい。ストーリの前振りは第330話「きっかけ」を読んでもらうとして、いよいよ裁判が始まった。村人達に弁護士と偽っている、暁仁太郎(役所広司)は法廷に立つために、住民票をここ富増村に移し、原告の一人になるといった姑息な手段に出た。彼は毎回弁護士を演じ、(演説を)一席ぶち、人々に感動を与える。「私が来たからには、もう大丈夫」。「正義がそのことを証明してくれます」。「さあ、勇気を持ちましょう」。と、こんな感じである。
実は何度か放送を見逃している。録りためたビデオの中に入っているはずだが、まだ見ていない(どのテープか分からない)、というが正しいかもしれないが。そこで、番組の公式サイトを訪れる。便利な時代だ。これまでのストーリーダイジェストと次回放送分の予告が載っている。しかも、テレビ雑誌より詳しい。公式サイトを見るまで気が付かなかったが、このドラマの登場人物には「里見八犬伝」の設定がされていた。「仁・義・智・忠・信・孝・悌」。あれっ?、一つ足りない。「礼」がない。最後に鍵を握る八人目の登場か?。その予想は前回の放送で的中した。「里見法律事務所 斉藤礼」。名刺にはそう記されていた。敵の弁護士としての登場であるが、彼が鍵を握っていることは間違いないだろう。
(秀)
参考サイト:「合い言葉は勇気」番組公式サイト
「夏の最終日」は何日か?、という質問があったら、10人中8、9人は「8月31日」と答えるのではないだろうか?。そして、その日が今年もやってきた。別の日を思い浮かべた人、「8月31日ではない」と答えたあなた。残念ながらあなたは少数派(マイノリティー)であろう、きっと。しかし、立派な「秀コラム」の読者としての資質は持ち合わせていることになる。
冗談はさておき、ずっと続くと思って突入した夏休みも8月も半ばを過ぎた頃から落ち着かなくなり、当然の如く最終日を迎えてしまう。私が子供の頃はそれを普通と思っていたが、今思えばかなりの宿題の量だった。これは時代というよりも地域差によるもので、郷里の甥や姪は今も変わらず、かなりの宿題を出されている。決まって、「夏休みの友」という問題冊子を与えられた。ページ数を数えると日曜日を除いて毎日こなさなければならない勘定になる。これ以外にも漢字ドリルや自由研究、読書感想文もある。まあ、彼らは当然それが全国的に普通だと思ってもいるが、遠くから転校してきた児童の母親が「こんなに多いんですか?」と驚いていたらしい。
毎年この頃になるとサザエさんで宿題を残したままのカツオの話が登場する。お決まりのパターンで、波平やマス夫に泣きつくことになる。私が子供の頃から変わらない。先日も「カツオ夏の終わりに」というタイトルで放送された。何も他人事ではない。私も子供達の自由研究が昨晩ようやく終わった。31日が土曜日だと新学期は9月2日からとなって1日得した気分になるが、9月1日の日曜日にサザエさんを見ながら宿題を片付けているのはむなしい。カツオネタはやはり8月最終日曜日向けの内容で、9月1日放送分では宿題から解放された彼の姿を見て、ますます焦ってしまうことになりかねない。
(秀)
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