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昨年末に会社よりお年玉をいただいた(ボーナスとは別)。それは今も手付かずの状態で私の銀行口座で眠っているが、たかだか10万そこいらの金でこんなに心豊かになれるとは思いもしなかった。何よりも使いみちが決まっていない臨時収入というのが良いし、金額的に何かしら思い切った買い物ができそうなところもうれしい。別に通帳を眺めて、毎晩ほくそえんでいるわけではないが、貯金が趣味でお金が貯まっていくことで心豊かになれる人は、きっとこんな感じなのかな?、と思う。
今日までその金に手を付けないでいるのは、ある程度金額がまとまっているからに他ならない。これが数万円だったら、年末のどさくさに紛れて、即使ってしまっているに違いない。しかし、今回は買いたいものをいろいろ考えるだけでも楽しめる。それで、一ヶ月半が経った。何とかノートパソコンが買えないものか探してみた。やはりこれには少々足りない。それならWindowsのノートパソコンではなく、Windows CEのマシンにしようかと思う。最近、シグマリオン(第410話参照)を買って、実はもう少しハイスペックのWindows CEマシンが欲しくなっていた。
早速値段を調べると秋葉原の店頭価格ではちょっと足が出てしまう。インターネットで調べたらそれよりも安く、若干のお釣りが出るショップが発見できた。しかし、秋葉原で実機を触ったところ、思ったより画面の文字が小さいことが気になった。本体は出来るだけ小さい方が良いが、解像度は高い方が良い。結果として、画面の文字が小さくなるのは当たり前のことである。買うべきかどうか、ちょっとためらってしまった。そんなとき、そのマシンのインターネット通販での最安値を知らせるメールが届いた。なんと秋葉原価格に比べて3万円安い。急にそわそわして来た。
一度は買うのを見合わせたが、この価格なら買っても良いかな、という気持ちに一気に傾いた。しかし、一晩悩んでいた内にそのショップの在庫はなくなってしまい、インターネット通販での最安値は1万5千円アップ(これでも秋葉原価格に比べると1万5千円安い)してしまった。さすがにこれにはショックだったが、この1日のそわそわ感はそれなりに楽しかった。このことを妻に話したら、妻は「そのお金は自動車税と車検に使うから、取っておいて」と言いやがった。
(秀)
最近、忠臣蔵を題材にした小説を読んでいる。いささか季節外れであるが、最近この本を見つけたので、そんなことはお構いなし。読み始めるとなかなか面白い。そもそもは小説であるが、その中で忠臣蔵を検証していく形でストーリーが進む。もちろん、独自に小説自体の伏線もある。
「忠臣蔵」というのはあくまでのフィクションのお話のタイトルの1つでしかない。学問的な呼び方としては「赤穂事件」と言わなければならない。そして、その大きな意味での「赤穂事件」は松の廊下での刃傷騒ぎと吉良邸への討ち入りとの2つの事件によって構成されている。ドラマや映画の忠臣蔵を見ることで、史実を知ったような気がしたり、「この忠臣蔵は史実に基づいている」などと考えたりもしてきたが、忠臣蔵はあくまでもフィクションで、いずれもフィクションの度合いが違っていたり、独自の解釈が含まれているに過ぎないことにこの本を読むことで改めて気がついた。
忠臣蔵のクライマックスはやはり吉良邸への討ち入りである。彼らが討ち入りを行う建前は第一に主君の恨みをはらすこと、そして第二に不当な裁きを行った幕府に対して直接行動をもって抗議することとして忠臣蔵では描かれている。「喧嘩両成敗」の習わしに反する不当な裁きだと。ところが、資料から読み取る松の廊下の刃傷事件のあらましは、松の廊下で梶川与惣兵衛と話をしている吉良上野之介に対し、浅野内匠頭がいきなり背後から「この間の遺恨、覚えたか」と声を掛け、振り返ったところを額に一太刀、逃げようとした上野之介の背中にもう一太刀振り下ろしたことになっている(「梶川与惣兵衛筆記」より)。梶川与惣兵衛とはあのとき松の廊下で内匠頭を羽交い締めにした人である。
これでは喧嘩ではなく、一方的な傷害事件、いや殺意があったので、殺人未遂事件である。忠臣蔵に出てくるような、向き合って「鮒侍」、「田舎大名」と辱めを受けたためのとっさの行動ではなく、かなり計画的な犯行だったのかもしれない。上野之介は場所柄をわきまえ、神妙に抜刀しなかったのではなく、あまりにもとっさのことで逃げまどうしかなかっただけだろう。理由の如何に関わらず、殿中での抜刀は死罪である。よって、幕府が下した判断は至極当たり前で、喧嘩でもなく、一方的に被害を受けた吉良が罰せられる理由はどこにもない。
忠臣蔵において梶川与惣兵衛はキーパーソンかもしれない。彼が内匠頭が言う「武士の情けだ、お放し下され」という言葉に心がなびいていたら、吉良は松の廊下で命を落としていたことだろう。そうなると赤穂事件はここでおしまい。討ち入りが行われることはなかった。あのとき梶川与惣兵衛がとった行動は幕臣としては当然のことである。変に情けを掛けてしまうと今度は自分にその責任が回ってくる。忠義の家臣といった義士達の武士道精神である忠臣蔵は実は武士の情けがなかったことがトリガーになっていた。結構皮肉なことだ。
(秀)
最初このドラマを見始めたときは、このドラマタイトルが何を意味しているのか分からなかった。滝沢秀明と深田恭子が主演する、金曜日のドラマのことである。ついでに言うと、ドラマの設定も知らずに見始めた。彼ら二人はそれぞれの親(永島敏行・岡田奈々)が結婚したことによって、血のつながっていない兄妹になった。
さて、皆さんは好きな食べ物を先に食べる方だろうか?、それとも最後までとっておくだろうか?。実はこの心理がドラマのタイトルには込められている。先に食べる方は恋愛に積極的、後から食べる方が恋愛に消極的、というわけだ。それがショートケーキの上の苺に例えられている。ドラマ自体はこの複雑な関係を背景にした三角関係がテーマであるが、この設定といい、未成年者の心情を描き出すという点、それに何よりこのタイトルが野島伸司らしいドラマだ。ドラマタイトルは彼自身が考えたものでないかもしれないが、このタイトルと設定が決まれば脚本家として彼を選ぶことは当然のことだろう。
苺を先に食べるか?、最後までとっておくか?。タッキーは深キョンのことが好きである。しかし深キョンはその気持ちに気づいていない。タッキーは苺を最後までとっておく少年として描かれ、一方深キョンはあこがれの先輩に積極的にアプローチする、苺を先に食べる活発な少女として描かれている。また、隣の家に住む幼なじみの内山理名演じるクラスメイトがタッキーのことが好きで、ここに三角関係が存在している。ドラマはこの後どんな展開を見せ、どのような結末を迎えるか分からないが(野島作品はハッピーエンドとならないケースもある)、現実社会では恋愛に消極的なことで良い結果が出ることは少ないような気がする。明日はバレンタインデー。皆さんのストロベリーはどうなることか?。まずはかじってみるのが良いような気がする。
(秀)
かつて、土曜日の夜8時からのテレビと言えば、娯楽の王道ともいうべき時間帯であった。それを思うと最近のこの時間の番組はつまらない。人々の生活スタイルが変化して、この時間に家にいない人が増えたためであろうか?。いずれにせよ、この体たらくぶりにはずいぶん長い間、辟易している。
「8時だヨ!全員集合」は私がものごころついたときからやっていた。いつもは「8時には寝なさいよ」という、保育園の先生が「今日はドリフを見たら寝るのよ」と言いながら、給食のバナナを配ってくれたことを覚えている。(土曜日も保育園では給食があった)。小学校に入ってからは、クラスのほとんどが全員集合を見ていたに違いない。「ちょっとだけよ」は教育的に良くないし、食べ物を粗末にするとして、PTAから栄誉ある俗悪番組に指定されたりもした。
私達の世代はカトちゃん世代である。志村ケンの登場も確かにインパクトはあったが、カトちゃん派としては志村のネタを手放しで喜ぶには至らなかった。そして、しばらくの後にフジテレビが裏番組に「オレたちひょうきん族」をぶつけてきた。最初はナイター中継の雨天対策用(雨傘番組)として準備されたため、初回放送時の視聴率はあまり高くなかったようだが、当日の新聞の番組欄で見つけたお笑い芸人達の名前に惹かれてこの日の放送を見た。オープニングは出演者全員が正装して食事をしているシーン。しばらく後に「オレたちひょうきん族」と全員でコールして、ウィリアムテル序曲が流れ、伊武雅刀のナレーションが始まった。
ひょうきん族が始まったのは昭和56年のことで、ということは私はこのとき中学3年生である。とたんに周りでは全員集合から、ひょうきん族ファンへの鞍替えが相次いだ。そして、鎬を削った全員集合は2年あまりの後にその放送を終わる。その後に「カトちゃんケンちゃん」にドリフの枠は引き継がれたが、当時の若い世代の多くはひょうきん族を支持した。しかし、放送開始から8年、ひょうきん族の時代もついに終わりを迎える。開始当時の出演者も皆売れっ子になってしまったことが原因、とある本では紹介されていた。番組の終わりに流れていた、「ダウンタウン」や「土曜日の恋人」といったエンディング曲を聴いて、土曜日の夜が深まっていくことを楽しめたあのころが懐かしい。
(秀)
森政権崩壊のカウントダウンが現実のものとして、急速に始まった。どこにどんな障害が潜んでいるか、誰にも予測できない。そもそも残り短命と思われていた森政権が漁業実習船と米国原子力潜水艦の衝突事故を巡る批判でつまずくとは誰しも予想できなかったはず。しかし、いざことが起こった時に「総理は(どこ)?」と行き着いたところがゴルフ場だったというのはいかにも彼らしい。このときの判断が緊張感に欠けたものであったことにそのとき気が付かなかったばかりか、数日経っても「事故だ」と呑気な状態が良くなかった。
「このままでは参議院選挙が戦えない」というのが与党の間から出ており、出来るだけ早期に首相の交代を望んでいたのが彼らの本音であろう。かと言って、下手なすげ替えを行うことはかえってマイナスであり、前回の内閣不信任決議でも何とか守り通した。そして支持率は低かろうとも、新年度の予算案を通して、党大会での総裁交代というのがもっともダメージを受けずに選挙を迎えるシナリオであったはず。
さあ、ここからが私が描くシナリオである。野党は直ちに内閣不信任案を提出すべきである。放っておいても現政権は間もなく崩壊することだろう。しかし、国会が参院選のためのパフォーマンス合戦の場であるとすれば、自滅を待つよりも不信任決議案の提出で彼に引導を渡す方が国民に働き振りをアピールできる。おそらく、今回そうなれば採決前に首相は退陣することになるだろう。公明党は反対(森政権信任)に回れないだろうし、自民党もこの時期に森総理を支えると参院選での影響も大きい。一種の踏み絵となるだろう。数の論理だけでない心理戦というのも見てみたい。ついでに加藤紘一君もこの時期騒げばなおさら面白い。
(秀)
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