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第471話 〜2001/3/26〜

■ザ・ベストテン

 この番組のすごいところは大きく2つ。ランキングが公平であること。そして、スタジオに来れない歌手のためにロケで中継を行っていたことである。ランキングが公正であることはあまりにも当たり前のことの様だが、これ以前にランキングの上位10曲だけに絞って、その歌手しか出さないテレビ番組は存在しなかった(はず)。それは従来までの芸能プロダクションとの関係などを重視して、曲に明確な指標に基づく順位付けを行うことはある種タブーでもあった。ベストテンはまず何よりもこのタブーに挑戦しようとする。そして、テレビに出ない歌手がランクインしても順位は決していじらないことを当初の企画書でも謳っている。番組の途中に「○○さんはおいでいただけません」と言って、両司会者が詫びるシーンはそのランキングがガチンコであることを裏付ける上で重要なパフォーマンスであった。番組のランキングはレコード売上が30%、有線放送のリクエスト回数が30%、TBS系列地方ラジオ局番組でのランキングが30%、それに番組宛のリクエスト枚数が40%で決定されていたと思う。

 そして、スタジオに来れない歌手を中継という形でテレビに出すのも画期的だった。ふつうの歌番組なら予めスケジュールをそれにあわせることができるが、ランクインするかどうか分からない状態で毎週木曜日のスケジュールを空けておくのはかなりリスクが大きい。これでは幾ら番組にステータスがあったとしても、欠席者が増え、番組の存続に大きな影響を与えてしまう。この「追っかけ」という中継スタイルはまさに逆転の発想というか、ランキングを重視し、出演者を維持し、生放送の番組としての要素を生かす上でも重要な手段だったと言える。あるときはコンサート会場、ある時はJRのホームからの中継というのもあった。生放送と言えば、労働基準法の制限で15歳以下のため出演できない歌手もいたねー(具体的な名前は忘れてしまったけれど)。

 時期的には家庭用ビデオが普及する以前であったため、ピンクレディーの振りを覚えるために熱心に見た人も多かったはず。また、金曜日の学校での話題でもあったので、クラスのほとんどが番組を見ていたはずである。というわけで、今週はかつての歌番組を振り返ってみたい。明日はあれかな?。

(秀)

from.恩ちゃん

第472話 〜2001/3/27〜

■紅白歌のベストテン

 渋谷公会堂という名前は田舎に住んでいた私でも子供の頃から知っていた。この他にも渋谷と言えばNHKが思い付く。同様に赤坂と言えばTBS、有楽町と言えばニッポン放送(当時)であった。いずれも番組で葉書の宛て先として登場してきたり、渋谷公会堂にいたっては番組の会場のテロップとして記憶している。もちろん、新宿と言えばアルタであった。

 今回話題にしたい「紅白歌のベストテン」は毎週月曜日の8時から、渋谷公会堂から生放送されていた。会場には修学旅行の中学生や高校生が招待され、番組の冒頭で紹介されていた。正直うらやましかった。司会は白組キャプテン堺正章、赤組キャプテン岡崎友紀(初代は水前寺清子、その後、岡崎友紀、大場久美子、榊原郁恵)で、「それでは、そろそろ参りましょうか。紅白歌のベストテン」というタイトルコールで始まる。趣向としてはNHK紅白歌合戦を簡素化しただけに思える。番組の中でネット局のラジオ番組のランキングは紹介するものの、番組のゲストとなるとベストテンとは名ばかりで単に紅白それぞれ5名ずつが順に歌うだけであった。ただ、1時間の内に10曲というのは相当のボリューム感であった(ザ・ベストテンは欠席者がいて、10曲という事はまずない)。

 番組の中でレギュラー枠ではないものの、ゲストが「ウソ発見機」に掛けられるコーナーがあった。ステージの中央に仰々しい椅子が設置され、椅子の背後に孔雀の羽を開いたような電飾があり、感情の変化などに応じてこの電飾が点灯する仕掛けであったが、今になって思えばこの仕掛けはインチキだったような気がしてならない。何故ならこのゲストに質問をする「ミスターコンピュータ」と呼ばれる声の主が当時同局アナウンサーの小林完吾氏だったからである。コンピュータと言っておきながら、アナウンサーが喋っているぐらいなのだから、あの電飾はステージの袖でスタッフがスイッチをいじっていたんではないかと思う。このコーナーの途中、感極まって涙を見せるゲストもいた。

 番組の最後はテレフォンオペレータが各ネット局毎に選出されている視聴者審査員に電話をして、視聴者の意見で紅白の勝敗を決める。勝った方のキャプテンは優勝カップを受け取り、はしゃぎ回り、ゲストがその周りでバンザイをやるお約束であったが、こんなことを毎週やっていたかと思うと、ちょっと引けてしまう。通算勝敗は白組の優勢であった。視聴者審査員には番組のスポンサーからシャンプーとリンスがセットで1年分だか、半年分だかが送られていたが、子供心にこの1年分だか、半年分だかがいったいどれくらいの分量なのか随分気になった。

 番組の方は随分と長く続いたと記憶しているが、ザ・ベストテンの登場により、視聴者の嗜好がランキングに移ったらしく、番組はその後「ザ・トップテン」へと衣替えした。ベストテンの次はトップテンの話と思っていたあなた、残念でした。その話は明日。

(秀)


第473話 〜2001/3/28〜

■ザ・トップテン

 紅白歌のベストテンはその後、ザ・トップテンという、ランキング形式の歌番組に変貌した。ところが、どこか目新しさが足りないと感じたのはは司会者が前の番組から同じ、堺正章と榊原郁恵であったからに違いない。それに会場は相変わらず渋谷公会堂だったし。きっとスタッフもそのまま同じ人がやっていたに違いない、と思える

 この番組の特筆すべきところは公開番組という所である。会場にはハッピやハチマキ姿の追っかけが見ているわけである。歌っている側としてはスタジオで巧みなカメラアングルで放送されるの(ザ・ベストテンのこと)と実際に観客を前に歌うのではどっちが良いだろうか?。スタジオからの放送ではあまりにもベストテンの二番煎じでしかないため、この点にはこだわっていたのかもしれない。しかし、特筆すべき点はこれだけでしかなかった。

 趣向として、中が電飾ギラギラのエレベータからゲストが下りて登場することになっていた。これはベストテンの回るミラー扉を意識したものだったと思われるが、番組の構成上から考えるとあまりにも無関係な浮いたものでしかなかった。まるで披露宴のゴンドラのような。そして、このエレベータはやがて廃止されてしまった。

 この頃の音楽界はアイドルの全盛で実力は二の次の様な時勢であった。この粗製乱造ぶりにより、やがて音楽業界が冬の時代を迎えることとなる。また、人々の音楽に対する嗜好の多様化が脱ランキング指向となり、ランキング重視の音楽番組に影響を与えたと思われる。それは怪物番組とまで言われた、ザ・ベストテンについても例外ではなかった。やがてブラウン管から歌番組が一斉になくなり、テレビはドラマとバラエティの時代を迎えるに至った。

(秀)


第474話 〜2001/3/29〜

■夜のヒットスタジオ

 つい最近、芳村真理の息子が警察沙汰の騒ぎをしでかしたが、同じような息子の不祥事騒ぎでも三田佳子のときに比べれば、マスコミの扱いは遥かに小さかった。これが芸能人の格というものだろう。ところで、芳村真理って、そもそもなんで芸能界にいる人なのだろうか(元はモデルだったらしいが)?。夜のヒットスタジオの司会以外で見掛けた事はないし、あの番組が終わってから、彼女を目にする事はなかったが、この間どんな事をして稼いでいたのだろうか?。何も本稿は芳村真理についてのテーマではない。

 閑話休題。略して「夜ヒット」と呼ばれたこの番組は実のところ、いつ始まったのかが私に分からないくらい、随分以前から放送されていたはず(確認の結果、昭和43年から始まっていた)。もう一人の司会者として、井上順を思い浮かべる人は多いと思うが、それ以前に前田武彦が司会を務めていた時期がある。また、調べたデータによると、前田武彦の後任が三波伸介だったらしい(私の記憶にはない)。

 さて、さて、この番組の特徴はリレー方式で歌を歌いゲストが登場して来る「マイクリレー」にあった。自分の次に出て来るゲストの曲を1フレーズずつぐらい歌い、簡単なコメントを付けて次のゲストにマイクを渡す。これを繰り返し、最後のゲストとなると既に登場を終えたゲスト達は一ヶ所に集まり、最後のゲストの曲にあわせてみんな同じ振り付けで踊っている。そこに、最後の人が自分の持ち歌を歌いながら現れ、1コーラス歌いあげる事になっている。他人の曲だからと歌詞やメロディを間違えるゲストが結構いた。

 この番組は月曜の夜10時からフジテレビ系で放送されており、同じ曜日には日テレ系の紅白歌のベストテン、ザ・トップテンもあって当時の月曜日は歌番組曜日だった。しかし、その後この番組は水曜日の2時間枠に移動し、タイトルも「夜のヒットスタジオDX」と変わったり、司会者も古館伊知郎を起用するなど、何度かのリニューアルを重ねた長寿番組であったが、この番組も音楽冬の時代の到来とともに、ブラウン管から消えてしまった。

(秀)


第475話 〜2001/3/30〜

■歌番組分析

 かくして今週はかつての歌番組について書いて来た。これ以外にも、「ベスト30歌謡曲」という番組についても書こうかと思ったが、番組タイトルと番組の中でゲストがスタジオ視聴者の中から選ばれた一人と結婚式ごっこをやるコーナーだけははっきり覚えているものの、放送されていた曜日や司会者が誰であったかどうしても思い出せないので書くのをやめた。一時リバイバルされたような気もするが、そもそもの番組は結構早い時期に放送を終わっているに違いない。この他にも、「ヤンヤン歌うスタジオ」や「レッツゴーヤング」などアイドル系の歌番組もあったが、これらはいずれかの機会に書く事にしよう。

 さて、ここでかつての歌番組と今の歌番組とを比較検討してみたい。まず、最近のケースでは1つの番組に出るゲストの数が大きく減った。今ではミュージックステーションが最も多い例だろう。この番組は以前の「夜ヒット」のスタイルに近いものがある。一方、ゲストが減って新たに増えたのはゲストと司会者のトークの時間である。これにより、司会者もしゃべり中心の人を選ぶようになった。ダウンタウン、石橋貴明。

 また、最近は生放送の歌番組が減ったのも特徴である。録画番組の場合はゲスト同士が同時に居合わせていなかったり、歌だけ別録りだったりする。例えば「HEY!HEY!HEY!」、「うたばん」がそうである。こういうスタイルを取ればそれぞれ出演者の拘束時間を柔軟に配置できる。やはりどの局も視聴率が取れるゲストを出したいし、その候補者はどこも似たり寄ったりである。生放送のリスクはここにも存在する。

 かつて月曜日は「紅白歌のベストテン」が8時から、間1時間おいて、10時から「夜のヒットスタジオ」が放送されていた。ともに生放送である。基本的にリハーサルなどの拘束時間を考えるとこの2本に立て続けに出ることは難しい。それでも、あらかじめゲストの出演交渉やスケジュール調整できたので、まだこの頃は良かった。しかし、「紅白歌のベストテン」が「ザ・トップテン」になると、「夜ヒット」にランキング歌手が出られなくなってしまった。さらに、トップテンはゲストがランキングによって決まるため、「夜ヒット」のゲスト調整が難しくなってしまった。「夜ヒット」は名目上時間枠を拡大して曜日を変更したのだが、実質は月曜日から追い出されたと言うべきかもしれない。

(秀)


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