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第371話 〜2000/10/24〜

■レインボーマン

 今回は30代以上、しかも半ば過ぎでないと面白くないネタで失礼する。ウルトラマンと仮面ライダーによってもたらされたヒーローものが人気を博すと、70年代には様々なヒーローものが誕生した。時は72、3年頃、多くのマイナーヒーローが誕生しては消えて行った。タイトルを聞くと、なるほどそんな番組もあったなあ、と思い出すが、いざ、その設定やストーリーを思い出そうとすると、他のヒーローと混乱して来てしまう。それほど様々なヒーロー入り乱れ、乱立した時期であった。

 レインボーマンもそんなマイナーなヒーローの1つに過ぎなかったが、今も多くの人の記憶に留まっているのは、かえ歌のお陰である。地域毎にいろいろとバリエーションがあるようだが、当時の少年達はほぼ例外なく、かえ歌を耳にしたことだろう。「インドの山奥、出っ歯の...」というのが多いようだが、私の地元バージョンに出っ歯は出て来ない。それとレインボーマンのかえ歌はメロディがめちゃくちゃで、「インドの山奥」より後はオリジナルのメロディとは全く別物になっている。しかし、何故これほど幾多のバージョンのかえ歌を輩出するほどに至ったかは私にも分からない。

 さて、どのくらいの人がレインボーマンの設定やストーリーを覚えているだろうか?。7つの化身に変身するのは周知の通り。ところが、ヤマトタケシが変身前に唱えるおまじないは「あのくたらさんみゃくさんぼだい」と言っていて、漢字で書くとこうなる→「阿褥多羅三藐三菩提」、ということは最近知った(子供の頃は何と言っているのか良く聞き取れなかった)。

 そして何と言っても、極めつけは敵集団の名前。その名も「死ね死ね団」。番組のエンディング曲は彼らが歌う、「死ね死ね団のテーマ」だった。あまりにもストレートで過激なその曲はその後放送禁止歌になっている。再放送がないのはこの「死ね死ね団」のせいかもしれない。それでもかえ歌は今でも頭の中でリフレインする。「インドの山奥...」。どのくらい山奥なのだろうか?。この謎もずっと引きずったままである。

(秀)

from.ひこちゃん

第372話 〜2000/10/25〜

■宇宙猿人ゴリ

 私の記憶が確かであれば、'71年頃「スペクトルマン」というヒーローものがテレビ放送されていた。ヒーロー、スペクトルマンはそのオープニング曲の歌詞をたどると、ネヴュラという星から地球にやって来ていて、有り難いことに、地球人のために地球を侵略しようしている、ゴリとラー(何とイージーなこのネーミング)と戦ってくれる。ゴリは科学者でラーは間抜けな、いつも失敗を繰り返すゴリの部下で軍人(軍猿?!)である。もちろん、スタイルは猿でかぶりものをしている。これはスペクトルマンに限ったことではないが、宇宙からやって来たヒーローは何を目的としてわざわざ地球人のために怪獣達と戦ってくれるのだろうか?。

 番組のエンディングの曲では、ゴリとラーの設定や彼らの野望が表現されている。それによると、彼らは惑星Eを追放され(理由はクーデターの失敗らしい)、自分達の居場所を探している時に地球を見つけて侵略を仕掛けて来たことになっている。具体的な歌詞としては、「惑星Eから追放された、このくやしさは忘れはしない。宇宙を旅して目についた、地球を必ず支配する」と歌われている。八つ当たりと言おうか、地球人にはまったくもって迷惑な設定である。

 この番組は当初「宇宙猿人ゴリ」というタイトルで、彼ゴリが主人公だった。しかし、その後「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」というタイトルに変わり、挙げ句には「スペクトルマン」に変えられてしまった。惑星Eどころか、タイトルからも追い出されるとは何とも哀れである。

 さて、番組の設定やストーリーに関する記憶は時間の経過とともに薄れて行くが、当時覚えた主題歌は結構覚えている。特にメロディラインは。そして、当時の主題歌はその番組のために書き下ろしたもので、歌詞には必ずヒーローの名前や敵の悪組織の名前などのキーワードが織り込まれていた。番組の中身を思い出すには、歌詞をたどるというのが効果的だ。

(秀)

参考サイト:  
http://www.asahi-net.or.jp/%7EKI2S-UCD/tokusatsu/spectre.html

第373話 〜2000/10/26〜

■ビニールロッカー

 一時期すごく流行ったがために、その後急速に恥ずかしくなってしまうものがある。中には流行が繰り返すものもあるが、あなたのお父さんのそれこそフサフサのロン毛でベルボトムのジーンズなんか履いた30年ぐらい前の写真を発見したら、そりゃ笑うだろう。ハッ、ハッ、ハッ。母親のミニスカート写真も見たくないだろう。ファッションだけではない、当時は家中に今となっては笑える家財道具があふれていた。

 黒電話に何故かカバー。同様にティッシュの箱にも。ポットやトースター、炊飯ジャーには何故か花柄などのデザインが施されていた。もちろん、この場合のトースターはパンが飛び出すスタイルのものである。当時はそれがおしゃれだったに違いない。しかし、今あなたが遊びに行った友達の家でこんなものを見つけてしまったらどうする?。

 そして、当時の一人住まいの部屋や、自分の部屋にはビニールロッカーとカラーボックスという二大アイテムが存在した。カラーボックスは純然たるその当時のデザインのままの白い面縁取りがなされたものは減ったが、黒単色や木目調という形で市民権を獲得するに至っている。手頃な本棚や小物棚はほとんどこのバリエーションと言って良いだろう。しかし、ビニールロッカーの方は哀れである。今あれが部屋にあるとなると彼女を部屋に呼ぶにもためらいが生じるに違いない。クローゼットよりははるかに安価であるし、模様替えの際の移動も楽である。しかしながら、誰が格好悪いと言い出したのかは分からないが、その意見を真っ向から否定するのは難しい(やっぱり格好悪いしなあ)。

 だいたい世の中は時間とともに恥ずかしくなってしまうものが多すぎる。今売れてる芸能人も昔の姿を見ると(その当時も売れていたにしても)、髪型やファッションがやはり恥ずかしい。さらに、この間に消えてしまった芸能人なんか、ただ思い出しただけでも笑える。自分の昔の写真を見て恥ずかしく思えるのは、自分が成長した証拠なのかもしれない。もし、その日の秀コラムが面白くなくても、数年経って読んでみたらおもしろかもしれない。私は恥ずかしいかもしれないが。

(秀)


第374話 〜2000/10/27〜

■理不尽の連鎖

 中学や高校の部活動に入ると新入部員は、まず玉拾いなどをやらされる。中学で花形スターであっても、ほとんどの場合、高校に入ったら自分よりへたくそな先輩の玉拾いから始めなければならない。物理的に場所や設備の面での理由により、多くの新入部員がそのような環境下に置かれることも多少あるかもしれないが、もっと多くの理由は「自分達もそうだった」から、というあまり正当性があるとは思えない、顧問教師や上級生の意識である。

 加えて、上級生と下級生ということで理不尽な要求も突きつけられる。「焼きそばパン、買って来い!」なんて。この場合は、やはり焼きそばパンであって欲しいし、許せてもコロッケパン。メロンパンでは雰囲気が出ない。中には上級生の感覚が麻痺して、「金、貸してくれ!」(なかなか返してくれない)とか、自分がいらなくなったもの(ラケットやシューズなど)を後輩に売りつけたりしてくる。彼らに罪の意識はほとんどない。「自分達も先輩にそうされていたから」。

 下級生にとってはたまったものではない。上級生もかつては先輩達の理不尽さに腹を立てていたはずだ。「自分が上級生になったら、あんなことはやめよう」と思ったに違いない。しかし、皮肉なことにそのそうな意志の強い人は、この理不尽に否定的であるがために、耐えられないのか、バカらしく思えたのか、途中で部活動をやめてしまうことが多い。一方、理不尽に耐えながら、「俺達も上級生になったら...」という者だけが残るため、この理不尽は連鎖し、中には「伝統」という間違った付加価値が付いて温存されることになる。

 これらは少なからず、会社組織(私が勤めている会社が、そうというわけではない。念のため)にも共通する部分がある。出世するにつれ、接待やらゴルフやらと本業はそっちのけで、一般社員にはうらやましい仕事に熱心になる人がいる。逆にそれは、普通に仕事がやらせてもらえなくなっている証拠だと思えたりするが。そして、仕事は部下にまわされ、部下の手柄を自分の手柄と吹聴するようになる。しかし、「いつか自分も出世したら」と、その手前に来ていた人にはやや苦しい御時勢である。リストラに経費節減。さて、理不尽の連鎖はいつ断ち切られることだろう。

(秀)


第375話 〜2000/10/30〜

■やらせの確率

 「今日の雑学+(プラス)」というメルマガのコラムに「超能力の確率」と題されたものがあった。以下、その内容をかいつまんで紹介すると、ユリ・ゲラーの超能力の番組の視聴率を20%と仮定する。すると880万世帯がこの番組を見ていることになる。視聴者それぞれの周りには腕時計や置き時計も含めて平均5台ぐらいは時計があるだろう。これで対象となる時計の数が4400万台と仮定できる。さて、ここでユリ・ゲラーが「これからあなたの家の時計を止めます」と言って、パワーを送る。一方、司会者は「もし、あなたの家の時計が止まりましたら、こちらまでお電話下さい」とヒートアップさせる。

 先程算出した4400万台の時計、全てが電池で動いているわけではなかろうが、大半は電池駆動であろう。よって、数年に一度は必ず止まってしまう。だから番組の放送時間である約2時間を電池の平均寿命で割り(もちろん、単位は揃えておかないといけない)、これに4400万台を掛け合わせれば、ユリ・ゲラーの念力には関わりなく、番組の放送時間内に電池の寿命で自然と止まってしまう時計の台数がはじき出される。件のコラムではこの台数が、七千数百台と紹介されていた。視聴者はこんな数字のトリックなど予想していないため、本当に時計が止まってしまうと、その全員とまではいかなくても、この実験の成功に関与した意識からテレビ局に電話を掛けることだろう。

 テレビ局のスタジオでは電話が鳴りだし、自分のところの時計が止まらなかった視聴者もこの電話の状況に、ユリ・ゲラーの超能力を信じてしまう。かつて子供の頃の私だったら、間違いなくこのパターンに当てはまり、御丁寧にも翌日には学校で、「昨日のユリ・ゲラー見た?。凄かったぞ、時計止まっちゃって。いや、うちのじゃないけどね」と友達にユリ・ゲラー教を布教していたに違いない。しかし、今なら違う。確率的に自然と時計が止まってしまうこと以上に、「あの電話、やらせじゃないか?」と思えてしまう。スタジオでジャンジャン鳴っている電話に次々とオペレータが応じているが、本当に時計が止まったかどうかの確認のしようがない。いたずら電話もあるだろうし、掛けて来ているのがサクラかもしれない。もっと極端な話、オペレータは電話が掛かって来た振りをしているだけかもしれない。

 かつて、バラエティ番組(ものまね番組だったかな?)で視聴者のリクエストでランキングを決めるという趣向のものがあった。スタジオの後ろでは電話オペレータが盛んに電話を取っている。しかし、番組の中ではリクエストの電話番号なんか紹介してない。番組の途中で司会者が「皆さん、テレビ局に電話して来てもダメですよ。本当はリクエストなんか受け付けていませんから。あの人達は電話を取っている振りをしているだけですから」と、タネ明かしをしていた。その瞬間、オペレータ達は笑っていた。

(秀)


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